小川佳純とは? わかりやすく解説

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小川佳純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 23:44 UTC 版)

小川 佳純
名前
愛称 ズミ
カタカナ オガワ ヨシズミ
ラテン文字 OGAWA Yoshizumi
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1984-08-25) 1984年8月25日(40歳)
出身地 東京都杉並区
身長 173cm
体重 67kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
宝陽幼稚園
0000-1996 三菱養和SSジュニア
1997-1999 三菱養和SSJr.ユース
2000-2002 市立船橋高校
2003-2006 明治大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2016 名古屋グランパス 286 (36)
2017 サガン鳥栖 5 (0)
2017 アルビレックス新潟 (loan) 10 (1)
2018-2019 アルビレックス新潟 26 (2)
通算 327 (39)
監督歴
2020-2022 FCティアモ枚方
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小川 佳純(おがわ よしずみ、1984年8月25日 - )は、東京都杉並区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションミッドフィールダー

来歴

プロ入り前

東京都杉並区にある宝陽幼稚園でサッカーを始める[1][2]。宝陽幼稚園サッカー部の先輩Jリーガーの山田卓也南雄太三田光に次ぐ4人目のプロサッカー選手。杉並区立富士見丘小学校3年の時に三菱養和SC千歳船橋スクールに入団[1]。中学進学前にヴェルディジュニアユースのセレクションを受けたが選考不通過となったため、三菱養和ジュニアユースでプレーを続けた[1]。3年次に初の全国大会となったクラブジュニアユース選手権でベスト8を経験[1]

高校は船橋市立船橋高等学校に進学。第57回国民体育大会少年の部で優勝、第81回全国高校サッカー選手権大会で優勝を経験したときの決勝戦で唯一の得点を挙げた。当時のチームメイトに青木良太大久保裕樹小宮山尊信原一樹、1学年後輩に増嶋竜也カレン・ロバート鈴木修人佐藤優也がいる。高校卒業後は明治大学商学部に進学した。大学時代の同期には、福田健介森賢一がいる。大学でもレギュラーとして活躍し、関東大学選抜にも選ばれた[1]。在学中に名古屋グランパスエイトサガン鳥栖から練習帯同のオファーがあり練習に参加[1]、鳥栖からは良い返答がなかったが名古屋からは再度の練習参加のオファーが届き[1]2006年11月、名古屋とプロ契約。

クラブ経歴

名古屋グランパス

2008年の名古屋グランパス[3]

2011年終盤の名古屋グランパス[3]

ルーキーイヤーの2007年、J1第22節大宮アルディージャ戦で初出場を果たし、J1第27節柏レイソル戦で初得点を挙げた[4]。リーグ戦11試合に出場、2得点を挙げた。

2008年、新監督のドラガン・ストイコビッチによって右サイドハーフでレギュラー起用され、アシストだけではなく自ら得点に絡み、FW以外では最多となる11得点を挙げた[5]。同年夏には日本代表の強化合宿にも参加している。リーグ戦11得点11アシストを記録し、優秀新人賞に選ばれた。同年にプロ入りした大学の2年後輩の長友佑都、市立船橋高校時代の同期生の原一樹も優秀新人賞に選ばれ、近しい3人で新人王を争い小川が新人王を獲得した。また、小川はJリーグベストイレブンとのダブル受賞であった。

2009年には背番号が10に変更されるが、試合で激しいマークを受ける機会も増したことや、チームの不調もあり序盤から前年のようなプレーができなかった。5月24日のジュビロ磐田戦では2回の警告を受け累積退場となるが、これは小川自身だけではなく、ストイコビッチ監督下のチームにおいても初めての退場であった[6]ケネディ闘莉王ダニルソンらが加入した2009年終盤から2011年中盤にかけては、個人の能力を生かすことを目的に4-3-3が導入されてクラブは最盛期を迎えるが、連動した動きを得意とする小川は不調に陥る[7]

