日本改造法案大綱 日本改造法案大綱の概要

日本改造法案大綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/02 18:34 UTC 版)

日本改造法案大綱
(にほんかいぞうほうあんたいこう)
国家改造案原理大綱
(こっかかいぞうげんりたいこう)
著者 北一輝
発行日 1923年(大正12年)5月9日
発行元 改造社西田税内務省警保局保安課、みすず書房筑摩書房ビデオ出版書肆心水
日本
言語 日本語
公式サイト NDLJP:1273534
コード ISBN 4-622-02022-X
ISBN 4-902854-07-4
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1911年明治44年)、中国の辛亥革命に、宋教仁など中国人革命家と共に身を投じた北は、世界大戦終了後の1919年8月上海にて『国家改造案原理大綱』を起草したが、9月1日発売を禁止された後、1920年大正9年)12月31日に帰国し、その禁書を基に1923年(大正12年)に改造社から出版した著作である。官憲により検閲され一部削除され行数のみ示して公刊された。

言論の自由、基本的人権尊重、華族制廃止(貴族院も廃止)、北の言うところの「国民の天皇」への移行、農地改革普通選挙、私有財産への一定の制限(累進課税の強化)、財閥解体皇室財産削減、労働者の権利確保、労働争議ストライキの禁止、オーストラリアシベリアを戦争によって獲得することなどを求めていた。

この北の主張に感化された若手将校たちによる二・二六事件により、北は、事件への直接の関与はないが[注釈 1][注釈 3]、理論的指導者の内の一人とみなされ、1937年昭和12年)に処刑された。


注釈

  1. ^ 京都大学名誉教授で北一輝の思想に関する研究などで知られる宮本盛太郎らの研究で、北は、計画自体を事前に知っていたこと、首謀者の一人とされた陸軍少尉の西田税らに対して時期尚早であると慎重な態度を取っていたが、結局、彼らを説得できなかったこと、この事件を指揮・先導する等の直接関与は行っていないことなどが示された[1][2]
  2. ^ 二・二六事件首謀者の一人とされ1936年(昭和11年)7月12日死刑となる。
  3. ^ 事件に先立ち、電話で、「マル(金)は大丈夫か」(活動・行動資金は十分か)と、陸軍大尉・安藤輝三[注釈 2]へかけた「北の声とされる音声」が、関東戒厳司令部に録音盤(盗聴した音声のレコード)として残されていた。その盗聴された会話の中で、安藤は「(金は)まだ大丈夫です」と返答している。しかし、北の逮捕後の証言などから、電話をかけたのは北ではなく、安藤に対し、カマをかけようとした憲兵ではないか、と言われていたが、後に、作家・中田整一(元NHKプロデューサー)の調査によって、この通話は、何者かが北の名を騙(かた)って、安藤にかけたものであることが検証されている[3]。なお、1979年1988年、NHKで放送した中田の“二・二六事件2作品”は放送・報道関係の賞を3つ受賞している。 現在、NHKなど放送においても、このレコードの声を、「北の声とされる音声」と紹介するにとどめ、「北の声」とは断定していない。

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