就航開始・運用の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 03:46 UTC 版)
「ボーイング757」の記事における「就航開始・運用の変遷」の解説
イースタン航空は757の初の商業運航を1983年1月1日にアトランタ - タンパ線で行った。1983年2月9日にはブリティッシュ・エアウェイズがロンドン-ベルファスト間のシャトル便に757を就航させ、3発旅客機であるホーカー・シドレー トライデントを置き換えた。チャーター便を運航しているモナーク航空とエア・ヨーロッパ(英語版)もこの年の後半に757の運用を開始した。早くから757を就航させた航空会社では、従来のジェット旅客機と比べて757は信頼性と静粛性能が向上していると評した。従来機種からの転換訓練によって、パイロットがCRTを用いた新しいコックピットに対応するのを助けられ、大きな技術的問題が起きることもなかった。イースタン航空は、757は従来機よりもペイロード容量が大きく、燃料消費が少なく、また、運航乗務員が2人で済むことから運用コストが低減されることを認めた。757の座席当たりの燃料消費は、特に典型的な中距離フライトでは、707よりも42パーセント、727よりも40パーセント少なく済んだ。 757のデビューは成功したものの、米国の航空自由化により需要が小型機に移ったことに加え、燃料価格が下落した結果、1980年代の大半で販売が伸び悩んだ。直接的な競合機種は存在しなかったが、マクドネル・ダグラス MD-80などの150席級のナローボディ機は機体価格が低く、757の座席配置によってはほぼ同数の乗客を乗せることができた。全く売れない期間が3年間続いたが、1983年11月にノースウエスト航空から20機の注文を受けたことで、生産ペースを下げずに済んだ。1985年12月には貨物型の757-200PFが発表されUPS航空から20機受注したほか、1986年2月には貨客混載型の757-200Mがローンチされロイヤル・ネパール航空から1機受注した。貨物型はメインデッキ(旅客型で客席が設けられる部分)を貨物室としたタイプであり、1987年9月にUPS航空によって初就航した。貨客混載型はメインデッキに乗客と貨物を収容できるモデルで、1988年9月にロイヤル・ネパール航空によって就航した。 1980年代後半になると、ハブ空港への路線集中が進み、米国で空港の騒音規制が始まったこともあり757の販売が好転した。1988年から1989年の間に合計322機の受注を獲得し、そのうちの合わせて160機はアメリカン航空とユナイテッド航空からの受注であった。このときまでに、米国の短距離国内路線と大陸横断路線では757が当たり前のように見られるようになり、老朽化した707や727、ダグラス DC-8、マクドネル・ダグラス DC-9を置き換えた。757-200の最大航続距離は3,900海里(7,220キロメートル)と727の1.5倍を超える長さとなり、航空会社は無着陸でより長い距離の路線に就航させることができた。さらに、757は厳しい騒音規制が課せられた空港(カリフォルニア州のジョン・ウェイン空港など)や、機体サイズに制限があった空港(ワシントンD.C.のビジネス街に近いワシントン・ナショナル空港(当時)など)からも飛び立つことが出来た。最終的に、デルタ航空とアメリカン航空は、それぞれ100機以上の757を就航させ、米国で最大の757運用者となった。 欧州では、ブリティッシュ・エアウェイズ、イベリア航空、アイスランド航空が757の主要なユーザーとなった一方で、ルフトハンザドイツ航空など他の航空会社はナローボディ機のニーズに対して757は大きすぎると考えた。1980年代の後半には、欧州の多くのチャーター便航空会社(エア2000(英語版)、エア・ホラント(英語版)、LTU国際航空など)が757を採用してパッケージ旅行向けなどの便に使用した。アジアでは旅客数の多さから757より大きな機体が好まれたため、受注数は少なかった。1982年における757の販売実績は、潜在的顧客であった日本航空に発注を促すほどのものではなかった。シンガポール航空はアジア初の757ユーザとなり、インドネシアとマレーシアの路線に757を就航させたが、ちょうど5年後の1989年には、保有機種を240席のワイドボディ機であるA310に統一するため、4機の757を売却してしまった。757は中華人民共和国では比較的受け入れられ、1987年に中国民用航空局が最初の発注を行った。中国での受注数は59機まで増えてアジアで最大の市場となった。中国南方航空、中国西南航空、上海航空、厦門航空、中国新疆航空ら中国の航空会社は757を中距離国内線で使用した。 1986年にFAAは757に対して、ETOPSと呼ばれる長距離飛行に関する規制緩和要件を認可し、北大西洋横断路線へ就航させられるようになった。この規制緩和は767が先行事例となり、まず、RB211エンジン仕様の757に対して認証が交付された。ETOPSは、着陸可能な飛行場が近くに無い洋上路線などを飛行する双発機に対する安全規格であり、この要件の下で米国の航空会社は757を中距離国際線にも就航させるようになった。757の開発当初において、大洋横断路線への就航は想定されていなかったが、北米の大陸横断路線で蓄積された信頼性性能に基づいて規制当局の認可が下された。PW2000シリーズエンジン仕様の757に対するETOPS認証は1990年4月に交付された。 1990年代の前半、FAAやアメリカ航空宇宙局 (NASA) や国家運輸安全委員会 (NTSB) などの米国の政府機関は757の後方乱気流特性について調査を始めた。757のすぐ後ろを飛行していた小型のプライベート機が操縦不能に陥り墜落した例など、死亡事故2件を含む事故が続いたほか、小型機が757の背後を飛行中に予期しないローリング運動を起こすという報告を受けた調査であった。調査団は757の主翼形状に着目して調査を行ったところ、離陸中や着陸中のある特定の状況において、より大型な767や747以上に翼端の渦流が強くなる可能性があった。これは試験飛行の時点では見過ごされていた。また、他の試験結果からは確定的な結論を出せず、各政府機関の間で論争を引き起こした。結局、FAAは1994年と1996年に航空交通管制の規制を改訂し、757の直後を飛行する場合は大型機に分類される他のジェット機よりも間隔を大きくとることになった。このため、FAAの分類規定において、757は136,000 kg(300,000ポンド)に満たない航空機で唯一「heavy」ジェットに分類されることになった。
※この「就航開始・運用の変遷」の解説は、「ボーイング757」の解説の一部です。
「就航開始・運用の変遷」を含む「ボーイング757」の記事については、「ボーイング757」の概要を参照ください。
- 就航開始・運用の変遷のページへのリンク