日本軍の動向とは? わかりやすく解説

日本軍の動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 09:28 UTC 版)

クラ湾夜戦」の記事における「日本軍の動向」の解説

1943年昭和18年6月末の時点において、南東方面ソロモン諸島ビスマルク諸島パプアニューギニア)の現地最高責任者は、南東方面艦隊司令長官草鹿任一海軍中将南東方面部隊指揮官)である。中部ソロモン諸島担任していたのは日本海軍であり、第八艦隊司令長官鮫島具重海軍中将外南洋部隊指揮官)が所在陸海軍部隊指揮していた。現地防備担任していたのは、南東支隊支隊佐々木登陸軍少将)と第八聯合特別陸戦隊司令官大田実海軍少将)であり、ニュージョージア島ムンダ司令所を置いていた。 6月29日深夜呂109レンドバ島目指す輸送船団発見し6月30日朝にはラバウル日本軍上級部隊南東方面部隊第八方面部隊)に連合軍レンドバ島上陸速報入った。これを受けてラバウル第八艦隊司令長官鮫島具重中将外南洋部隊指揮官)は麾下第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将外南洋部隊増援部隊指揮官に対してレンドバ島突入命じる。第三水雷戦隊の本来の戦隊旗艦軽巡洋艦川内であったが、内地修理終え6月30日横須賀出発したばかりだった。またラバウルには三水所属軽巡洋艦夕張停泊していたが、秋山少将新鋭秋月型駆逐艦5番新月旗艦選んだ新月は3ヵ月前に竣工し6月25日ラバウル到着していた。 レンドバ島上陸時における外南洋部隊増援部隊第三水雷戦隊)の艦艇は、ラバウル三水司令官直率部隊新月望月皐月夕凪)、先行部隊のうち第11駆逐隊天霧初雪)がブカ島に、睦月型3隻(長月水無月三日月)がブーゲンビル島ブイン配置されていた。新月三水戦旗艦)はラバウル在泊部隊率いてレンドバ島沖に向かった新月とは別に、第11駆逐隊司令杉野修一大佐指揮下の駆逐艦部隊天霧初雪長月三日月および水無月)がレンドバ島近海先行して輸送船団を捜し求めていた。しかし、スコール見舞われて敵を発見することが出来ず新月ブインに、その他の駆逐艦ブカ島に、それぞれ帰投した(第八艦隊水上部隊第一回出撃)。 水上部隊出撃呼応して日本軍航空部隊連合軍上陸部隊に対して空襲をおこなうが、華々しい戦果報告とは裏腹に連合軍の行動掣肘することが出来なかった。日本海軍基地航空隊による空襲その後実施され、また日本陸軍航空隊一式戦闘機三式戦闘機九七式重爆撃機)も7月2日より空襲敢行した。しかし連合軍の進撃抑えることはできず、日本軍航空隊連日出撃大損害を受けることになった一方連合軍レンドバ島上陸速報受けた連合艦隊航空兵力・潜水艦兵力水上部隊南東方面派遣下令し、この流れの中で前進部隊指揮官第二艦隊司令長官近藤信竹中将)は駆逐艦浜風(第17駆逐隊)を急遽南東方面派遣し、また出動準備中の重巡洋艦鳥海、第24駆逐隊涼風江風)、陽炎型2隻(雪風谷風)をして南東方面部隊指揮下に入れた。なお連合軍レンドバ島上陸以後ラバウル日本陸軍海軍上層部レンドバ島奪還巡ってたびたび連絡会議開いていた。しかし、レンドバ島逆上陸のため増援兵力駆逐艦輸送主張する陸軍と、駆逐艦派遣渋る海軍側で意見折り合いがつかなかった。第八方面軍海軍限界知りレンドバ島奪還消極的になりつつあった。現地ニュージョージア島守備する南東支隊南東支隊佐々木登陸軍少将第八聯合特別陸戦隊司令官大田実海軍少将)の幕僚会議は、重苦しい空気包まれた。 7月2日第三水雷戦隊再度レンドバ島突入敢行する第二回目の出撃)。この時は夕張艦長舟木守衛大佐指揮下の3隻(軽巡夕張〉、駆逐艦夕凪三日月〉)で陽動隊を編成し突撃隊新月三水戦旗艦〕、天霧初雪長月皐月望月)は7月2日16時ブイン出撃して、日付7月3日になろうとする頃にレンドバ島沖に到着した。この時も日本側は連合軍艦艇発見することができず、魚雷艇撃退したあとレンドバ島への艦砲射撃おこない引き揚げた。同時期、トラック泊地から来た重巡洋艦鳥海艦長有賀幸作大佐)と護衛駆逐艦雪風谷風涼風江風)は、ラバウル到着した。この駆逐艦群が、クラ湾夜戦コロンバンガラ島沖海戦を戦うことになる。 レンドバ島占領は、第八方面軍司令官今村均陸軍中将)にコロンバンガラ島防衛強化重要性再認識させた。陸軍は「ニュージョージア島防衛こだわった責任取って支援部隊送れ」と要求したが、海軍は「ラバウル航空部隊は(先月末のルンガ沖航空戦により)消耗しており、艦隊燃料不足出撃できず」と返答した3日現地ムンダ日本軍南東支隊司令部会議開かれた陸戦兵力を統一指揮する佐々木登陸軍少将南東支隊長)は「レンドバ強行上陸案」(レンドバ島逆上陸して重砲破壊すること。3日0735、南支電第154号)を提案したが、第八聯合特別陸戦隊司令官大田実海軍少将参謀今井次郎中佐)は大発動艇被害理由に、すぐには同意しなかった。また第八艦隊南東方面艦隊第八方面軍同意得て佐々木少将に対して自重命じた。しかし、戦局日本軍にとって悪化する一方だった。連合軍レンドバ島重砲据え付けムンダへの砲撃開始した前述)。つづいてレンドバ島ニュージョージア島間のルビアナ島とアンバアンバ島にも上陸したニュージョージア島東部にも上陸し、すでに橋頭堡築いていた。 日本軍は、ニュージョージア諸島防備強化のため速射砲陸兵2,600名、大発30分の物件燃料80トンそのほか海上トラック3隻をもちいてブインコロンバンガラ島輸送実施することに決した輸送二度鼠輸送によって行われることとし、7月4日7月5日駆逐艦4隻ずつを送り込むことになった一方アメリカ軍側もムンダ攻撃支援のため、クラ湾面したニュージョージア島北西部バイロコ地域に対して上陸作戦を行う事となり、アメリカ37歩兵師団三個大隊乗せた高速輸送艦主体とする輸送船団と、ヴォールデン・L・エインスワース少将率い火力支援担当の第36.1任務群を送り込む事となった。

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