仮面の告白 仮面の告白の概要

仮面の告白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 07:13 UTC 版)

仮面の告白
訳題 Confessions of a Mask
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 書き下ろし
刊本情報
出版元 河出書房
出版年月日 1949年7月5日
装幀 猪熊弦一郎
総ページ数 279
受賞
読売ベスト・スリー(1949年度)
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発表経過

1949年(昭和24年)7月5日に書き下ろしとして河出書房より刊行された[5][6]。擱筆日は同年4月27日である[7]。出版社企画の「第五回書き下ろし長篇小説」として刊行されたもので、この時の担当編集者は坂本一亀坂本龍一の父)であった[8][9][注釈 1]。同年12月26日付の読売新聞の「1949年読売ベスト・スリー」に選ばれ[2]、翌年1950年(昭和25年)6月25日に文庫版(三島作品最初の文庫本)が新潮文庫より刊行された[6][9]

翻訳版は1958年(昭和33年)のメレディス・ウェザビー訳の英語(英題:Confessions of a Mask)をはじめ、イタリア語(伊題:Confessioni di una maschera)、オランダ語(蘭題:Bekentenissen van een gemaskerde)、スペイン語(西題:Confesiones de una máscara)、フランス語(仏題:Confession d'un masque)など世界各国で行われている[10]

構成

作者本人を主人公とし、〈私〉による一人称形式による〈告白小説〉の体裁をとり、〈私〉の生まれたときから23歳までの青年期の「ヰタ・セクスアリスラテン語で性欲的生活を意味するvita sexualis)」が全4章の構成で描かれている。前半は自己分析による性的倒錯の研究に費やされ、後半は『アルマンス』的恋愛の告白と永い悔恨の叙述に宛てられている[11]。なお、『アルマンス』とはスタンダールの処女小説で、性的不能者の主人公・オクターヴの絶望的な恋愛を描いた作品である[12]

時代は、1925年(大正14年)から、敗戦をはさんで1948年(昭和23年)までの間で、〈私〉の生い立ち、祖母を中心とした家族との関わり、粗野な学友に対する同性愛的な思慕、友人の妹との恋愛と結婚への逡巡などの出来事が、第二次世界大戦期、戦後期の時代背景の中に描かれている。

エピグラフでは、ドストエフスキの『カラマーゾフの兄弟』第3編・第3の「熱烈なる心の懺悔 ― 詩」の文章が引用されている。

あらすじ

グイド・レーニ作「聖セバスチャンの殉教」

「私」は、生まれた時の光景を憶えていた。午後9時に生まれたにもかかわらず、産湯ののふちに射していた日の光を「私」は見ていた。生れて間もない赤ん坊の「私」を若い母から奪った祖母は、坐骨神経痛を患う病床の閉め切った老いの匂う部屋の中で「私」を溺愛して育てた。「私」は外で走り回って遊ぶことも、男の子の玩具も禁じられ、遊び相手は、女中看護婦、祖母の選んだ女の子だけだった。

幼年時の「異形の幻影」の記憶を「私」は思い出し反芻する。その最初の記憶は、坂道を下りて来る血色のよい美しい頬の汚穢屋(糞尿汲取人)の若者である。「私」は彼に惹かれ、「私が彼になりたい」という強い欲求を覚えた。二つ目は、絵本で見たジャンヌ・ダルクだった。しかし「彼」が「女」だと知り「私」は落胆する。もう一つ、「私」を駆り立て、憧れをそそり、支配したのは、家の前を行進する兵士たちの汗の匂いだった。それら官能的な感覚をそそるものは、何か「悲劇的なもの」を帯び、「私」は殺される王子を愛し、殺される自分を想像すると恍惚とした気分になった。クレオパトラ松旭斎天勝の扮装も「私」を魅した。

「私」は13歳の時、グイド・レーニの「聖セバスチャン」の絵に強く惹きつけられ、初めての「ejaculatio」(射精)を体験する。それが「悪習」の始まりだった。やがて「私」は、野蛮で逞しい級友の近江に恋をした。体育の授業中、鉄棒で懸垂をする近江の腋窩に生い茂る豊饒な毛に「私」は瞠目するが、それと同時に、自ら恋を諦めてしまうほどの強烈な嫉妬を感じた。「私」の中には、愛する相手に「寸分たがわず」似たいという熱望があった。「私」の偏愛は、血を流し死んでゆく与太者水夫兵士漁夫へ向けられたが、そういった嗜好が、女の裸体を嗜好する友人たちと違い、特異なものであることに気づき始めた「私」は苦悩する。

