眺望を楽しむ目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 03:08 UTC 版)
1904年(明治37年)に大阪市交通局において製造された5号形電車が日本の路面電車における2階建車両。展望の良さに、乗客には大好評であったと伝えられている。当初は思わず靴を脱いで二階に上がってしまったり、二階のほうが一階より高い料金を取るか取らないかを聞く人までいたという。その後「家の中を覗かれる」という沿線住民の苦情により 2階席はほどなくして撤去されたが、大阪市電創業50年記念として1953年(昭和28年)に復元製造され、イベント時に運行された。現在は地下鉄緑木検車区内にある「大阪市電保存館」に静態保存されている(年2回公開)。しかし、集電装置は復元時の運行の便宜のため、実物車両のポールではなく、ビューゲルとしてある。 一方、1913年(大正2年)に2両が松山電気軌道に売却され、愛媛県三津浜町(現:松山市三津浜)で「二階電車納涼台」として海水浴シーズンに利用されたが、1924年(大正13年)には能勢電気軌道に売却され、普通の電車に改造されて使用された。その後、同社で廃車となった実車は、台車のみが系列会社である阪急電鉄の宝塚ファミリーランド内にあった「のりもの館」(旧・電車館)で静態保存されていたが、ファミリーランドの閉鎖に伴って大阪市交通局に寄贈され、現在は復元車と同じ「大阪市電保存館」内で保管されている。 普通鉄道の2階建車両の日本における最初の事例としては、近畿日本鉄道の「ビスタカー」10000系電車である。そのルーツは、アメリカにおける「ビスタドームカー」と称される中間展望車といわれている。その改良形である10100系電車以来、21000系電車"アーバンライナー"が運行されるまで「近鉄特急=2階建車両"ビスタカー"」というイメージが確立された。 高速鉄道では、1985年(昭和60年)に運行を開始した新幹線100系電車に初めて2階建て車両(グリーン車・食堂車)が導入された。東海道新幹線の利用客は昭和51年をピークに減少傾向をたどり、列車の減便さえ行われる厳しい事態となっていた。そのような経緯から、新幹線100系電車は客室(サービス面)を中心としたモデルチェンジが指向された。そしてより明るく快適な新幹線として、話題性を高めイメージアップを図るべく、2階建て車両のグリーン車・食堂車が組み込まれた。 国鉄分割民営化後のJRでは、在来線の車両にもこのような事例が見られるようになった。四国旅客鉄道(JR四国)の5000系電車に眺望目的の2階建車両がある他、北海道旅客鉄道(JR北海道)でもキハ183系気動車に2階建ての付随車があり、「スーパーとかち」や「おおぞら」での運用があった。いずれも2階部分をグリーン席、1階部分を指定制の普通席としている。 特別料金不要で乗車できる車両として、京阪電気鉄道では特急専用車両である8000系電車0番台(旧3000系電車の30番台を含む)の中間1両に2階建車両を連結している。これは座席定員の増加も考慮したものでもあり、車内設備や空調ダクト、読書灯などの設計にあたっては後述のJR東日本近郊形電車のグリーン車を参考にしている。なお、テストケースとなった旧3000系車両のダブルデッカー化改造においては『車両の中央部をくり抜いて、新造した2階建て部分を溶接する』という前代未聞の改造工事がなされた。 詳細は「京阪3000系電車 (初代)#車体改修工事・固定編成化」を参照
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