開発後のTZ-45
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 03:35 UTC 版)
「TZ-45短機関銃」の記事における「開発後のTZ-45」の解説
生産されたすべてのTZ-45は1944年から翌年の1945年までの間に約6000丁ほどがイタリア各地の中小企業で製造され、第二次世界大戦末期の北部イタリアの戦いではイタリア社会共和国(サロ政権)軍とそれに反抗するイタリア人パルチザンなど、両陣営で使用されている。戦後余剰となったTZ-45の多くはアメリカ軍及びイギリス軍によって回収され研究調査されたが、両国の研究者は、共に材質の悪さ等を理由にTZ-45に対して高評価を示さなかった。 その後1952年代に入ると、ネ・ウィン指導の下に自国製武器の開発に注目していたビルマ(現ミャンマー)政府によってTZ-45は再び注目され、イタリア人技師を招くなどして徹底的に研究された。そしてビルマ製TZ-45でもあるBA-52を後に開発している。BA-52の完成後はラングーンやインヤ湖付近にある軍需工場などで量産が開始され、ビルマ陸軍の標準サブマシンガンとして採用された。 しかしながら完成したBA-52もTZ-45から続く材質の悪さや機関部の不具合までもが受け継がれており、後に兵隊の間ではBA-52は「ネ・ウィンのステンガン」という蔑称が付けられている(イギリスのステンガンも開発初期は不具合が続出したため)。 その後、ミャンマー軍は、イスラエル製のUZI短機関銃を1990年代に国内でライセンス生産して装備したため、現在では第一線を離れているとみられる。
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