開発当初とは? わかりやすく解説

開発当初

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:07 UTC 版)

「風船爆弾」記事における「開発当初」の解説

風船爆弾は、陸軍少将であった草場季喜によれば1933年昭和8年)には自由気球爆弾懸吊兵器として使用する着想があったと伝えられる想定地域満州東部国境地域で、ソビエト連邦ウラジオストク攻撃しようという作戦だった。ほぼ同時期に陸軍少佐であった近藤至誠が、デパートアドバルーン見て「風船爆弾」での空挺作戦への利用思いつき、軍に提案をしたが採用されなかったので、軍籍離れ、自ら国産科学工業研究所設立し研究進めた。この時点コンニャク糊を塗布した和紙メイジン紙」を使用することは近藤想定中にあった。1939年昭和14年)には関東軍持ちこまれ、近藤極秘研究主任となる。1940年昭和15年)に近藤病死する研究進められ神奈川県陸軍登戸研究所開発されている。試験責任者佐藤賢了であった和紙コンニャク糊で作った気球水素詰め大気高層ジェット気流乗せてアメリカ本土攻撃しようとする兵器で、満州事変後の1933年昭和8年)頃から関東軍陸軍によって対ソ連宣伝ビラ配布用として研究され小型気球爆弾研究命令1939年昭和14年8月に、ふ号兵器としては1943年昭和18年8月研究命令出された。 1942年昭和17年8月15日大本営陸軍部は「世界戦争完遂ノ為ノ決戦兵器考案」を陸軍省要望した。その中に米国本土攻撃可能な「超遠距離飛行機」「特殊気球(フ号装置)能力増大」という項目があった。前者が超重爆富嶽後者風船爆弾である。同年秋頃太平洋偏西風利用して気球をはなち、アメリカ大陸本土攻撃しようという計画中央気象台中心として日本陸軍日本海軍持ち込まれ別個に開発はじまった

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開発当初

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:41 UTC 版)

蝋管」の記事における「開発当初」の解説

1877年7月18日トーマス・エジソン彼のチーム蓄音機発明したエジソン明瞭な音の録音再生初め成功したのは12月初頭のことで、手回し式の金属シリンダー表面に溝を掘りその上に巻きつけた薄いスズ箔に音を記録していた。スズ箔はコスト面でも音質面でも実用的な記録媒体ではなく粗製の手回し蓄音機物珍しい玩具として売られたのみで、利益は無いも同然だったその後エジソン実用的な白熱電球開発移り録音技術次なる改良他の人物により行われたボルタ研究所での7年間の研究実験経てチャールズ・サムナー・テンターアレクサンダー・グラハム・ベルチチェスター・ベル紙筒ワックス)を塗って記録媒体とし、凹み付けるのではなく彫り込むことで録音行った。テンターらの「グラフォフォン(英語版) (graphophone)」システム1887年米国議会議事記録係によって試験的に採用され、後にディクタフォン・コーポレーション(英語版)により商業用生産された。このシステムエジソン代理人の前で実演されると、エジソンはすぐに蓄音機に関する研究再開した。彼が最終的にたどり着いた記録媒体全体ワックス作った分厚い筒で、表面を削ることで何度も再利用することができた。グラフォフォンとエジソンの「パーフェクテッド・フォノグラフ(Perfected Phonograph,「完成形蓄音機」)」はともに1888年商品化された。最終的に特許共有する契約結ばれ紙筒ワックスコーティングする方式廃止されて、エジソンによる一体成形蝋管方式が共通の標準フォーマットとなった1885年からは録音済み蝋管売られ始めた[要出典]。プロによる歌や器楽曲ユーモラスなモノローグ録音したのだった当初顧客アーケード居酒屋設置されていたニッケル・イン・ザ・スロットマシン(最初ジュークボックス)の所有者だけであったが、年を追うごとに蓄音機個人所有者が多く蝋管買って家庭で楽しむようになった。再生装置心棒蝋管付け外しするのは容易だった初期の管は録音時間が2分間で、約120 rpm速さ再生された。それらは比較柔らかい種類ワックス作られており、何十回か再生する摩耗してしまった。購入者専用仕組み用いて蝋管表面削り滑らかにしてから再び録音した1880年代末から90年代にかけて販売され蝋管蓄音機には録音機構が付属するのが普通だった再生だけでなく録音可能なことは、1890年代終わり量販市場出た安価なディスクレコード型蓄音機との競争において利点となったディスク蓄音機録音済みの音を再生するためにしか使えなかった。 蓄音機産業のごく初期には、シリンダー型レコード録音方式互換性のないものが多数生み出され競合していた。1880年代後半になって、エジソン・レコーズ、コロムビア・フォノグラフや他の企業により標準方式決められた。標準蝋管長さ 4インチ (10 cm)、直径2+1⁄4インチ (5.7 cm)、再生時間2分間であった年月が経つうちに、蝋管ワックス硬いものに変更され音質落とさず100回以上再生できるようになった1902年、エジソン・レコーズは硬さを向上させた蝋管ライン立ち上げ、「エジソン・ゴールド・モールデッド・レコーズ」の名で販売した。このときエジソンが、マスターとなる管から取った型(モールド)を用いて数百本の管を生産するプロセス発明したことは大きな進歩だった。このプロセス加工中に電極から金の蒸気発生したことから「ゴールド・モールデッド」と呼ばれた黎明期蝋管一本ごとに生音源から録音しなければならず、記録媒体とされた茶色柔らかいワックスはわずか20再生しただけで摩耗してしまった。時代が進むと、再生用と録音用の蓄音機ゴムチューブ連結したり、パントグラフ(英語版)を利用することで蝋管複製ができるようになった複製管の音質は最高とはいかなかったが、商品としては十分であった

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