最大速度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:08 UTC 版)
ハ25(離昇950馬力)を搭載した一型(キ43-I)の最大速度は、低質のオクタン価87(航空八七揮発油)の燃料を使用した数値では495km/h/4,000mにとどまる。一方で、オクタン価92の航空九二揮発油を使用した場合の最大速度は500km/hを超える。ハ25は二一型以前の零戦に搭載された栄一二型とほぼ同じものであるが、燃料が統一される開戦直前まで、陸軍では海軍より低オクタン価の航空八七揮発油を使用していたため、これがカタログスペック上での零戦との最大速度の違いとなっている(主翼改修前の零戦二一型の最大速度は509km/h)。 定速プロペラには零戦など多くの機体に使われていたハミルトン・スタンダード製の油圧式可変プロペラを住友金属工業がライセンス生産したものである(陸軍向けは日本楽器製造が生産)。このプロペラは戦前に設計されたものであり、すでにアメリカの戦闘機には改良型や新型が採用されていたが、開戦によってこれらの情報が入手できなくなった。また九七式戦闘機のプロペラ開発に携わった佐貫亦男が1941年からユンカース社からプロペラ技術を導入するためドイツに出張していたが6月に独ソ戦が開戦したことで帰路が絶たれ、帰国は1944年まで伸びてしまい独自開発も遅れていた。戦前にドイツのVDM社からライセンスを得ていた電動式ガバナーを備えたプロペラは構造が複雑で生産や整備に苦慮したことから一式戦には採用されず、改良は3翅への変更のみとなり速度向上はその他の設計変更で補うこととなった。 エンジンをより高出力のハ115(離昇1,150馬力。海軍の栄二一型とほぼ同じ)に換装し、3翅プロペラを装備した二型(キ43-II)試作機の最大速度は515km/h/6,000mに向上。増速効果のある推力式集合排気管の後期型で536km/h、推力式単排気管の最後期型では548km/hの数値を記録している。しかし、推力式の集合排気管・単排気管でもない通常の集合排気管仕様である初期型をもってニューギニア航空戦を戦ったエースである第59戦隊飛行隊長南郷大尉は、1943年4月17日の日記に「二型は軽く550km/h位迄出、存速滅せず振動なくすこぶる気持ち好し」としるし高評価している 低オクタン価の燃料で出力を絞り出すため水メタノール噴射装置を搭載したハ115-IIに換装した三型(キ43-III)では560km/h/5,850mに向上した。水メタノールのタンク容量は70l、最大速度はその残量範囲内で有効であったが、隼三型を担当した大島設計主務は「速度は零戦の各型より優速となり、上昇力、航続距離、操縦性何れも上回り、劣っているのは武装のみ」と水メタノール噴射装置を好意的に評し、パイロットの証言としても「自分が生き残る事が出来たのは一式戦三型に載っていたからであり、他の機種では恐らく生き残れなかっただろう」と言わしめるほどの効果を発揮したという。なお、これでも噴射装置を搭載しない同世代機と同等の速度であり、優位に立つというより不足が補われたという意味合いが強い。 海軍の栄31型(ハ115-I)は零機に試験的に搭載されたものの「調整が困難かつ実効がほとんど認められないどころか性能低下の一因ともなる」と酷評され正式採用が見送られたが、陸軍では研三(キ78)で水メタノール噴射装置の開発経験があり特性を理解した上で採用された。噴射装置に限らず当時の日本では品質管理が杜撰で信頼性は工員や整備員の腕に依存していたため、たとえ同じ装置であっても担当者の違いで稼働率や信頼性が異なることが多かった。また追加した噴射装置により工数が増えたことや、徴兵された熟練工に代わり勤労報国隊が生産を担当するようになると歩留まりが下がり、現場でも整備箇所が増え整備の負担となった。
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