協定締結とは? わかりやすく解説

協定締結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 02:50 UTC 版)

塘沽協定」の記事における「協定締結」の解説

5月25日何応欽はその代理徐燕謀を通して関東軍司令官に正式停戦提議渡した5月31日午前1111分、塘沽において日本側代表、陸軍少将岡村寧次関東軍参謀副長中国側代表、陸軍中将熊斌と以下の内容の停戦協定調印した中国軍は速かに延慶昌平高麗営、順義通州香河宝坻亭口、寧河台を通する線以西以南地区一律に撤退し爾後同線を越えて前進せず 又一切挑戦攪乱行為を行うことなし 日本軍第一項の実行確認する随時飛行機及其他の方法に依り之を視察中国側はこれに対し保護及び諸般便宜与うるものとす 日本軍第一項に示す規定中国軍遵守せる事を確認するに於ては前記中国軍撤退線を越えて進撃続行する事なく自主的に概ね長城の線に帰還長城以南にして第一項に示す線以北以東地区に於ける治安維持中国側警察機関之に任ず警察機関為に日本軍感情刺戟する如き武力団体用ふ事なし協定調印とともに効力発生するものとす 南京政府同日午後3時より緊急会議開き停戦協定成立報告される満場一致承認した

※この「協定締結」の解説は、「塘沽協定」の解説の一部です。
「協定締結」を含む「塘沽協定」の記事については、「塘沽協定」の概要を参照ください。


協定締結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:17 UTC 版)

防共協定」の記事における「協定締結」の解説

11月25日ベルリンリッベントロップ事務所協定調印が行われた。日本側の全権大使武者小路駐独大使ドイツ側リッベントロップが行った。協定の内容ドイツ側提案、すなわち1935年11月のラウマー案の内容を大きく超えるものではなかったが、国防軍主張通り軍事協定性格はつかなかった。 協定締結後には祝賀晩餐会開かれたが、この席にはヒトラーヘルマン・ゲーリングルドルフ・ヘスといった高官の他、外務省関係者からは外相ノイラート外務次官エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーらの首脳参加したが、国防軍からはただ一人カナリス参席していた。国防軍はこの場に高官出席させないことで不快感示した形になり、またこのような場にカナリスのような地位人間出席するのは極めて異例である。

※この「協定締結」の解説は、「防共協定」の解説の一部です。
「協定締結」を含む「防共協定」の記事については、「防共協定」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「協定締結」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「協定締結」の関連用語

協定締結のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



協定締結のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの塘沽協定 (改訂履歴)、防共協定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS