赤城山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 16:57 UTC 版)
気候・気象
冬期の関東平野に吹く特有の北風「空っ風」を、群馬県平地部では赤城颪(あかぎおろし)と呼ぶ。この語源は赤城山の方角から吹くため。上毛かるたの読み札には『雷(らい)と空風(からっかぜ) 義理人情』とあり、群馬県を語る上で空っ風の存在は外せない。
伝説・伝承
日光市・男体山の北西麓の戦場ヶ原には、男体山の神と赤城山の神がそれぞれ大蛇と大ムカデになって戦い、男体山の神が勝利をおさめた、という伝説がある。赤城山の北にある老神温泉の地名は、このとき落ち延びた神が追われてやってきたことに由来するといわれ、「アカギ」という山名も神が流した血で赤く染まったことから「赤き」が転じたという説もある。戦場ヶ原で負けた赤城山の神は老神温泉で傷を癒した後に男体山の神を追い返したという。
また、開湯伝説では、赤城山の神が大蛇、男体山の神が大ムカデとなっており、大蛇が勝利したという説になっている。
江戸川沿いにある千葉県流山市には、赤城神社の祀られた小山があり、大洪水の際に赤城山の山体の一部が流れてきたものだ、という伝説がある。「流山」という地名はこれに由来するという。
万葉集においては「賀美都家野 久路保乃祢呂乃 久受葉我多 可奈師家兒良尓 伊夜射可里久母(かみつけの くろほのねろの くずはがた かなしけこらに いやざかりくも)」(十四東歌3412)と詠まれている。
赤城山といえば、上州の侠客・国定忠治で有名であり、明治、大正、昭和初期に講談や新国劇の題材として大人気だった。国定忠治の一節「赤城の山も今宵限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い乾分(こぶん)の手前(てめえ) たちとも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」の台詞で、この山の名前が全国に広がった。忠治に因んでか赤城山の岩穴で賭場が開帳された時代があったが、明治時代に取り締まりの強化で一掃されている[29]。
観光
観光自然
観光施設
- 赤城公園ビジターセンター
- 赤城山総合観光案内所・新坂平売店(前・群馬県エネルギー資料館)
- 赤城神社 - 山頂・山麓にある神社
- 赤城山スキー場
- 白樺牧場
- サントリービア・バーベキューホール(赤城登山鉄道・赤城山頂駅跡)
登山道
複数の山頂に登るため登山コースがいくつかある。
- 黒檜山・駒ヶ岳へのコース
- 大沼湖畔から2つの登山口があり、尾根を通り駒ヶ岳山頂および黒檜山へ行ける。ただし、黒檜山頂手前で大沼から登る道と駒ヶ岳への分岐がある。大沼の黒檜側登山口・黒檜間は1時間半ほど、黒檜から駒ヶ岳までと駒ヶ岳から大沼駒ヶ岳側登山口まではそれぞれ1時間弱である。
- 鈴ヶ岳へのコース
- 大沼の西にある白樺牧場の駐車場に登山口があり、鍬柄山を経ておよそ1時間で鈴ヶ岳山頂へ至る。山頂は行き止まりで同じ道を戻ることになる。
- 鍋割山・荒山コース
- 長七郎山・小地蔵コース
など
注釈
- ^ 赤城山は黒檜山など、いくつかの山の総称であり、裾野の長さはその総称としての値である。
- ^ 上毛かるたのすには、赤城山の裾野の長さが2番めに長いということが書かれている。
- ^ 上毛かるたに「雷と空風」などと詠まれるように、雷は群馬県の特徴の一つとみなされている。実際、渡良瀬川方面の雷雨は赤城山から生じることが多い[2]。
- ^ 「嵓秀(くろほ)」の字をあてるとも[4]「嵓」は「巖」(巌)の異字体。
- ^ このとき同時に「伊賀保神」=榛名神社にも従五位下が与えられている。(『続日本後紀』巻八、承和六年(八三九)六月壬申条)
- ^ 地方によっては「大ムカデ」と「大蛇」が入れ替わり、赤城山が大蛇で二荒山が大ムカデとも。
- ^ 現存するのは、前橋市の「富士見町赤城山」(1960年〈昭和35年〉設置)、桐生市の「新里町赤城山」(1950年〈昭和25年〉より)、渋川市の「北橘町赤城山」(1954年〈昭和29年〉より)がある。またかつては敷島村・横野村に「赤城山」(1942年〈昭和17年〉 - 1956年〈昭和31年〉)があったが、両村が合併し赤城村となった際に同名回避のため「北赤城山」「南赤城山」と改名し、現在は「渋川市赤城町北赤城山」・「同市赤城町南赤城山」となっている。
