ニキータ・ルカヴィツヤとは? わかりやすく解説

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ニキータ・ルカヴィツヤ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/25 03:17 UTC 版)

ニキータ・ルカヴィツヤ
名前
本名 ニキータ・ヴァジモヴィチ・ルカヴィツヤ
Nikita Vadimovich Rukavytsya
ラテン文字 Nikita Rukavytsya
ウクライナ語 Микита Вадимович Рукавиця
基本情報
国籍 オーストラリア
 ウクライナ
生年月日 (1987-06-22) 1987年6月22日(37歳)
出身地 ソビエト連邦 ムィコラーイウ
身長 183cm
体重 74kg
選手情報
ポジション FW / MF
利き足 左足
ユース
2000 トルペド・ムィコラーイウ
2001-2003 イングルウッド・ユナイテッド
2003-2004 パースSC
2005-2006 オーストラリア国立スポーツ研究所
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2009 パース・グローリー 42 (16)
2009-2010 トゥウェンテ 5 (0)
2010 ルーセラーレ (loan) 9 (4)
2010-2012 ヘルタBSC 56 (5)
2012-2014 マインツ05 8 (0)
2013 マインツ05 II 2 (0)
2013-2014 FSVフランクフルト (loan) 19 (2)
2014-2015 ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ 23 (3)
2015-2016 ベイタル・エルサレム 30 (14)
2016-2021 マッカビ・ハイファ 152 (64)
2021-2022 ハポエル・ベエルシェバ 28 (10)
2022-2023 マッカビ・ハイファ 18 (1)
2023-2024 ウェスタン・ユナイテッド 15 (2)
代表歴
2006 オーストラリア U-20 1 (0)
2008 オーストラリア U-23 13 (1)
2009-2021 オーストラリア 23 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ニキータ・ヴァジモヴィチ・ルカヴィツヤウクライナ語:Микита Вадимович Рукавицяラテン文字:Nikita Vadimovich Rukavytsya1987年6月22日 - )は、ウクライナ(当時はソビエト連邦)・ムィコラーイウ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワードミッドフィルダー

来歴

クラブ

ウクライナで生まれるが、14歳の時に家族でオーストラリアパースに移住。地元クラブのユースチームに所属後、2005年から2年間はオーストラリア国立スポーツ研究所のサッカー部門に所属していた。

Aリーグの2006-07シーズンの終盤に短期間の契約でパース・グローリーFCに入団。そこで出場機会を得て活躍したため、2007年3月に契約を2008-09シーズンまで延長した。

2008年4月、ドイツのハノーファー96に招待されてトライアルを受けるが不合格となる。2009年1月にはオランダのFCトゥウェンテのトライアルを受け見事合格、Aリーグのシーズン終了後に移籍。2009年6月、Aリーグでの活躍によってオーストラリアの23歳以下の最優秀選手に贈られる「ハリー・キューウェル・メダル」の初代受賞者となった[1]

2010年1月、ベルギーKSVルーセラーレへレンタル移籍。ルーセラーレでは11試合5ゴールと結果を残すも、トゥウェンテの新監督となったミシェル・プロドームから構想外と判断され放出される。同年7月、ブンデスリーガ2部に降格したヘルタ・ベルリンに入団。

ヘルタでの1年目は31試合に出場し、4ゴールに加えリーグ2位の12アシストを記録し1部復帰に貢献。初のブンデスリーガ1部でのプレーとなった2011-12シーズンは24試合に出場したが、チームは16位で入れ替え戦に回り、フォルトゥナ・デュッセルドルフに敗れ2部降格となった。

2012-13シーズン開幕時はヘルタに所属していたが、移籍期限の2012年8月31日にブンデスリーガ1部の1.FSVマインツ05に移籍。

2014年10月13日、出場機会を求めてウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCに移籍した[2]

2015年5月にウェスタン・シドニー・ワンダラーズを退団した。

2015年9月、イスラエルのベイタル・エルサレムに移籍した[3]

2016年6月8日、マッカビ・ハイファに移籍した。2019-20シーズンは22得点、2020-21シーズンは19得点を挙げ、2シーズン連続でリーグ得点王となった。

代表

ルカヴィツヤはウクライナ代表オーストラリア代表のどちらかを選ぶ権利を有していたが、2008年夏にオーストラリアの北京五輪代表に選ばれたのを機にオーストラリア代表を選択。北京五輪ではグループリーグの3戦ともに出場した。

2009年8月、アイルランドとの親善試合でスコット・マクドナルドと交代出場してA代表デビューを果たした。

2010 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、南アフリカ大会のオーストラリア代表の最年少選手となった。グループリーグ初戦のドイツ戦と第2戦のガーナ戦に途中出場した。

2012年11月14日の韓国との親善試合で代表初得点を挙げた。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 21試合 1得点(2009年-2021年)[4]


オーストラリア代表 国際Aマッチ
出場 得点
2009 1 0
2010 6 0
2011 0 0
2012 3 1
2013 3 0
2014 0 0
2015 0 0
2016 0 0
2017 3 0
2018 2 0
2019 0 0
2020 0 0
2021 3 0
通算 21 1

タイトル

クラブ

FCトゥウェンテ
ヘルタ・ベルリン
マッカビ・ハイファ
ハポエル・ベエルシェバFC

脚注

  1. ^ Cahill and Rukavytsya Win Inaugural PFA Footballer of the Year Awards
  2. ^ ウェスタンシドニー、マインツから豪州代表FWを獲得
  3. ^ Rukavytsya signs with Israeli club”. www.fourfourtwo.com/au/. FourFourTwo (2015年9月6日). 2015年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月1日閲覧。
  4. ^ ニキータ・ルカヴィツヤ - National-Football-Teams.com

外部リンク




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