エジソン【Thomas Alva Edison】
トーマス・エジソン
【英】Thomas Edison, Thomas Alva Edison
トーマス・エジソンとは、米国の発明家である。1847年2月11日生まれ。その生涯においておよそ1300もの発明を行い、数多くの特許を取得した発明王として世界的に知られている。同時に、ゼネラル・エレクトリック(GE)社を設立した企業家として、またリュミエール兄弟と並ぶ映画技術の父としても有名である。
研究所のおかれた地名にちなんで「メンロパークの魔術師」(The Wizard of Menlo Park)の異名をとる。1931年10月18日没。
【主な発明品】
電気投票記録機(1868年)
株価表示機(1869年)
電話機、 蓄音機(1877年)
白熱電球(1879年)
発電機、電気照明システム、電気機関車(1880年)
改良型蓄音機(1888年)
動画撮影機キネトグラフ(1889年)
覗き眼鏡式映写機キネトスコープ(1889年-91との説もあり)
改良映写機ヴァイタスコープ(1897年)
アルカリ蓄電池(1909年)
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トーマス・エジソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 14:53 UTC 版)
トーマス・アルバ・エジソン(英: Thomas Alva Edison[1][注 1]、1847年2月11日 - 1931年10月18日)は、アメリカ合衆国の発明家、起業家。スポンサーのJPモルガン、秘書のサミュエル・インサル、そしてメロン財閥とアメリカの電力系統を寡占した[2]。Life誌が1999年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」において第1位に選出されている[3]。
注釈
- ^ トーマスではなくトマス・エジソンと表記することも多い。また「エジソン」の代わりに「エディソン」「エディスン」と表記する場合もある。
- ^ ただし、厳密に言えば、白熱電球に関して言えば、エジソンは数万もの試行を計画・指揮・実行することで実用化に成功した人物なのであって、白熱電球の原理は一応エジソン以前に既に知られており、エジソンの独創というわけではない。
- ^ 当時、人々は電球も電線も発電所もない状態で生活しており、たとえば米国では夜間の明りと言えば灯油ランプを用いていた。それがエジソンが実用化した白熱電球によって、人々が夜間に明りを得る方法が一変することになったのである。
- ^ エジソンは自分の発明の利益を守ることに非常に熱心であり、そのための訴訟を厭わなかった。そのため、彼の生涯は「1%のひらめきと99%の訴訟」と評されることがある。
- ^ エジソンは聴力に障害があったが、彼自身はこの障害を苦にしていた様子はなく、逆に「周りの雑音に悩まされず研究に集中できるから、かえって好都合だ」と語っていたという。晩年にエジソンの研究所が火事にあって全焼してしまった時、エジソンは既に67歳の高齢であったが、それでも彼は少しも落胆した様子を見せず、「これでむだな物はすっかりなくなった。これからまた新たな気持ちで新たな研究を始められる」と言ったという。
- ^ エジソンは(その発明の独創性については論議の分かれるところであるが)いかなる困難も苦痛だと思わない強靭な精神力と不屈の信念の持ち主であった事に関しては異論の余地がない。彼が数千種類の実験材料を使って数千回の実験を行い、その全てが失敗に終わっても、彼はこれを決して無駄とは見なさず、「実験の成果はあった。これら数千種類の材料が全て役に立たないという事が分かったのだから」と語っていたという。因みにエジソンが生涯で最も手間と費用をかけた発明は自動車用のアルカリ蓄電池で、エジソンはこれを完成させるまでに5万回を超える実験を繰り返したと語っている。
- ^ 「いかなる困難や障害も恐れない不屈の信念で発明に取り組んだ」と言われるようなエジソンであったが、その彼が研究を諦めた発明の1つにヘリコプターがある。エジソンが1880年代に考案したヘリコプターは、火薬の燃焼によってエンジンを動かし、プロペラを回転させて空を飛ぶ仕組みであったが、実験の最中に彼が試作した火薬エンジンが爆発事故を起こしてしまった。幸い死傷者は出なかったが、さすがのエジソンも人命に関わる危険な実験をそれ以上続けるわけにはいかず、彼は不本意ながらヘリコプターの開発を断念する事となった。
- ^ 当時はまだ義務教育の制度が確立しておらず、家庭の事情などで小学校へ行かない子供もさほど珍しくなかった。
- ^ 「自由思想家」という概念については、kotobank 自由思想家なども参照可。
- ^ 送電方法について、交流を推進するニコラ・テスラおよびウェスティングハウス・エレクトリック社と対立し、劣勢に立たされ追い込まれたエジソンは、相手の足を引っ張るために一種のネガティブ・キャンペーンを行うことを画策。人々に「交流は危険」との印象を持たせることで、直流になびかせようとしたのである。ニューヨーク市が絞首刑に代わる死刑執行方法を募集しているのを知ると、交流電流でそれを行うことで交流の評判を悪くすることを思いつき、交流発電機を使った感電の動物実験を重ね、電気椅子を発明し市に提案、その電源に交流が採用されるように画策したのである。その結果、実際に、史上初めて電気椅子による死刑が執行され、そのニュースが新聞で広く報道された。だが、影響はエジソンの目論見どおりにはゆかず、人々の意識に残ったイメージというのは、エジソンが意図していたような「交流は怖い」というイメージではなく、最も強烈に残ったのは「電気での処刑という残虐行為を首謀した恐ろしい人物はエジソンだ」というイメージであった。エジソンは自分の名・評判を汚してしまい、またその背後にいる出資者のJ.P.モルガンまで評判を落としかねない事態となった。また、人々の間におきた反応は、せいぜい「電気は全て怖い」(交流であれ直流であれ怖い。灯油の代わりに電気を使うのは止め、灯油に戻ろうか)という反応であり、電気全体に対するネガティブキャンペーンになってしまった。「電流戦争」も参照
- ^ こうした概念や考え方は近年では「セレンディピティ」と表現されることもある。
出典
