日本軍の動向
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1943年(昭和18年)6月末の時点において、南東方面(ソロモン諸島、ビスマルク諸島、パプアニューギニア)の現地最高責任者は、南東方面艦隊司令長官草鹿任一海軍中将(南東方面部隊指揮官)である。中部ソロモン諸島を担任していたのは日本海軍であり、第八艦隊司令長官鮫島具重海軍中将(外南洋部隊指揮官)が所在の陸海軍部隊を指揮していた。現地で防備を担任していたのは、南東支隊(支隊長佐々木登陸軍少将)と第八聯合特別陸戦隊(司令官大田実海軍少将)であり、ニュージョージア島ムンダに司令所を置いていた。 6月29日深夜、呂109がレンドバ島を目指す輸送船団を発見し、6月30日朝にはラバウルの日本軍上級部隊(南東方面部隊、第八方面部隊)に連合軍レンドバ島上陸の速報が入った。これを受けてラバウルの第八艦隊(司令長官鮫島具重中将・外南洋部隊指揮官)は麾下の第三水雷戦隊(司令官秋山輝男少将、外南洋部隊増援部隊指揮官)に対してレンドバ島突入を命じる。第三水雷戦隊の本来の戦隊旗艦は軽巡洋艦川内であったが、内地で修理を終え6月30日に横須賀を出発したばかりだった。またラバウルには三水戦所属の軽巡洋艦夕張も停泊していたが、秋山少将は新鋭の秋月型駆逐艦5番艦新月を旗艦に選んだ。新月は3ヵ月前に竣工し、6月25日ラバウルに到着していた。 レンドバ島上陸時における外南洋部隊増援部隊(第三水雷戦隊)の艦艇は、ラバウルに三水戦司令官直率部隊(新月、望月、皐月、夕凪)、先行部隊のうち第11駆逐隊(天霧、初雪)がブカ島に、睦月型3隻(長月、水無月、三日月)がブーゲンビル島ブインに配置されていた。新月(三水戦旗艦)はラバウル在泊部隊を率いてレンドバ島沖に向かった。新月とは別に、第11駆逐隊司令杉野修一大佐指揮下の駆逐艦部隊(天霧、初雪、長月、三日月および水無月)がレンドバ島近海に先行して輸送船団を捜し求めていた。しかし、スコールに見舞われて敵を発見することが出来ず、新月はブインに、その他の駆逐艦はブカ島に、それぞれ帰投した(第八艦隊水上部隊の第一回出撃)。 水上部隊の出撃に呼応して日本軍航空部隊も連合軍上陸部隊に対して空襲をおこなうが、華々しい戦果報告とは裏腹に、連合軍の行動を掣肘することが出来なかった。日本海軍基地航空隊による空襲はその後も実施され、また日本陸軍航空隊(一式戦闘機、三式戦闘機、九七式重爆撃機)も7月2日より空襲を敢行した。しかし連合軍の進撃を抑えることはできず、日本軍航空隊は連日の出撃で大損害を受けることになった。 一方、連合軍レンドバ島上陸の速報を受けた連合艦隊は航空兵力・潜水艦兵力・水上部隊の南東方面派遣を下令し、この流れの中で前進部隊指揮官(第二艦隊司令長官近藤信竹中将)は駆逐艦浜風(第17駆逐隊)を急遽南東方面に派遣し、また出動準備中の重巡洋艦鳥海、第24駆逐隊(涼風、江風)、陽炎型2隻(雪風、谷風)をして南東方面部隊の指揮下に入れた。なお連合軍のレンドバ島上陸以後、ラバウルの日本陸軍・海軍上層部はレンドバ島奪還を巡ってたびたび連絡会議を開いていた。しかし、レンドバ島逆上陸のため増援兵力の駆逐艦輸送を主張する陸軍と、駆逐艦の派遣を渋る海軍側で意見の折り合いがつかなかった。第八方面軍は海軍の限界を知り、レンドバ島奪還に消極的になりつつあった。現地ニュージョージア島を守備する南東支隊(南東支隊長佐々木登陸軍少将、第八聯合特別陸戦隊司令官大田実海軍少将)の幕僚会議は、重苦しい空気に包まれた。 7月2日、第三水雷戦隊は再度レンドバ島突入を敢行する(第二回目の出撃)。この時は夕張艦長舟木守衛大佐指揮下の3隻(軽巡〈夕張〉、駆逐艦〈夕凪、三日月〉)で陽動隊を編成し、突撃隊(新月〔三水戦旗艦〕、天霧、初雪、長月、皐月、望月)は7月2日16時にブインを出撃して、日付が7月3日になろうとする頃にレンドバ島沖に到着した。この時も日本側は連合軍艦艇を発見することができず、魚雷艇を撃退したあとレンドバ島への艦砲射撃をおこない、引き揚げた。同時期、トラック泊地から来た重巡洋艦鳥海(艦長有賀幸作大佐)と護衛の駆逐艦(雪風、谷風、涼風、江風)は、ラバウルに到着した。この駆逐艦群が、クラ湾夜戦とコロンバンガラ島沖海戦を戦うことになる。 レンドバ島占領は、第八方面軍(司令官今村均陸軍中将)にコロンバンガラ島の防衛強化の重要性を再認識させた。陸軍は「ニュージョージア島防衛にこだわった責任を取って支援部隊を送れ」と要求したが、海軍は「ラバウルの航空部隊は(先月末のルンガ沖航空戦により)消耗しており、艦隊は燃料不足で出撃できず」と返答した。 3日、現地ムンダの日本軍南東支隊司令部で会議が開かれた。陸戦兵力を統一指揮する佐々木登陸軍少将(南東支隊長)は「レンドバ強行上陸案」(レンドバ島へ逆上陸して重砲を破壊すること。3日0735、南支電第154号)を提案したが、第八聯合特別陸戦隊(司令官大田実海軍少将、参謀今井秋次郎中佐)は大発動艇の被害を理由に、すぐには同意しなかった。また第八艦隊は南東方面艦隊と第八方面軍の同意を得て、佐々木少将に対して自重を命じた。しかし、戦局は日本軍にとって悪化する一方だった。連合軍はレンドバ島に重砲を据え付け、ムンダへの砲撃を開始した(前述)。つづいてレンドバ島とニュージョージア島間のルビアナ島とアンバアンバ島にも上陸した。ニュージョージア島東部にも上陸し、すでに橋頭堡を築いていた。 日本軍は、ニュージョージア諸島防備強化のため速射砲と陸兵2,600名、大発30隻分の物件と燃料80トン、そのほか海上トラック3隻をもちいてブイン~コロンバンガラ島輸送を実施することに決した。輸送は二度の鼠輸送によって行われることとし、7月4日と7月5日に駆逐艦4隻ずつを送り込むことになった。一方、アメリカ軍側もムンダ攻撃の支援のため、クラ湾に面したニュージョージア島北西部バイロコ地域に対して上陸作戦を行う事となり、アメリカ第37歩兵師団三個大隊を乗せた高速輸送艦を主体とする輸送船団と、ヴォールデン・L・エインスワース少将率いる火力支援担当の第36.1任務群を送り込む事となった。
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