国鉄C61形蒸気機関車 保存機

国鉄C61形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/15 13:40 UTC 版)

保存機

復元工事が終了し、高崎車両センターで一般公開されたC61 20
力行するC61 20(快速SL内房100周年記念号、2012年2月10日撮影)

あわせて4両が保存されているが、動態保存機2両、静態保存機2両(うち部分保存機1両)で、完全なものは動態保存の方が多い。すべて三菱製。

動態保存機

C61 2

京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)で動態保存(西日本旅客鉄道(JR西日本)所属)されている。詳細は以下のとおり。

1948年(昭和23年)7月31日竣工として三菱重工業三原工場で製造された(製造番号641)。D51 1109の改造機である。同年9月6日に仙台機関区(現・仙台車両センター)に新製配置され、東北本線常磐線で使用された。1966年(昭和41年)10月23日に青森機関区(現・青森総合鉄道部)に転属してからは、東北本線や奥羽本線の旅客列車を牽引していた。1971年(昭和46年)10月のダイヤ改正で奥羽本線が電化されたことに伴い、廃車になる予定であったが、検査期限に余裕があったため、同年12月2日宮崎機関区に転属し、日豊本線で使用された。1972年(昭和47年)9月13日に梅小路機関区(現・梅小路運転区)に転属し、同年10月10日以降は梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)で動態保存されている。1974年(昭和49年)5月12日京都 - 姫路間で大阪 - 神戸鉄道開業100周年記念列車「SL白鷺号」を牽引したこともあった。1979年(昭和54年)3月28日に除籍されたが、1987年(昭和62年)3月1日に車籍復活した。しかし、全般検査を受けていないため、本線走行をすることはできない。京都鉄道博物館構内の蒸気機関車体験列車「SLスチーム号」に使用されることもある。2006年(平成18年)、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定された。2018年(平成30年)7月15日、同博物館「SLスチーム号」運転終了直後の入換作業中に、車止めの解除失念による脱線事故が発生し、本機の先輪が損傷した[3]。この事故以降、本機は現在「SLスチーム号」の運用から外され、稼働していない状況が続いている。

C61 20

東日本旅客鉄道(JR東日本)で動態保存されている。1973年(昭和48年)8月28日に除籍されたのち、群馬県伊勢崎市華蔵寺公園遊園地で静態保存されていたが、2009年(平成21年)12月8日にJR東日本が動態復元することを正式に発表した。2010年(平成22年)1月19日には保存場所から搬出され、大宮総合車両センターにて修復工事を行い、2011年(平成23年)3月31日に復元完了・車籍復帰が行われた。6月4日より上越線高崎 - 水上間で営業運転が開始された。

静態保存機

C61形静態保存機一覧
画像 番号 所在地 備考
C61 1 宮城県仙台市
旧東北鉄道学園
1996年ごろ解体、現存せず
C61 18 ※部分保存
(前頭部)福岡県直方市大字頓野550-1 NPO法人「汽車倶楽部」所有[4]
(動輪)福岡県福岡市博多区博多駅前1-10 出来町公園
C61 19 鹿児島県霧島市国分上小川3819番地
城山公園

注釈

  1. ^ 戦前~戦時中にかけて検討された計画機関車であるKD53形等では北米で既に旧式とされた「連接式」従台車であり、板台枠式従台車枠が機関車の後部台枠を兼ねている。これはC61・62のようなデルタ式従台車は日本の狭軌線では台車と台枠が干渉すると懸念されたためである。ただ機関車研究家の臼井茂信は1943年のD52戦時設計時点で既にある程度の見通しは立っていたと著書で指摘している。
    汽車製造の髙田隆雄が、国鉄の後部台枠が張り出したコール式従台車の様式はC51以来の単なる慣習に過ぎずそうする必要はないことを発見しており、後年のC61以降同様後部台枠の幅を広げぬまま通したほうが資材・工数も削減できると提言したが、既にD52の着工直前であり混乱を恐れ承認が得られなかったという
  2. ^ ちなみに、1966年(昭和41年)10月と1967年(昭和42年)10月には、2年連続で、台風の影響による集中豪雨が原因で、東北本線の青森県内の区間で土砂崩れが発生して線路が不通になったため、寝台特急「はくつる」などのような優等列車の一部は、北上線(旧・横黒線)・奥羽本線(の横手以北)経由などで迂回運転されたが、その際に北上線・奥羽本線経由で迂回運転された「はくつる」は、奥羽本線の秋田 - 青森間では、本来ならば、優等列車牽引用のDD51形ディーゼル機関車が牽引機として充当されるところを、機関車の運用上の都合などにより、本形式が牽引した(矢立峠越えの区間をはさんだ大阪 - 弘前間では、D51が後部補機として連結された)。迂回運転による臨時運用ではあるが、これが本形式による最後の特急(寝台特急)牽引と言われている。
  3. ^ なお、1969年(昭和44年)3月ごろまでは、C61 6も奥羽本線の秋田 - 青森間で使用されていた。
  4. ^ 宮崎機関区配置の日豊本線用のC57形の一部やC55形の一部が検査期限切れで廃車となることに対する補充として転用が実施されたもので、当初は急勾配区間が連続する宮崎 - 西鹿児島間での使用が検討され、まず、1971年(昭和46年)5月にC61 2が青森機関区から鹿児島機関区に転属し、宮崎 - 西鹿児島間で試験的に運用されたが、宮崎以南の急勾配が連続する区間では空転が頻繁に発生するなどしたため、結局、同年9月から10月にかけて青森機関区から宮崎機関区に転属してきた残りの5両とともに、延岡 - 南宮崎間の平坦線区間での旅客列車(普通列車・急行「日南」)や貨物列車の牽引を担当することになった。
  5. ^ なお、1960年(昭和35年)前後の一時期は、運用上の都合により、寝台特急「さくら」などの博多 - 長崎間での牽引のために、長崎本線で運用されたこともある。

出典

  1. ^ 蒸気機関車EX Vol.42 イカロス出版 出版年月日2020年9月 p122
  2. ^ 臼井茂信『機関車の系譜図』第4巻 619頁.
  3. ^ 京都鉄道博物館「SLスチーム号」の安全確認および運転(7月16日)について
  4. ^ 管理車両”. 汽車倶楽部. 2020年5月10日閲覧。


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