本田敏秋
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本田 敏秋
ほんだ としあき
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2013年6月
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生年月日 | 1953年2月4日(72歳) |
出生地 | ![]() |
出身校 | 神奈川大学法学部 |
前職 | 岩手県庁職員 |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日中綬章 |
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当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2005年10月23日 - 2021年10月21日 |
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当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2002年4月25日 - 2005年9月30日 |
本田 敏秋(ほんだ としあき、1947年(昭和22年)8月10日[1] - )は、日本の政治家。元岩手県遠野市長(5期)。
経歴
岩手県出身[2]。岩手県庁職員を経て、2002年(平成14年)4月に遠野市長に初当選[2]。宮守村との合併前後の通算で5期20年、遠野市長を務めた[3]。「どぶろく特区」発案や地域再生などの「田舎のよさを引き出す」ことを念頭においた施策をアピールしていた。
遠野市を「民話のふるさと」から「日本のふるさと」への脱皮させ「遠野」のネームバリュー向上を実績として掲げていた。
また、深刻な医師不足への対策や中央省庁との人的交流等、中央とのパイプ作りといった施策もアピールしていた。都会からの移住支援制度「ふるさと市民制度」を提唱も行っていた。
2021年4月12日、10月の市長選に立候補せず、引退することを表明した[3]。
2022年11月3日、秋の叙勲において、旭日中綬章を受章した[4][5]。
プロフィール
公選歴
- 2002年(平成14年)4月14日 - 遠野市長(初当選)
- 2002年(平成14年)4月25日 - 第6代遠野市長就任
- 2005年(平成17年)10月23日 - 初代(新)遠野市長就任(隣村宮守村との合併のため)
最終学歴
職歴
著書
- 「遠野スタイル」ぎょうせい。
脚注
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、31頁。
- ^ a b c 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』482頁。
- ^ a b “遠野市長、今期で引退の意向 通算5期20年で区切り:朝日新聞”. 朝日新聞 (2021年4月13日). 2025年6月24日閲覧。
- ^ 令和4年秋の叙勲 勲章受章者名簿 - 総務省 2022年11月3日
- ^ 『官報』号外235号、令和4年11月4日
参考文献
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
公職 | ||
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先代 菊池正 |
![]() 2002年 - 2021年 |
次代 多田一彦 |
固有名詞の分類
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