- ^ エジソンの葬儀が催された1931年10月21日、全米ではエジソンの功績を讃え、彼の死を弔うため午後10時から1分間電灯が消されるというトリビュート目的のイベントがあった。しかし、その情報がしっかりと行き渡っておらず、突然の停電にパニックになった地域もあった。出典:『トリビアの泉へぇ〜の本 (12)』 2005年。
- ^ エジソンの晩年、自動車王のヘンリー・フォードがエジソンを驚かせようとして、エジソンのメンロパーク時代の研究所を忠実に再現した建物を造った。これを見たエジソンは「99.5%は完璧に再現してある。しかし、私は研究所の中をこんなに綺麗にはしていなかった。それが0.5%の間違いだ」と笑いながら言ったという。
- ^ エジソンが蓄音機を発明して評判になっていた頃、研究所に後に監督となるジョン・H・ヴィンセント牧師が現れた[29]。彼は「機械がしゃべるわけがない。腹話術師でも隠れているのだろうから、いかさまを暴いてやる」と、聖書に登場する難しい人名を立て続けに並べた早口言葉を蓄音機に向かって喋った。しかし、少しの間違いもなく完璧に返答されたので、彼は仰天すると同時にすっかり感心し、エジソンに向かって「あなたに神からの祝福があるように」と言って帰って行ったという[要出典]。
- ^ ハリウッドが生まれる前のアメリカ映画では、エジソンの会社がアメリカ東部においては映画業界をほぼ独占し、競合他社との間で特許を共有するトラスト(モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー)を形成して、トラストに参加しない会社の映画製作をマフィアや探偵を使うなどして妨害したり、電流戦争ではテスラへの妨害工作をしたりしていた。
- ^ 英語発音: [ˈtɑməs ˈælvə ˈedəs(ə)n]
- ^ Gifford Pinchot, The power monopoly ; its make-up and its menace., Milford, 1928, especially Appendix B
- ^ a b c LIFE誌 この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人『この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人』1999年2月28日(文化面)2024年1月15日閲覧
- ^ “コロナ禍「日光を浴びない」という意外な大問題”. 東洋経済オンライン. (2020年5月9日) 2020年11月30日閲覧。
- ^ a b c d e 『ブリタニカ百科事典』【エジソン】
- ^ a b c d 立本信「エジソンと京都 竹の縁◇父の指示で発明王ゆかりの品収集、子孫と交流も◇」『日本経済新聞』朝刊2020年2月28日(文化面)2020年2月29日閲覧
- ^ “National Historic Landmarks Program (NHL)”. web.archive.org (2011年8月8日). 2022年9月9日閲覧。
- ^ Center, Smithsonian Lemelson (2004年4月18日). “Thomas Edison's Inventive Life” (英語). Lemelson Center for the Study of Invention and Innovation. 2022年9月9日閲覧。
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- ^ ターベル (1975)
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- ^ “Rev. S. Herben Dead at 75”. The Courier-News: pp. 11. (1937年2月23日) 2022年9月9日閲覧。
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- ^ Neil Baldwin『Edison: Inventing the Century』University of Chicago Press、2001、408頁。
- ^ Mary Stilwell Edison
- ^ National Historical Park New Jersey, "Thomas Alva Edison Jr", Last updated: February 26, 2015
- ^ 椿 正晴 訳『エジソン 20世紀を発明した男』三田出版会、1997年、669頁。ISBN 489583185X。
- ^ “Mina Miller Edison: A Valuable Partner to Thomas Edison”. edisonmuckers. 2017年5月27日閲覧。
- ^ a b David Geary (2016年8月2日). “Learn How Thomas Edison, Mina Miller Fell in Love at Chautauqua”. The Chautauquan Daily. 2017年5月27日閲覧。
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- ^ 『人物アメリカ史(下)』ロデリック・ナッシュ、グレゴリー・グレイヴズ著 足立康訳 講談社学術文庫 2007年9月10日第1刷
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- ^ “蓄音機の日、アナログ機器で音楽を味わってみては”. マイナビニュース. (2019年7月31日) 2020年11月28日閲覧。
- ^ 浜田 (2000)
- ^ Genius Is One Percent Inspiration, Ninety-Nine Percent Perspiration. (Quote Investigator)
- ^ 1932 September, Harper's Magazine, Volume 165, Edison in His Laboratory by M. A. Rosanoff, Start Page 402, Quote Page 406, Column 2, Harper & Brothers, New York.
- ^ 友好都市 マイラン村 ※八幡市のサイトでは「マイラン」と表記
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