独自開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 04:50 UTC 版)
1980年代半ばになると、DFVエンジンの競争力低下に伴い、独自のエンジン開発を行うようになる。1983年当時のCART(後のチャンプカー)用の2.65L V8 ターボエンジンを、ホンダと共同開発する。このエンジンは、当時のホンダF2用V6エンジン「RA260E」に2気筒足して2.65Lにしたもので、1985年にホンダが開発から撤退したのち、全ての権利を譲渡され「ジャッドAV」と名づけられ、1986年に「ブラバム・ホンダ」のバッジネームでCARTに参戦した。 1985年には、ホンダのインディプロジェクトと入れ替わる形で、F3000用V8エンジンを共同開発する。このエンジンは「ジャッドAV」のストロークを伸ばしたもので、「ジャッドBV」と名づけられた。このエンジンは、ジョン・ジャッド自身「ホンダのエンジン」と公言しており、1986年には「ホンダ・RA386E」として国際F3000選手権にデビューした。1987年には、全日本F2選手権にホンダがホンダRA387Eとして供給し、1988年からは無限によるチューンを受けて、「無限・MF308」として全日本F3000選手権に供給されている。また1990年代には無限エンジンとして国際F3000選手権へも供給されている。 1996年から2004年にかけては、国際F3000選手権のワンメイクエンジンとして同社が設計した「ジャッド・KV」が使用された。
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