兵庫 (佐賀市) 文化・史跡・人物

兵庫 (佐賀市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 15:33 UTC 版)

文化・史跡・人物

寺院

  • 経島寺 - 瓦町千住。曹洞宗平重盛の建立とする伝承もある。天正年間、龍造寺氏の被官としてこの地に移住した千住忠時により再興されたという。姉川城主・姉川惟安の石碑がある[90]
  • 光円寺 - 若宮堀立。浄土真宗本願寺派1600年慶長5年)鍋島生三の建立と伝わる[91][92]
  • 寿徳寺 - 兵庫北2丁目(藤木)。曹洞宗。鍋島直茂の建立と伝わる[17][93]
  • 長興寺 - 兵庫南2丁目(渕下村)曹洞宗。開基は江戸初期にこの地を知行した下村生運と伝わる。また、天保年間に初代下村辰右衛門により本堂と観音堂が再建された。なお、下村辰右衛門の家系で四代下村辰右衛門は貴族院議員を務めた人物で、その娘婿は作家の下村湖人である[94][95]
  • 万徳寺 - 渕東渕。浄土真宗本願寺派。創建は天正年間、武士の源左衛門尉正国なる人物と伝わる。1695年元禄8年)に真言宗から転派した[96]
  • 妙常寺 - 渕下渕。日蓮宗永正年間、千葉胤繁の建立と伝わる。藩政時代は藩内日蓮宗12ヶ寺の1つとされた[97]
  • 無量寺 - 若宮野中。曹洞宗。龍造寺隆信に付き従い島原の乱で没した中牟田七郎衛門を弔うため、息子の喜左衛門が建立。1903年(明治36年)に焼失したが、子爵で海軍中将を務めた中牟田倉之助の発願で再建[98]

神社

  • 老松天満宮 - 若宮。巨勢神社(巨勢町高尾)由緒記によると、建久年間(1190 - 1198年)に巨勢荘地頭に任命された武蔵の牟田(有荘)参河守俊治が武蔵で氏神としていた老松大明神を勧進し、牟田の地に建立した。しかし、牟田氏は100年余で絶え、代わって延慶年間に任命された鎌倉の立川阿波守一族は、巨勢荘今泉に居館を立てこちらに老松大明神を遷霊し、跡地には老松天満宮を建立したとされる。昭和中期まで、春と秋の例祭は参道に出店が並び夜まで賑わい、境内の舞台では歌・踊り・にわかなどが演じられていた。平成に入って圃場整備により舞台は解体された[99]
  • 西中野天満神社 - 兵庫北7丁目。龍造寺隆信と鍋島直茂が、大友宗麟との戦を前にこの神社で武運を祈願したところ勝利し、礼として社殿と末社を建立し、その後の戦でも必ず祈願に訪れたと伝わる。また、祈願に訪れた隆信を迎え挨拶に出た神主が、隆信の威風堂々とした姿に腰を抜かして立てなくなったという逸話がある。これを家来が見て唄ったとされる小唄が、大正の頃まで、子供が喧嘩をして転んだり、幼な子をあやしたりする時に唄われたという。「中野のじゃあどん[注 18]起ってみやい、起っぎいよかことあろうばん」[100]
  • 伊賀屋天満宮 - 若宮。1680年延宝8年)に鍋島直氏が再興したとの銘記がある。農村における五穀豊穣雨乞いの神として、巨勢郷の各地から参詣者を集めた。干ばつのときには、浮立を奉納する沖の島参りをして雨乞いとした。毎年9月、神埼町境野の塩井浜場と呼ばれる川岸に仮宮を立てて神輿を運ぶ「御水取り」という神事が行われる[101]

史跡等

  • 「ネバル」 - 渕の下渕地区にある地名。徐福上陸伝説の1つで、一行が上陸地の浮盃(諸富町)から金立山(金立町)へと進む途中、葦が生い茂り「ねばる」悪路に歩みを止めて休憩したと伝わる。その100m余り西方には「千速(洗足)」という地名もあり、一行が足を洗ったと伝わる[102]
  • 渕川城(淵川城)跡 - 渕の東渕地区にある平城の城館。空閑光家による築城で、小城高田城主の千葉胤繁が、東方の大内氏や渋川氏への抑えとして空閑氏に渕村を与えたのが起源。本館は3重の水濠に囲まれており、その跡からは一定間隔に並んだ礎石が発見されている。後の城主空閑久家は龍造寺家家臣、その後鍋島家家臣となり、佐賀城内居住を命じられ移住する。久家の墓は城跡のすぐ南東にあり、廟(びゅう)と呼ばれている[103]。なお『直茂公譜』によれば、光家の時代には屋敷に多数の忍者を抱え置き、盗み乱妨を容認する代わりに無給としていたという[104]
  • 牟田氏の居館跡 - 若宮の牟田地区にある居館。武蔵国から多数の家臣・従者を引き連れ下向した牟田(有荘)参河守俊治が築いた。現在も「館濠」「ロクジャー(六左衛門)屋敷」「アキサン屋敷」など複数の関連地名が残る[105]。(参考:老松天満宮
  • 惣よん橋 - 若宮の水路に架かる橋。神代勝利に仕えた武士西村惣衛門が架けたと伝わる[106]

