日仏関係 現在の日仏関係

日仏関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 22:05 UTC 版)

現在の日仏関係

フランスのジャック・シラク大統領。

近年のフランスは、日本との通商面や文化面での交流を強めている。一部ではこの関係が強まったことはフランスのジャック・シラク元大統領が親日家であったためとの見方を持っている。シラク大統領は、国家元首としては最多とされる40回以上の訪日経験を持ち、日本について精通している。フランスでは輸出奨励運動 Le Japon, c'est possible (ル・ジャポン・セ・ポシブル、日本語で「日本、それは可能である」)が行われ、人材交流としては外国語青年招致事業も盛んである。このほか、パリ日本文化会館も開設されている。

ただし、シラク大統領の日本への傾倒には反対派からの批判が強く、上記の秘密口座疑惑に加え隠し子の存在も噂として流される事態となった。この反動もあり、保守派の国民運動連合から2007年フランス大統領選挙に勝利しながらシラクへの批判を続けていたニコラ・サルコジが2004年、「日本の相撲は知的なスポーツでは無い。」と語ったとして日本の平林博駐フランス大使に釈明する事態を招き、同大統領選挙の決選投票で敗れたセゴレーヌ・ロワイヤルも日本のアニメに対して暴力的で性表現が多いという批判を続けるなど[31]、クレッソンの「アリ発言」に続いてフランス社会党の有力政治家による日本への厳しい姿勢が報じられた。一方でフランス国民戦線のナンバー2(全国委員)を長く勤めたブルーノ・ゴルニッシュは日本留学を経験して日本人と結婚するなど、特にフランス政界での対日観は非常に多様で、時として上記のような舌禍も起こる不安定さをはらんでいる。また日本の政財界でフランスへの留学・赴任経験を持つ人物は、特に第二次世界大戦後はアメリカやイギリスと比較すると少ない[32]

なお、パリ在住の文化史家でもある竹下節子もその著書のなかで、フランスは日本が歴史上主要国のなかで直接戦火を交えていない国であることを指摘している[33]。ただし、実際には第二次世界大戦末期の明号作戦で日本軍がフランス領インドシナ軍と交戦しこれを制圧している他、フランス艦隊は下関戦争にも参加している。

分野別

国際協力

国際協力の分野では、フランスと日本は共同でジブチマダガスカルウガンダなどの国でのHIVや発育不全といった危機的な健康問題にも取り組んでいる。しかし、フランスがヨーロッパ連合に同化するにつれ、日本を含むヨーロッパ以外の国々との関係が疎かになりつつある。

文化

日本とフランスでは相互に芸術と料理の分野で影響し合っている。日本では、テレビ番組である「料理の鉄人」などに見られるようにフランス料理が日本の料理界に大きな位置を占めている。フランスではアニメが人気を集めているが、外国文化の流入に対し強い警戒心を持つフランスはスクリーンクォータの一種である「ブロードバンドクオータ」を実施し[34]、テレビ局での日本製アニメの放送時間はドイツなどと比較すると少ない[35]

また、日本の娯楽においても中世ルネサンス期・ナポレオン時代・世界大戦期といったフランスの歴史的な人物や設定がモデルとなっていることもある。日本画浮世絵の純粋さと、フランスの視覚芸術の近代性と気品は、絵画という創作分野において融合されている。これは日本人にフランスへの関心や親近感を高め、その貢献を認められた池田理代子にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章が授与された事もあった。

科学技術

科学技術の分野でも日仏両国は原子力エネルギー生成の分野において緊密な協力関係を構築している。2005年6月、フランスと日本はコンコルドの後継となる次世代型超音速商業飛行機の開発で協力することを発表した[36]。これらの協力関係の一方で世界各国への高速鉄道や原子力発電所の受注では激しい競争関係にあり[37]、ITERではフランスが誘致合戦に勝利した。

スポーツ

大相撲本場所では、在日フランス大使館より日仏友好杯[38]が贈られる[39]