高校卒業間近の「私」は、友人の草野の家で、下手なピアノの音を聞いた。それは草野の妹・園子が弾くピアノだった。スカートから覗く彼女の脚の美しさに「私」は感動する。大学生となった「私」は召集令状を受け取るが、軍医の誤診で即日帰郷となった。特別幹部候補生で入隊した草野の面会に行くことになった「私」は、駅で草野の家族と待ち合わせ、プラットフォームに下りて来る園子の清楚な美しさに、今までになかった胸の高鳴りを覚える。園子は「肉の属性」としての女ではなく、「私」を襲ったのは、悲しみと「罪に先立つ悔恨」だった。その小旅行から親しくなった「私」と園子は、本を貸し借りするようになり、園子も「私」に好意を持ち始めた。「私」は、園子を肉の欲望なしに愛していることだけを感じ、彼女と一緒に生きない世界は何の価値もないという観念にも襲われた。

学徒動員海軍工廠にいる「私」と、空襲の危険を避けて一家で疎開した園子との文通が続いた。隔てられた距離と、生死の危機感が「私」を自然に「正常」な男女の恋人を演じることを容易にした。園子の家から疎開先(軽井沢)に招かれた「私」は、園子と高原を散歩中、以前からの懸念だった接吻を試みた。しかし、やはり「私」には何の快感もなかった。すべてを悟った「私」は、自分の異常性に深く悩み傷ついた。彼女に相応しくない「私」は、園子から逃げなければと考えた。やがて、草野の家から結婚の申し出の手紙が来て、「私」は婉曲な断りの返信をした。「私」はただ生まれ変わりたいと願った。そして終戦となった。

戦後間もなく園子は他の男と結婚した。彼女が「私」を捨てたのではなく、「私」が彼女を捨てた当然の結果だと、「私」は自分自身に向かって自負し、虚勢を張った。「私」は友人に誘われ娼家に行くが、やはり「不能」が確定し、絶望に襲われた。「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物だ」という苦しみに「私」は苛まれはじめる。ある日「私」は偶然、人妻となった園子にばったり出会い、それ以来再び、2人だけで逢うようになった。彼女への肉欲はないのに、「逢いたい」という欲求はどういうものか「私」は訝る。性欲のない恋などあるのだろうか? それは明らかな「背理」(論理に反すること)ではないか、と「私」は自問する。しかし同時に「私」はこうも思うのだった。「人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまいと」。

プラトニックな関係のまま、人妻の園子と「私」は何度か逢い引き(密会)を重ね、クリスチャンの家に育った園子の気持ちは揺れ始めていた。2人は真昼のダンスホールの中庭に出た。「私」の視線は、ある粗野な美しい肉体の刺青の若者に釘付けとなり、彼が与太者仲間と乱闘になり、匕首に刺され血まみれになる姿を夢想した。しばし「私」は園子の存在を忘れ、彼に見入っていたとき、「あと5分だわ」という園子の哀切な声を聞いた。その刹那、「私」の内部で何かが残酷な力で2つに引裂かれ、「私」という存在が、「何か一種のおそろしい〈不在〉」に入れかわるのを「私」は感じた。園子から性体験の有無を訊ねられた「私」は嘘をつき、もう一度、若者のいる方へ視線を向けた。空っぽの椅子と、卓の上にこぼれた飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげていた。


注釈

  1. ^ 第一回は椎名麟三の『永遠なる序章』、第二回は中村真一郎の『シオンの娘等』、第三回は望月義の『ダライノール』、第四回は谷本敏雄の『暗峡』であった[9]
  2. ^ 白書フランス語版』(Livre blanc)は、ジャン・コクトー匿名で刊行した性の告白本である[19]