2011年中盤にシステムが4-2-3-1に変更されると、玉田圭司藤本淳吾らとともに2列目に配された小川は[3]、得意とする連動した動きを求められたことで復調しチーム自体も調子を上げ、最終的に勝点差1の2位でシーズンを終えた[7]。しかし翌2012年は主力選手の離脱により主力選手以外の練度不足という問題が露呈していき、主力選手のスタミナ面の陰りなどの要因から2013年以降は成績が下降[8][9]。ストイコビッチ退任後の監督にも小川は起用され続けチームを支えたが[10]、2016年にはクラブ史上初のJ2降格を喫することとなる。

2016年11月10日、竹内彬らとともにシーズン終了後の契約満了に伴う退団が発表された[11]

サガン鳥栖・アルビレックス新潟

2016年12月16日、サガン鳥栖へ入団が発表された[12]。しかし鳥栖ではリーグ戦での出場機会に恵まれず、2017年8月にアルビレックス新潟期限付き移籍[13]

2017年11月26日、史上97人目となるJ1通算300試合出場を達成する[14]。2018年から新潟へ完全移籍し[15]、同年8月にキャプテンであった磯村亮太V・ファーレン長崎へ移籍したことに伴い後任のキャプテンに選出され[16]、同年末まで務めた。2019年末に契約満了により新潟を退団した[17]

指導者時代

2020年1月、現役引退とFCティアモ枚方の監督就任が発表された[18][19]。就任1年目ながら、チームを関西サッカーリーグ初優勝に導き、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2020では、一次ラウンドを2勝1分の首位で通過。決勝ラウンドは1勝2分・勝点5で3チームが並んだものの得失点差で優勝し、チームの日本フットボールリーグ(JFL)昇格へと導いた。2022年9月26日、FCティアモ枚方の監督を退任[20]

2023シーズンよりサガン鳥栖のトップチームコーチに就任が発表された[21]。2024年12月、同年限りでの退任が発表された[22]

2025年、明治大学体育会サッカー部のコーチに就任した[23]

評価

2008年にストイコビッチ監督に抜擢され活躍したことで、「ピクシーの後継者」とも呼ばれたが、小川自身は「プレースタイルが違う」と否定している[24][25]。2008年J1第31節で対戦した柏レイソル石崎信弘監督は試合終了後に「小川は本当にうまいねぇ、なんで代表に呼ばんのかねぇ」とコメント、そのプレーぶりに賛辞を送った[26]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
2007 名古屋 29 J1 11 2 2 0 2 0 15 2
2008 33 11 9 2 3 0 45 13
2009 10 33 3 2 1 5 0 40 4
2010 34 2 6 0 2 1 42 3
2011 34 3 2 0 3 1 39 4
2012 31 1 2 0 4 2 37 3
2013 33 9 4 0 1 0 38 9
2014 25 3 4 2 4 1 33 6
2015 32 1 4 1 0 0 36 2
2016 20 1 6 0 1 0 27 1
2017 鳥栖 20 5 0 4 0 1 0 10 0
新潟 40 10 1 - - 10 1
2018 J2 21 2 0 0 1 0 22 2
2019 5 0 - 1 0 6 0
通算 日本 J1 301 37 45 6 26 5 372 48
日本 J2 26 2 0 0 2 0 28 2
総通算 327 39 45 6 28 5 400 50
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2009 名古屋 10 10 5
2011 7 0
2012 5 0
通算 AFC 22 5