- ^ a b オトギの森湖を消失させたのはガラン沢という西側の流れ。小沼を縮小させたのは現在も小沼と繋がる東側の流れである。
- ^ 群馬県内の小学校では、運動会の組分けを、上毛三山の名前を用いて「赤城団」、「榛名団」、「妙義団」の3組とし、対抗させることが多い。かつては「浅間団」(浅間山に由来)または「白根団」(白根山に由来)を含める場合もあったが、少子化の影響で4組対抗が困難になっている。
出典
- ^ 富士山に次いで日本では2番目に裾野が長い山は?じゃらん2021年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 平凡社『日本歴史地名大系』「10 群馬県の地名」、1987年、pp.476-477「赤城山」
- ^ a b c d 『なるほど赤城学-赤城山の自然と歴史・文化』、pp.19-20「第3章 赤城山の名前」「くろほの嶺」
- ^ a b c d ナカニシヤ出版『改訂 新日本山岳誌』、日本山岳会編、2016年。pp.632-633「赤城山」
- ^ a b 『なるほど赤城学-赤城山の自然と歴史・文化』、pp.13-14「赤城神社の社歴」
- ^ 『なるほど赤城学-赤城山の自然と歴史・文化』、p.21「第3章 赤城山の名前」「赤城の名前の登場」
- ^ 岩沢正作『赤城山大観』毛野研究会、1932年10月30日、81頁。
- ^ a b c d 『なるほど赤城学-赤城山の自然と歴史・文化』、pp.21-23「第3章 赤城山の名前」「赤城の名前の由来」
- ^ a b 三省堂『日本山名事典』、編/石井光造・徳久球雄・武内正、2004年。p.8「あかぎやま」
- ^ a b 人文社「県別シリーズ8郷土資料事典 群馬県・観光と旅」、1991年、pp.31-32「赤城山」
- ^ 五十嵐誠祐・柳井久雄、『赤城山の文学碑』、上毛新聞社、1997年、pp.70-75「赤城の神と日光の神のたたかい」
- ^ 富士見村誌編纂委員会『富士見村誌』富士見村役場、昭和29-11-23、36頁。
- ^ 勢多郡誌編纂委員会『勢多郡誌』勢多郡誌編纂委員会、1958年3月30日、49頁。
- ^ “コトバンク 赤城山”. 2016年10月9日閲覧。
- ^ a b c 栗原久『なるほど赤城学-赤城山の自然と歴史・文化』上毛新聞社、2007年、p.6「あかぎやま・あかぎさん?」
- ^ 県立赤城公園 群馬県環境森林部自然環境課サイト
- ^ 角川書店『角川日本地名大辞典 10 群馬県』、p.67「赤城山」
- ^ 上毛新聞社『群馬新百科事典』、p.10「赤城山」
- ^ 山と渓谷社『分県登山ガイド10群馬県の山』、編著・太田ハイキングクラブ、2016年、p.70「黒檜山」
- ^ 上毛新聞社、『まるごとガイド ぐんま百名山』、2007年(初版1刷)、2016年(初版4刷)、p.8
- ^ 国土地理院公式サイト、日本の主な山岳標高、群馬県の山、2023年5月5日閲覧。
- ^ “赤城山”. 気象庁. 2016年10月9日閲覧。
- ^ “近藤酒造株式会社”. 近藤酒造. 2016年10月9日閲覧。
- ^ “コトバンク 赤城山(日本酒・本格焼酎・泡盛銘柄コレクション)”. 2016年10月9日閲覧。
- ^ 山と渓谷社『世界山岳百科事典』1971年、pp.7-8「赤城山」
- ^ 早川由紀夫「赤城山は活火山か?」(1999年地球惑星関連学会合同大会 As-012)(当該大会予稿集PDF)
- ^ 中央防災会議-災害教訓の継承に関する専門調査会『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(第3期)』「1947 カスリーン台:4章 山間部の土砂災害、特に渡良瀬川流域について」2010年(PDF)
- ^ 『宮城村誌』(主著・尾崎喜左雄、1973年)
- ^ 『赤城山名勝案内』5 - 6ページ。
- ^ “創業明治26年 元祖カリカリ梅の開発メーカー | 赤城フーズ株式会社”. 創業明治26年 元祖カリカリ梅の開発メーカー | 赤城フーズ株式会社. 2020年5月31日閲覧。
赤城山と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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