本田拓也とは? わかりやすく解説

本田拓也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 23:02 UTC 版)

本田 拓也
名前
愛称 ホンタク
カタカナ ホンダ タクヤ
ラテン文字 HONDA Takuya
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1985-04-17) 1985年4月17日(40歳)
出身地 神奈川県相模原市緑区
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2001-2003 桐光学園高校
2004-2007 法政大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2008-2010 清水エスパルス 65 (2)
2011-2013 鹿島アントラーズ 18 (0)
2013-2016 清水エスパルス 62 (2)
2017-2020 モンテディオ山形 121 (1)
2021-2022 FC岐阜 31 (0)
通算 316 (5)
代表歴2
2008  日本U-23 2 (0)
2011 日本 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月20日現在。
2. 2011年1月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

本田 拓也(ほんだ たくや、1985年4月17日 - )は、神奈川県津久井郡津久井町(現・相模原市緑区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。 現役時代のポジションは守備的MF(ボランチ)/アンカー。元日本代表。

来歴

プロ入り前

3歳の頃、幼稚園のサッカースクールに加入しサッカーを始める。小学生、中学生時は地元のクラブチーム・FCコラソンでプレー。その後、サッカーの名門桐光学園高へ進学。卒業時にはJ2クラブからのオファーもあったが、高校2年時に足を骨折しプレーに自信がなくなっていたことなどから大学へ進学して実力をつける道を選ぶ。法政大学では、恩師の川勝良一水沼貴史の下で、フィジカルの強化と、以前から得意としていたロングボールに加え短いパスも身に付けるなどサッカーセンスを磨く。2006年、大学3年時に初めて五輪代表に選出される。

清水エスパルス時代

2008年、Jリーグ・清水エスパルスへ入団。数クラブからのオファーがあった中で清水を選んだ理由は、最初に声をかけてくれたことと、在学中練習に参加させてもらったところチーム内の雰囲気がとてもよかったことだと語っている。また、高校の2年先輩である藤本淳吾がいたのも大きかったという[1]。同年3月、Jリーグ2008年シーズン開幕を先発出場で飾る。同年8月、U-23日本代表メンバーとして北京オリンピックへ出場。清水ではアンカーとして定着した。

2010年、清水での活躍が認められ、アルベルト・ザッケローニ監督就任後に日本代表に選出され、2011年のAFCアジアカップ2011カタール大会のグループリーグ第三戦の対サウジアラビア戦に途中出場し、代表初出場を果たした。

鹿島アントラーズ時代

2011年、鹿島アントラーズへ完全移籍[2]増田誓志らとの激しいポジション争いが予想されたが、3月下旬の代表合宿中に負傷。当初は捻挫と診断されたが、合併傷害で一部軟骨がかけてはがれる右距骨軟骨損傷を発症してしまい同年8月に手術[3]、シーズンのほとんどをリハビリに費やすこととなってしまった。

清水エスパルス時代(第2次)

2013年7月24日、2年半ぶりに清水へ完全移籍での復帰を発表[4]

2014年10月、チームが残留争いに置かれている中で、監督の大榎克己や主将の杉山浩太の推薦もあり[5]、副主将に就任[6]

モンテディオ山形時代

2017年シーズンから出場機会を求めて山形へ完全移籍。新加入にもかかわらず、いきなり主将を任せられた[7]。2020年12月7日、契約満了による退団が発表された[8]。シーズン終了後にJリーグ合同トライアウトに参加した[9]

FC岐阜時代

2021年、FC岐阜へ加入した[10]。2022年11月18日、2022シーズン限りでの現役引退を発表[11]

現役引退後

2022年12月16日、岐阜のトップチームコーチに就任することを発表[12]。2024シーズン終了後、退任[13]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2006 法大 7 - - - 2 0 2 0
2008 清水 16 J1 16 1 6 0 1 0 23 1
2009 18 0 6 0 5 0 29 0
2010 31 1 7 0 4 0 42 1
2011 鹿島 3 0 0 0 0 0 3 0
2012 8 0 4 0 3 0 15 0
2013 7 0 3 0 - 10 0
清水 38 15 0 - 3 0 18 0
2014 7 24 1 1 0 4 0 29 1
2015 23 1 2 0 0 0 25 1
2016 J2 19 0 - 2 0 21 0
2017 山形 14 36 0 - 1 0 37 0
2018 28 0 - 1 0 29 0
2019 39 1 - 0 0 39 1
2020 18 0 - - 18 0
2021 岐阜 J3 22 0 - 1 0 23 0
2022 9 0 - 1 0 10 0
通算 日本 J1 145 4 29 0 20 0 194 4
日本 J2 140 1 - 4 0 144 1
日本 J3 31 0 - 2 0 33 0
日本 - - 2 0 2 0
総通算 316 5 29 0 28 0 373 5
  • 2006年は特別指定選手としての出場は無し
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2011 鹿島 16 1 0
通算 AFC 1 0

タイトル

クラブ

鹿島アントラーズ

代表

その他

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(2011年)


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
2011 2 0
通算 2 0

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2011年1月17日 アルライヤン アフメド・ビン=アリー・スタジアム サウジアラビア ○5-0 ザッケローニ AFCアジアカップ2011
2. 2011年1月25日 ドーハ サーニー・ビン・ジャーシム・スタジアム 韓国 ○2-2

(PK3-0)

指導歴

脚注

関連項目

外部リンク





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