指定文化財等

  • 牟田寄遺跡出土銅印 - 1点。牟田寄遺跡で出土した古代の印章で、佐賀県内初出土。鋳銅製、高さ43mm、縦・横共34mm、重さ105g、完存。印文は1文字、「」とする説、逆字の「」とする説もあるが、確定できず。平安時代前半の私印と推定。2012年に佐賀県の重要文化財に指定[107][108]
  • 牟田寄遺跡出土卜骨 - 8点。牟田寄遺跡で出土した古代卜占用具で、佐賀県内初出土。動物の骨を焼き、その焼けひびで吉凶を占う骨卜(こつぼく)に用いるもので、弥生時代後期から古墳時代初頭のものと推定。2012年に佐賀県の重要文化財に指定[107][109]

人物

  • 宮崎林三郎(みやざき りんざぶろう、1859 - 1931) - 兵庫村生まれの発明家。農業に従事し兵役の後、商業で財を成すものの、30歳の頃眼病が悪化し失明してしまう。はじめ漁網製造の機械化を試みたものの断念し、農家で手作業により行われていた縄綯い(なわない)の機械化に取り組む。盲人となりながらも8年をかけて製縄機(せいじょうき)を完成させるが、高価なため売れず苦心を続ける。1904年(明治37年)日露戦争により需要が伸び普及を始め、1905年(明治38年)には特許を取得する(宮崎式製縄機)。また、後に(むしろ)を編む莚織機やを編む畳織機も開発し、帝国発明協会から表彰を受けた[110][111][112]。なお、1911年(明治44年)に帝国農会主催全国農具展覧会に出品され5等賞を受賞した宮崎式人力用製縄機は、農研機構の農機具資料館(埼玉県)に展示されており、他の展示物と併せて「農機具資料館」として2014年に機械遺産に認定されている[113][114]
  • 松本弘二(まつもと こうじ、1895 - 1973) - 東渕生まれの洋画家。旧制佐賀中学中退。画を高木背水、黒田清輝に学び、1921年(大正10年)二科展に初入選。のち二科会会員、理事となる。1970年(昭和45年)「男鹿の夏」で内閣総理大臣賞を受賞。
  • 岸川健一(きしかわ けんいち、1888 - 1954) - 東渕生まれの軍人。1911年(明治44年)陸軍士官学校を卒業し歩兵少尉に任官。麻布連隊区司令官、第29旅団長、独立混成第17旅団長などを経て第63師団長として終戦。戦後はシベリアに抑留され、さらに中国に引き渡されたのち、1954年6月10日、撫順戦犯管理所で病死。死後、正四位勲一等旭日大綬章。
  • 小野哲一(おの てついち、1895 - 1967) - 若宮生まれの政治家。東京帝国大学法学部政治科を卒業後、横浜正金銀行に入社。海外の支店長、支配人を経て東亜部次長を最後に退職。1951年から佐賀市長を2期務める。1962年佐賀球場完成の際、「法無乱」と揮毫。これを石板に刻み球場正面に掲げた。「法、無くんば乱れる」と読み、野球人やスポーツマンらに教訓として示したものである。死後、勲五等瑞宝章。

行事

  • 兵庫の里まつり - 盆踊り・子供みこしを主体とする夏祭りで、兵庫まちづくり協議会が主催。こども会で行われていた夏祭りが発展し、1986年(昭和61年)頃現在の呼称となった[115]
  • 町民体育大会 - 毎年9月末頃開催される[116]
  • 兵庫公民館文化祭、兵庫町民文化際、農業まつり - 同日に近隣の会場で開催される。農業まつりは地元農協主催[117]
  • ひょうたん島公園ひまわりまつり - 8月上旬頃。農家の協力で提供されている1ha余のひまわり畑が黄色に染まる[117]
  • 鬼火たき(ほんげんぎょう) - 青竹や菰などを束ねて立てた櫓を夜明け前に点火、しめ縄、お札やお守りなどを投げ入れて、災難なく1年を過ごせたことに感謝する祭事。古くは各家庭が家の前や堀岸で行っていたが、1980年(昭和55年)から兵庫校区で統一して開催している[118]
  • 四万六千日 - 元来は7月10日で、参詣すると4万6千日間参詣したものに等しい功徳があるとされる。藤木では藤木天満宮、十一面観世音菩薩など大小の寺社を巡るが、子供の夏休みにあたる8月10日に行われ、10余ヶ所で子供にお菓子などが振る舞われる[119]
  • 豆祇園 - 子供の成長を願うとともに災厄除けをする祭事。北修理田(兵庫南4丁目)では、8月第3日曜日に行われる。午前中、小中学生による子供みこしが地区内を練り歩き、一周した後一度解散する。夕方になると公園に再び集まり、悪霊(鬼)が嫌うとされる煮豆が振る舞われる。近年はカラオケ大会などが企画され趣向が凝らされている[120]