注釈

  1. ^ 解釈が異なる見解については、立憲君主制の項にある注釈の中の記載を参照。

出典

  1. ^ 令和2年国勢調査 人口等基本集計 結果の要約』(PDF)(プレスリリース)総務省、2021年11月30日。 オリジナルの2021年12月1日時点におけるアーカイブhttps://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11969009/www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/kekka/pdf/summary_01.pdf2022年3月9日閲覧 
  2. ^ a b フランス共和国基礎データ”. 国・地域. 外務省 (2021年3月17日). 2021年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月11日閲覧。
  3. ^ “第1章 国土・気象” (PDF). 日本の統計2022. 総務省統計局. (2022年3月). p. 2. オリジナルの2022年3月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220309042516/https://www.stat.go.jp/data/nihon/pdf/22nihon.pdf 2022年3月9日閲覧。 
  4. ^ a b Gross domestic product 2020” (PDF) (英語). 世界銀行 (2021年10月29日). 2022年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月9日閲覧。
  5. ^ a b “Trends in World Military Expenditure, 2020” (英語) (PDF). SIPRI Fact Sheet (ストックホルム国際平和研究所). (April 2021). オリジナルの2022年3月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220308094719/https://www.sipri.org/sites/default/files/2021-04/fs_2104_milex_0.pdf 2022年3月9日閲覧。. 
  6. ^ 日本は鎖国中でありカソリック国との交流は禁じられていたが、当時のフランス経済とくに海上交易においては、プロテスタントに分類されるユグノーの役割が大きかった(ユグノー#ユグノーとフランス経済史)。
  7. ^ a b キネマ旬報』1959年7月夏の特別号。
  8. ^ 難波ちづる, 国立公文書館所蔵の「サイゴン裁判」関係資料について, 北の丸:第41号 (平成20年12月)
  9. ^ また、志賀は当用漢字現代仮名遣いには嫌悪感を示していた。阿川弘之「志賀直哉」下巻P196~、新潮文庫
  10. ^ 「フランス協会復活」『朝日新聞』昭和26年10月21日
  11. ^ フランス共和国の戦犯特赦に対する感謝決議”. 参議院 (1953年2月6日). 2013年4月30日閲覧。
  12. ^ 調印当時の仮称は「フランス美術館」。
  13. ^ a b c 台東区公式サイト、「国立西洋美術館を世界遺産に」ページ内、「国立西洋美術館の生い立ち」。2017年1月8日閲覧。
  14. ^ 『スタア』1954年1月号。
  15. ^ ル・コルビュジエはスイス出身だが、長くパリで活動していた。
  16. ^ フィンセント・ファン・ゴッホの『ファンゴッホの寝室』などの一部コレクション作品は戦時賠償の結果としてフランス政府の所有権が確定。
  17. ^ 映画評論』1959年7月号。
  18. ^ 『映画ストーリー』1963年6月号、雄鶏社。
  19. ^ 「座談会 フィルムの幻影に憑かれて―アンリ・ラングロワ氏に聞く」 『映画評論』1966年5月号、82-87頁。
  20. ^ 柴田駿白井佳夫「ゴダール監督の日本の10日間」 『キネマ旬報』1966年6月上旬号、50-54頁。
  21. ^ 稲賀繁美 (2004年3月20日). “ロラン・バルト あるいは「虚構」としての日本”. 放送大学. 2023年8月22日閲覧。
  22. ^ 朝吹亮二 (2016年1月1日). “サルトル、ボーヴォワール:義塾を訪れた外国人”. 三田評論. 2023年8月22日閲覧。
  23. ^ 『映画情報』1966年12月号、国際情報社、「フランス映画祭華やかに開幕」。
  24. ^ 『映画評論』1966年12月号、81-94頁、「フランス映画は衰退したか」。
  25. ^ 東日本大震災に対するヨーロッパ諸国の対応」も参照。
  26. ^ 日本サッカー協会での登録名はフランス語読みの「ヴァイッド・ハリルホジッチ」。
  27. ^ https://iwj.co.jp/wj/open/archives/433472
  28. ^ https://the-criterion.jp/mail-magazine/m20180924/
  29. ^ 文氏「北朝鮮制裁緩和」要請2日後…仏大統領、安倍氏と「制裁強化」で一致”. 中央日報 (2018年10月18日). 2018年10月19日閲覧。
  30. ^ a b 山崎あき (2020年7月7日). “日本を含む域外13カ国からの入国規制を解除、14日間の隔離を求めず”. ジェトロ. 2024年5月14日閲覧。
  31. ^ ただし、ロワイヤルが日本の社民党福島瑞穂党首との会談(両者とも女性)で「日本の女性は大変でしょう」と語り、クレッソンの人種差別主義とは一線を画した。
  32. ^ 留学例としては東京大学の助手からパリ大学の助手となり、フランスの政治・外交を研究した舛添要一が挙げられる。舛添はフランス人女性と結婚したが離婚し、帰国後に大蔵省からフランス国立行政学院(ENA)へ派遣留学の経験を持っていた片山さつきと再婚するも、その後再び離婚している。またJR東日本会長となった山之内秀一郎も1969年に国鉄から国際鉄道連合(UIC)へ出向し、パリに在住した経験を持つ。
  33. ^ 竹下(2006)
  34. ^ これがロワイヤルの日本アニメ批判にもつながっている。なお、スクリーンクオータはアメリカ合衆国の映画ハリウッド映画)の上映を制限する保護主義政策。
  35. ^ 日本貿易振興機構(JETRO)市場開拓部輸出促進課 2005年3月 「フランスにおける日本アニメを中心とするコンテンツの浸透状況」
  36. ^ 日仏航空機産業による超音速旅客機に関する共同研究について 経済産業省 2005年6月14日(PDF形式)
  37. ^ 一例として、ベトナムにおける原子力発電所や高速鉄道計画での競争が挙げられる。出典:朝日新聞2010年1月17日付 ベトナム、原発導入急ぐ 東南アジア初、受注狙う日仏
  38. ^ 2000年に当時のシラク大統領が「フランス共和国大統領杯」として創設したもの。
  39. ^ 横綱白鳳に日仏友好杯を贈呈 - 在日フランス大使館


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