リチャード・ガルシアとは? わかりやすく解説

リチャード・ガルシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/21 08:42 UTC 版)

リチャード・ガルシア
名前
ラテン文字 Richard Garcia
基本情報
国籍 オーストラリア
生年月日 (1981-09-04) 1981年9月4日(43歳)
出身地 パース
身長 180cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW (WG)
ユース
オリンピック・キングスウェイSC
1997–1999 ウェストハム
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2004 ウェストハム 16 (0)
2000 レイトン 18 (4)
2004-2007 コルチェスター 82 (16)
2007-2012 ハル・シティ 114 (8)
2012-2013 メルボルン・ハート 24 (6)
2013-2014 シドニー 23 (6)
2014 ミネソタ・ユナイテッド 2 (0)
2014-2017 パース・グローリー 58 (5)
代表歴
2003 オーストラリア U-23 2 (0)
2008-2012 オーストラリア 17 (2)
監督歴
2018-2020 パース・グローリーFCU-23
2020- パース・グローリーFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

リチャード・ガルシア(Richard Garcia, 1981年9月4日 - )は、オーストラリアパース出身の元同国代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW (WG)。

ガルシアは以前、ウェストハム・ユナイテッドFCレイトン・オリエントFCコルチェスター・ユナイテッドFCハル・シティAFCでプレーした。また、下部リーグに所属する地元パースバルカッタSC英語版でプレーした。[1]

経歴

ウェストハム

ガルシアは、パースで生まれると、当初ガルシアの兄を見に来ていたウェストハム・ユナイテッドFCのスカウトに見つけられ、15歳の時にクラブのアカデミーに参加するためオーストラリアからイングランドへ移住した。1998年9月にプロ契約を結んだ。1998-99シーズンに、FAユースカッププレミアユースリーグの2冠をジョー・コールマイケル・キャリックらと共に達成。ユースカップでは、決勝を含め全ラウンドでゴール(合計8ゴール)をした。[2]2000年8月に、同じロンドンをホームとするレイトン・オリエントFCへレンタル移籍し、そこでリーグとカップ戦合わして21試合4ゴールを記録した。[3]2000年11月にレンタルから戻るも膝の靭帯を負傷してしまい、そのままシーズンを終えた。[4]2001年9月にリーグカップのアウェーレディングFC戦でファーストチームデビューを果たしたが、レギュラー確保は出来なかった。2003年にチャンピオンシップへ降格した後は1試合しか出場出来ず、2004年にコルチェスター・ユナイテッドFCへ移籍した。ウェストハムではリーグ戦で合計16試合に出場した。[3]

コルチェスター

2004年9月に移籍金非公開でコルチェスター・ユナイテッドFCへ加入すると、同月のスウィンドン・タウンFC戦で移籍後デビューをした。このシーズンは30試合6ゴールを記録した。[3]次のシーズンになると、フットボールリーグ1の舞台でチームは2位になり昇格するうえで重要な役割を果たし、FAカップ5回戦ではプレミアリーグ王者のチェルシーFC相手に敗北したものの、ガルシアのクロスからリカルド・カルヴァーリョのオウンゴールを誘い1点を入れた。[5]2006年3月、膝に手術を必要とするほどの怪我を負ったため途中でシーズンアウトした。[6]シーズン終了後にクラブと新たに契約を結んだ。[7]2006-07シーズン開幕戦である2006年8月のバーミンガム・シティFC戦でクラブのシーズン最初のゴールを決める[8]と、最終的に36試合7ゴールを記録[3]し、クラブを昇格プレーオフ決勝まで押し上げた。[9]ガルシアは、コルチェスター・で全シーズン全大会合わせ96試合21ゴールを記録した。[3]