出典

  1. ^ 「第三回 性の自己決定『仮面の告白』」(徹 2010, pp. 36–49)
  2. ^ a b 松本徹「仮面の告白」(事典 2000, pp. 68–73)
  3. ^ a b c 「戦後派ならぬ戦後派三島由紀夫」(本多・中 2005, pp. 97–141)
  4. ^ a b c d e f g h 「I 『仮面の告白』――三島文学の磁石」(田坂 1977, pp. 13–96)
  5. ^ 井上隆史「作品目録――昭和24年」(42巻 2005, pp. 391–393)
  6. ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  7. ^ a b c d 「あとがき――仮面の告白」(『三島由紀夫作品集1』新潮社、1953年7月)。28巻 2003, pp. 98–100に所収
  8. ^ 坂本一亀「『仮面の告白』のこと」(現代の眼 1965年4月号。文藝 1971年2月号に再掲載)。新読本 1990, pp. 42–46に所収
  9. ^ a b c d e 田中美代子「解題――仮面の告白」(1巻 2000, pp. 680–681)
  10. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目――仮面の告白」(事典 2000, pp. 708–709)
  11. ^ a b c d e 「作者の言葉(「仮面の告白」)」(1949年1月13日執筆)。付録として、復刻版『仮面の告白』(河出書房新社、1996年6月)に全文掲載。27巻 2003, pp. 176–177に所収
  12. ^ 「第三章 問題性の高い作家」(佐藤 2006, pp. 73–109)
  13. ^ a b 坂本一亀宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)。38巻 2004, pp. 507–508に所収
  14. ^ a b c d e f 「『仮面の告白』ノート」(『仮面の告白』月報 河出書房、1949年7月)。27巻 2003, pp. 190–191に所収
  15. ^ 山内 2001
  16. ^ a b 「川端康成宛ての書簡」(昭和23年11月2日付)。川端書簡 2000, pp. 59–61、38巻 2004, pp. 264–266に所収
  17. ^ a b 「年譜――昭和23年11月25日」(42巻 2005
  18. ^ 「II 自己改造をめざして――『仮面の告白』から『金閣寺』へ 『仮面』の創造」(村松 1990, pp. 123–149)
  19. ^ a b 井上隆史「新資料から推理する自決に至る精神の軌跡 今、三島を問い直す意味―『仮面の告白』再読―」(続・中条 2005, pp. 18–54)。「『仮面の告白』再読」として井上 2006, pp. 13–44に所収
  20. ^ a b c d 「第三章 意志的情熱」(猪瀬 1999, pp. 217–320)
  21. ^ a b c 式場隆三郎宛ての書簡」(昭和24年7月19日付)。38巻 2004, pp. 513–514に所収
  22. ^ a b 大岡昇平との対談「犬猿問答――自作の秘密を繞って」(文學界 1951年6月)。40巻 2004, pp. 62–81
  23. ^ a b c 井上隆史「同性愛」(事典 2000, pp. 533–534)
  24. ^ a b 「国語研究 作家訪問」(NHKラジオ、1964年5月29日)。『昭和の巨星 肉声の記録――大岡昇平・坂口安吾・三島由紀夫』(NHKサービスセンター、1996年)に収録
  25. ^ 「蜷川親善宛ての書簡」(1949年)。日録 1996, p. 120、猪瀬 1999, p. 262
  26. ^ a b 「扮装狂」(1944年10月の回覧学芸冊子『曼荼羅』創刊号に掲載予定だった随筆)。没後30 2000, pp. 68–73に掲載。26巻 2003, pp. 445–453に所収
  27. ^ 「わが思春期」(明星 1957年1月号-9月号)。遍歴 1995, pp. 7–89、29巻 2003, pp. 339–408に所収
  28. ^ 「第一部 土曜通信」(三谷 1999, pp. 11–133)
  29. ^ a b c d 「その仮面」(矢代 1985, pp. 99–114)
  30. ^ 瀬沼茂樹「油がのつた四人の作家」(日本読書新聞 1949年11月30日号)。佐藤 2006, p. 72に抜粋掲載
  31. ^ a b 神西清「仮面と告白と―三島由紀夫氏の近作」(人間 1949年10月号)。佐藤 2006, pp. 71–72、本多・中 2005, pp. 119–120に抜粋掲載
  32. ^ 北原武夫林房雄中野好夫「創作合評」(群像 1949年11月号)。佐藤 2006, p. 72、事典 2000, p. 70に抜粋掲載
  33. ^ a b c 花田清輝聖セバスチャンの顔」(文藝 1950年1月号に掲載)。『花田清輝全集 第4巻』(講談社、1977年)所収。群像18 & 1990-09, pp. 110–117、研究・長谷川 2020, pp. 67–76に所収
  34. ^ 無著名(図書新聞 1949年7月23日号)。論集II 2001, p. 211、武内 2007, p. 112に抜粋掲載
  35. ^ 荒正人「異常心理でない」(図書新聞 1949年7月23日号)。論集II 2001, p. 211、武内 2007, p. 112に抜粋掲載
  36. ^ 青野季吉「現代史としての文学」(中央公論 1950年1月号)。論集II 2001, pp. 211–212に抜粋掲載
  37. ^ a b c 「第三章 三島由紀夫と森有正 2 文学者の幼児性」(伊藤 2006, pp. 103–110)
  38. ^ a b c d e 杉本和弘「『仮面の告白』論――園子との物語をめぐって――」(論集II 2001, pp. 204–220)






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