注釈

  1. ^ 兵庫町史に記載の旧・兵庫村時代の面積は約11km。
  2. ^ 文章末の出典に示す通り、国土地理院電子国土基本図(25000分の1)、および佐賀市の公共測量地図(2500分の1、2014年3月)を参照した。以下の記述は、2017年9月時点で記載されていた地図情報に基づく。
  3. ^ 角川日本地名大辞典内各項に記載の『明治11年戸口帳』における瓦町779人[6]、東高木村(西淵下分村および西淵上分村のみ)309人[16]、藤木村677人[17]、淵村997人[11]、若宮村1,222人[18]の合計。
  4. ^ 誤差の参考として、佐賀市統計データに記載がある3地区は、政府統計GISでは以下の値。兵庫南2丁目:0.188km2、同3丁目:0.158km2、同4丁目:0.205km2
  5. ^ 年齢不詳を含む総数に対する比のため、合計は100%に満たない[24]
  6. ^ 佐賀県内ではこのほか、養父郡北茂安村と三根郡南茂安村(いずれも現三養基郡みやき町)も村設置時、茂安から地名を取った。
  7. ^ 横落水路の築造は別記の通り、神代氏によるとする資料もある[30]
  8. ^ ハゼ科の淡水魚ドンコの地方名と考えられる。
  9. ^ 有明海は干潮時と満潮時の水位差が大きく、満ち潮の時間帯に洪水が起こると、有明海に注ぐ河川の排水が困難となる。
  10. ^ 巨勢川が合流する佐賀江の分流で、排水の役割がある。
  11. ^ 両遺跡では青銅器鋳型が出土していないが、佐賀平野の他の遺跡では鋳型と無紋土器が共に出土した例があることから、生産の可能性が考えられる。
  12. ^ a b c 『明治11年戸口帳』では、千住村の記載なし、牟田寄村は「牟田寄新村」と表記、瓦町村は「瓦町上分村」「瓦町下分村」と記載[6]
  13. ^ a b 『明治11年戸口帳』では、傍示村の記載なし、「中野吉村」の記載あり、井茅村は「伊賀屋村」と表記[18]
  14. ^ 『明治11年戸口帳』では、香田村の記載なし[11]
  15. ^ 『明治11年戸口帳』では、西淵村は「西淵上分村」「西淵下分村」と記載[16]
  16. ^ 1889年(明治22年)の町村制施行時、旧・西淵村は兵庫村、それ以外は高木瀬村となる。
  17. ^ 「行政区画変遷・石高・小口一覧」は、主に『天保郷帳』および『佐賀県市町村変遷表』に準拠する。
  18. ^ 神主の意。
  19. ^ 巨勢町および、旧市街地東部の大財、紺屋町、田代、高木町、東佐賀町、松原3・4丁目、愛敬町、朝日町、材木、今宿町、呉服元町など。
  20. ^ 東部水道企業団は佐賀市のうち川副町、東与賀町の上水道を供給。兵庫を含めた佐賀市の他の地域は佐賀市上下水道局が供給。

出典

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  130. ^ 平成30年度第2回 議事録 (PDF) - 地域連絡協議会、独立行政法人地域医療推進機構 佐賀中部病院、2021年2月21日閲覧
  131. ^ 兵庫学、p.13
  132. ^ a b さが市政概要 平成27年度版、pp.382-383「市営住宅」
  133. ^ 兵庫学、p.16
  134. ^ 企業団とは?」、佐賀東部水道企業団、2017年8月18日閲覧
  135. ^ 平成26年経済センサス-基礎調査 町丁・大字別集計 第1表「経営組織(2区分),産業(大分類)・従業者規模(6区分)別全事業所数及び男女別従業者数―市区町村,町丁・大字 : 41 佐賀県」、総務省統計局、2016年3月16日公表





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