ハル・シティ

コルチェスター側から新たな契約の申し出があったにもかかわらず、2007年7月2日にボスマン判決に則りフリー移籍でハル・シティAFCと3年契約を結んだ。[10]2007年8月のプリマス・アーガイルFC戦で移籍後リーグ戦デビューをすると、次戦のクルー・アレクサンドラFC戦で初ゴールを決め3-0と勝利した。[11]2008年4月に肩を負傷したにもかかわらず、中心選手として2007-08シーズンにクラブを昇格プレーオフへと押し上げた。[12]このシーズンの注目すべきハイライトは、3月のバーンリーFC戦で35ヤードものシュートで、クラブのゴール・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。2008年5月の昇格プレーオフ決勝ブリストル・シティFCに勝利し、ガルシアは久しぶりにプレミアリーグの舞台へと戻ることになった。2008年8月16日の開幕戦フラムFC戦でベストポジションの右WGでスタメン出場した。次戦のイーウッド・パークでのブラックバーン・ローヴァーズFC戦では、ジェイソン・ロバーツに決められ一旦はリードされるも、2分後に同点ゴールを決め1-1で引き分けた。

2009年7月31日に膝の靭帯を断裂し、最低3ヶ月離脱することになった。[13]2010年11月12日、2-0と勝利したディープデイルでのプレストン・ノースエンドFC戦で、プレミア復帰2シーズン目のゴールを決めた。[14]

1年間の延長オファーがあったものの、2011年5月13日に全治9ヶ月もの十字靭帯を負傷したため撤回された。2011年12月10日のコヴェントリー・シティFC戦で、怪我から復帰し1-0で勝利した。

メルボルン.H

2012年8月23日にAリーグメルボルン・ハートFCと1年契約を結んだ。[15]

シドニー

2013年8月16日シドニーFCに移籍した。

ミネソタ・ユナイテッド

2014年5月3日ミネソタ・ユナイテッドFCに移籍した。

パース・グローリー

2014年7月8日パース・グローリーFCに移籍した。2017年5月14日、パース・グローリーを退団し、現役引退を表明した。

代表

代表でウォーミングアップするガルシア

2008年4月に、オーストラリアのサン・ヘラルド紙のインタビューでアテネオリンピックの代表候補だったが、大会前に怪我で出場出来ず、それ以降オーストラリア代表で招集されず、再びサッカールーズ(オーストラリア代表の愛称)でプレーしたいことを語った[16]。また、インタビュアーのマシュー・ホール記者は右MFにマーク・ブレッシアーノミル・ステリョフスキーがいるとはいえ、厳しいリーグでレギュラーを務めてきたガルシアをピム・ファーベーク代表監督はチェックすべきと指摘した[16]。2008年8月19日、ロンドンにあるロフタス・ロードでの2-2と引き分けた南アフリカ代表との親善試合で、後半から出場しA代表デビューをした。2-1で勝利したオランダ代表との親善試合で再び途中から出場し、2キャップ目を記録した。2010 FIFAワールドカップメンバーに選ばれ、2010年6月13日、ハル・シティAFC史上初のFIFAワールドカップでプレーする選手となった[17]AFCアジアカップ2011のメンバーにも選出されたが、膝の負傷で出場を断念した。2012年12月7日の東アジアカップ2013予選のグアム代表戦で代表初得点を挙げた。

プライベート

両親がスペイン語を話すため、ガルシア本人もスペイン語を流暢に話すことが出来、レアル・マドリードのファンである。イングランド代表マイケル・キャリックとはウェストハム・ユナイテッドFCのユース時代から2004年に2人が移籍する(キャリックはトッテナム・ホットスパーFCへ)まで共にプレーした友人で、お互いの結婚式に招待するほど仲が良い。また、兄のマイケル・ガルシア英語版もサッカー選手だった。

所属クラブ

レイトン・オリエントFC 2000 (loan)

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 17試合 2得点(2008年-2012年)[18]


オーストラリア代表 国際Aマッチ
出場 得点
2008 2 0
2009 3 0
2010 8 0
2011 0 0
2012 4 2
通算 17 2

脚注

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