朝鮮放送協会 前史

朝鮮放送協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 02:16 UTC 版)

前史

日本のラジオ放送は1925年東京大阪名古屋で開始され、1926年には社団法人日本放送協会(現在の特殊法人日本放送協会(NHK)の前身)が設立された。朝鮮総督府逓信局でも1924年2月にラジオ放送に関する調査研究に着手し、同年11月には京城(現在のソウル特別市)の逓信局施設から日本語による実験放送を開始した(呼出符号J8AA)。また、同年12月、朝鮮語による新聞を発行していた朝鮮日報社でも、朝鮮語によるラジオ放送の実験を公開した。さらに、1925年6月になると逓信局でも朝鮮語による実験放送を開始し、日本人朝鮮人両者からラジオ放送開始への期待が高まった。

創設

1926年2月、「京城放送局創立準備委員会」が社団法人設立と放送用私設無線電話施設許可を申請し、同年11月には「社団法人京城放送局」の設立が、同年12月には放送用私設無線電話施設が許可された。京城放送局の呼出符号は「JODK」で、これは「日本で4番目に許可された放送局」という意味をもつ。当時の逓信省は「JO××」の呼出符号を内地用に保留し、外地については朝鮮に「JB××」、台湾に「JF××」、関東州に「JQ××」を割り当てる意向をもっていたため、京城放送局への「JODK」の付与を求める朝鮮総督府と逓信省が対立したが、最終的に、無線局の許認可権限をもつ朝鮮総督府逓信局の判断により「JODK」の割り当てが決定された。京城放送局は1927年1月に試験放送を開始、同年2月16日に本放送を開始した。放送対象区域は朝鮮一帯、波長345m(周波数870kc)、出力1kW、放送編成は日本語5、朝鮮語5の比率による交叉放送であった。ところが、出力が小さいため受信状態が悪く、また聴取料が月2円と高額であったこと等から、聴取契約数は思うように伸びなかった。その後、1927年7月には放送編成を日本語6、朝鮮語4の比率に変更、同年10月には聴取料を月1円に引き下げ、更に1929年3月には日本本土(内地)からの番組中継を増加させ、放送編成比率を日本語7、朝鮮語3に変更したが、開局から4年を経過しても聴取契約数は約1万1千件に留まっていた。

朝鮮語による第2放送

社団法人京城放送局では経営不振を打開するために、1931年2月、朝鮮語専用の第2放送の実施計画に着手し、途中、朝鮮総督府と社団法人日本放送協会の経済的・技術的支援を受け、1932年4月には経営母体も「社団法人朝鮮放送協会」に改組(京城放送局は京城中央放送局に改称)しながら、第1放送(日本語)の増力と第2放送の新設を果たした。第2放送の開始は1933年4月、日本語と朝鮮語を分離した放送は日本人・朝鮮人の双方に好評で、同年末の聴取契約数は3万2千件に達したが、主に日本人世帯の聴取契約数が増加した。当時、ラジオ放送を聴取するためには月額1円と言うやや高額な聴取料が必要(1938年4月、75銭に引き下げ)であり、貧困層の多い朝鮮人世帯にはなかなか普及しなかった。加えて、あまり送信出力が大きくない京城中央放送局1局からの放送を朝鮮全土に到達させるのは、地形的にも困難であった(1937年4月、第2放送が出力50kWに増力し全土で聴取可能になる)。しかし、ラジオは個人の家庭以外にも、食堂喫茶店、農村の集会所等、人がよく集まる所に設置されており、聴取者数は決して少なくなかった。1920年代の朝鮮語新聞とともにこのラジオ放送が近代朝鮮語の確立に与えた影響は小さくないと言われている。ところが、朝鮮語による放送は朝鮮での日本語の普及、皇民化を妨げるという主張が後を絶たず、朝鮮語放送廃止論がしばしば台頭した。日中戦争が長期化し、更に太平洋戦争が勃発すると、内地(日本本土)同様に朝鮮の放送も戦時色が強くなり、第2放送で人気のあった歌謡番組も戦意高揚歌ばかりとなった。1942年4月、放送電波管制のため京城中央放送局からの第2放送は一時休止されたが、地方局にも第2放送設備を新設して、1943年11月に再開された。







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