代表歴

  • 2008年 日本代表候補

指導歴

タイトル

選手時代

名古屋グランパス
個人

監督時代

FCティアモ枚方

脚注

  1. ^ a b c d e f g Jリーグ選手協会 (2008年12月5日). “PLAYER'Sヒストリー 小川佳純”. 2009年6月25日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ 宝陽幼稚園 to be continued... 2011年1月20日付
  3. ^ a b c 名古屋グランパス (クラブ情報)”. サッカー様. 2021年4月20日閲覧。
  4. ^ 名古屋グランパス. “選手データ 小川佳純”. 2009年6月25日閲覧。
  5. ^ スポニチ アネックス. “2008年 J1得点ランキング”. 2009年6月25日閲覧。
  6. ^ 中日スポーツ (2009年6月4日). “<2年目のPIXY>8 MF小川佳純、リフレッシュして出直し必ず”. 2009年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月25日閲覧。
  7. ^ a b 西川結城 (2020年5月18日). “私のJ最強クラブ。ピクシーも言う。「11年名古屋こそ優勝すべきだった」”. Number Web. 2021年4月15日閲覧。
  8. ^ スポルティーバ (2013年3月20日). “【Jリーグ】2012年、グランパスのサッカーは崩壊していた”. 2013年6月7日閲覧。
  9. ^ 今井雄一朗 (2013年12月13日). “ストイコビッチ名古屋の軌跡と功罪 幸せだった“妖精”との6年間”. Yahoo!スポーツ. 2021年4月7日閲覧。
  10. ^ 名古屋グランパス、5年間の歴代フォーメーション。西野朗、小倉隆史、風間八宏、三者三様の苦戦の爪痕”. FOOTBALL CHANNEL (2020年3月25日). 2021年4月9日閲覧。
  11. ^ 名古屋グランパス (2016年11月10日). “契約満了選手のお知らせ”. 2016年11月10日閲覧。
  12. ^ 小川佳純選手 完全移籍加入のお知らせ”. サガン鳥栖 (2016年12月16日). 2017年1月23日閲覧。
  13. ^ サガン鳥栖から小川 佳純選手 期限付き移籍加入のお知らせ”. アルビレックス新潟 (2017年8月12日). 2017年8月12日閲覧。
  14. ^ 2017明治安田生命J1リーグ 第33節 小川 佳純 選手(新潟)J1通算300試合出場達成”. Jリーグ.jp (2017年11月26日). 2017年12月1日閲覧。
  15. ^ サガン鳥栖から小川 佳純選手 完全移籍加入のお知らせ”. アルビレックス新潟 (2017年12月25日). 2017年12月25日閲覧。
  16. ^ トップチーム 2018シーズン 新キャプテン決定のお知らせ”. アルビレックス新潟 (2018年8月1日). 2018年8月1日閲覧。
  17. ^ 契約満了選手のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2019年11月22日https://www.albirex.co.jp/news/58498/2019年11月24日閲覧 
  18. ^ 小川 佳純 選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)アルビレックス新潟、2020年1月17日https://www.albirex.co.jp/news/58694/2020年1月17日閲覧 
  19. ^ 【チーム情報】小川 佳純氏 監督 就任のお知らせ』(プレスリリース)FCティアモ枚方、2020年1月17日https://www.fctiamo.net/【チーム情報】小川-佳純氏-監督-就任のお知らせ/2020年1月17日閲覧 
  20. ^ 小川佳純監督の退任について』(プレスリリース)FCティアモ枚方、2022年9月26日https://www.fctiamo.net/2022/09/161792022年9月26日閲覧 
  21. ^ 小川佳純氏 コーチ就任のお知らせ』(プレスリリース)サガン鳥栖、2022年12月1日https://www.sagan-tosu.net/news/p/6815/2022年12月1日閲覧 
  22. ^ コーチングスタッフ 退任のお知らせ』(プレスリリース)サガン鳥栖、2024年12月14日https://www.sagan-tosu.net/news/p/36366/2022年12月17日閲覧 
  23. ^ 明治大が池上寿之監督、小川佳純ヘッドの新体制を発表!東京V副社長転身の栗田大輔前監督はアドバイザーに”. ゲキサカ (2025年1月12日). 2025年1月12日閲覧。
  24. ^ 中日スポーツ (2008年6月13日). “<Pixyスタイル>4 小川佳純 戦術に不可欠な精密ロング”. 2009年6月25日閲覧。
  25. ^ 中日スポーツ (2008年4月6日). “小川2アシスト ピクシー後継者だ”. 2009年6月25日閲覧。
  26. ^ 週刊サッカーマガジン 2008年11月25日号[要ページ番号]

関連項目

外部リンク





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