漁業補償
漁業補償
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 21:05 UTC 版)
「飛騨川流域一貫開発計画」の記事における「漁業補償」の解説
飛騨川は流域のほとんどを山地で占めているが、植生は良好で水源涵養(かんよう)も保持されていた。これが水生昆虫や藻類の繁殖を促し、さらに魚類が棲息するという好循環を生み出していた。飛騨川や支流の馬瀬川はアユ釣りが特に盛んなほか、イワナ、アマゴ、ウナギ、コイなど豊富な漁業資源を有する河川であった。しかし水力発電所、特にダムを建設することでアユなどの遡上する魚類が深刻な影響を受けるほか、工事中の濁水で河川環境が悪化するなど漁業で生計を立てる関係者にとっては死活問題であり、日本各地のダム開発では漁業権を保有する漁業協同組合との漁業補償交渉が特に困難を極めていた。 飛騨川でも例に漏れず、漁業補償は一般補償に比べはるかに交渉が難航した。日本電力や東邦電力が競って開発を行っていた大正時代は飛騨川に漁業協同組合は存在せず、またダム自体の高さが低く抑えられていた。さらに岐阜県当局がダム建設を許可する条件として魚道の設置を義務付けていたため、上麻生・七宗・大船渡などのダムには魚道が設置され、魚類の遡上には支障を来たしていなかった。しかし戦後に入ると小坂ダムを境に上流を益田川上流漁業協同組合、下流を益田川漁業協同組合、最下流部を飛騨川漁業協同組合が第五種共同漁業免許を取得して漁業権を管理。馬瀬川でも馬瀬川上流・下流漁業協同組合が漁業権を管理しており、漁業資源が衰微するダム・発電所建設には頑強に反対した。特に戦後のダム建設は朝日ダムなど魚道の設置が物理的に不可能なハイダムを多く建設していたことから、より解決が困難になっていた。 朝日ダムから始まった漁業補償交渉は、魚道の設置可否を巡り意見が対立。最終的に魚道を設けない代わりに東上田ダムでは漁業資源保護のための河川維持放流を行い、また益田郡萩原町(現在の下呂市)に岐阜県水産試験場を大垣市から誘致し養殖を促進するなど対策を行って妥結した。しかし1965年7月飛騨川流域を集中豪雨が襲い、朝日ダムに合流する渓谷でがけ崩れが多発。それが原因で濁水が流れ込み数年にわたって飛騨川が濁る朝日ダム濁水問題が発生した。 飛騨川の濁水は年を追っても一向に解決する気配を見せず、朝日ダムの放流と高根第一ダムのコンクリート骨材採取に原因を求めた益田川漁業協同組合は濁水解決を中部電力に対して強硬に主張。濁水が飛騨川バス転落事故捜索を困難にさせている一因であると世論に訴え、中部電力が補償に応じなければ高根第一ダム工事現場に実力行使を以って工事を停止させるとまで強硬な姿勢を取った。飛騨川流域の町村長・町村議会議長、下呂温泉を始めとする町村観光協会なども漁協の主張に同意し、1966年飛騨川公害対策協議会が設置され濁水問題は公害問題に発展する気配を見せた。さらには岐阜県公害対策協議会・岐阜県議会公害対策特別委員会が設けられる事態に発展し、政治問題となった。濁水問題への反発が高まりダムを管理する中部電力は小坂発電所増設、高根第一・第二発電所の工事、さらには馬瀬川第一・第二発電所計画が遅延、飛騨川流域一貫開発計画は停滞する。最終的には事態を重く見た岐阜県当局が仲裁に乗り出し、県の斡旋案で収拾させるに至った。中部電力は朝日ダムに表面取水設備を設置し、比較的清浄な貯水池上層の水を放流することで飛騨川の濁水を解消する対策を取るほか、上流発電所群の運用改善と東上田ダムの放流水を15ppm以下に抑える、秋神貯水池の清浄な水を朝日貯水池に導水し濁水軽減を図るなどの恒久対策を行うことで1972年(昭和47年)3月、岐阜県庁公害対策事務局との協定締結により一連の問題は発生から6年目で解決した。 岩屋ダムを始めとする馬瀬川第一・第二発電所では長良川と並ぶアユの宝庫であった馬瀬川にダムを建設することに馬瀬川上流・下流の漁業協同組合が反発。特に下流漁協は瀬戸第二発電所の取水元である西村・弓掛ダムの撤去を求めるなど強硬な姿勢を取った。この件も岐阜県が仲裁に入り両ダムに魚道を新設する、またアユ養殖施設を新設するなどの条件で妥結した。中呂発電所では度重なるダム・発電所建設で漁場が縮小に次ぐ縮小を受けた益田川漁業協同組合が反対、交渉妥結に3年を費やしている。下表は漁業補償交渉において中部電力が各漁協に支払った補償金の一覧表である。 各発電所における漁業補償額(単位:円)漁協\発電所朝日東上田久々野新小坂高根第一高根第二馬瀬川第一馬瀬川第二中呂益田川上流 12,880,000 60,300,000 70,000,000 3,300,000 46,700,000 - - 益田川 3,700,000 17,100,000 12,000,000 18,000,000 114,500,000 飛騨川 - - - - - 10,500,000 - 馬瀬川上流 - - - - - 57,500,000 - 馬瀬川下流 - - - - - 320,000,000 - 共同漁場 - - - - - 9,600,000 - このように漁業補償は難航を極めた。漁協としては水力発電所やダム建設により生業である漁場が繰り返し失われるため、将来の生活に不安を覚えたための反対運動であったが、電力開発の重要性も認識していたため最終的には苦渋の決断を行っている。飛騨川は多数のダムが建設されたことで回遊魚の遡上が只見川などと同様に絶望的になったが、一方で陸封魚となったアマゴなどが巨大化しており、秋神貯水池などでは新たな漁業資源となっている。飛騨川の水質管理については朝日ダム濁水問題の教訓として高根第一ダムなどにも選択取水設備を設置、濁水防止対策を講じている。2006年(平成18年)7月の洪水においてその効果は発揮され、財団法人ダム水源地環境整備センターより「ダム・堰危機管理業務顕彰奨励賞」を受賞している。
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漁業補償
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「福島第一原子力発電所の用地取得」の記事における「漁業補償」の解説
一方、漁業補償については用地買収に比較すると複雑な経過を辿った。その理由はこの付近の海域では漁業資源が豊富であり、相馬やいわきなど周辺地域の各漁港からも一本釣り、延縄、刺網などの入会漁船が多く、漁業権の買い上げ交渉に手間を要したためである。交渉が妥結したのは1966年12月16日で、発電所の海面沖1500m、横幅3500m、面積にして5.4万平方メートルの共同漁業権が消滅し、消滅補償・入漁補償合計約1億円の補償金が支払われた。支払い対象は直接3組合、入会5組合、隣接1組合の計9組合である。なお、漁業関係者から示された疑念としては排水による放射性物質の蓄積と温排水による悪影響であるが、安全性等の面から問題ない旨の説明が実施され解消を見た。
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