岸川健一
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岸川 健一(きしかわ けんいち、1888年(明治21年)3月29日 - 1954年(昭和29年)6月10日)は、大正・昭和初期の軍人。佐賀郡兵庫村(現佐賀市)出身。最終階級は陸軍中将。
経歴
1888年生まれ。佐賀中学校から陸軍士官学校(陸士23期)に進み卒業後歩兵少尉に任官。麻布連隊区司令官、第6守備隊長(大佐)から少将に昇進し歩兵第29旅団長、第29歩兵団長、独立混成第17旅団長を歴任[1]。1945年(昭和20年)3月中将に昇進し第63師団長として終戦を迎えた。
その後はシベリアに抑留され、さらに中国に引き渡され撫順戦犯管理所に収容された。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[2]。所謂中国抑留者で4人いた師団長の一人(ほかは第39師団長・佐々真之助中将、第59師団長・藤田茂中将、第117師団長・鈴木啓久中将)で、抑留中の1954年収容所にて病死。生前の勲功により正四位勲一等旭日大綬章を贈られた。
脚注
参考文献
- 兵庫町史
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
岸川 健一(きしかわ けんいち)
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