催事・祭事
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JAさが大町支所フレッシュ野菜グループ朝市(毎週水曜日8時30分 - ) おおまち納涼まつり(8月14日) ソウケ市(毎年9月27日正午 - 29日正午まで) おくんち(10月19日) - 大町八幡神社と福母八幡宮の秋季例大祭が同日にそれぞれ開催されている。
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催事・祭事
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毎年7月の第1土曜日が海開きとなっており、大太鼓がたたかれる。以前は同日に弁天島海開き花火大会が行われていた。また、弁天神社の祭礼が海開き1週間前に行われる。 このほか、舞ちゃん夏まつりやHAMANAKO HaNaBi BENTENJIMA GATEWAY Festivalも行われている。
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催事・祭事
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渥美半島には、古くから伝わる、五穀豊穣・豊漁などを祈願する祭りのほか、花をテーマとした催し事が一年を通して開催される。これらのまつりでは、渥美半島の先人たちの生活の息吹を感じ、現代に伝わるその風習を垣間見ることができる。 渥美半島菜の花まつり(1月上旬〜3月下旬) 渥美半島では1977年(昭和52年)から菜の花の栽培が始まり、1997年(平成9年)に第1回菜の花まつりが開催された。メイン会場の「伊良湖菜の花ガーデン」では、巨大菜の花迷路や菜の花狩りのほか、菜の花を使ったグルメや地本特産品の販売などがある。品種は、黒川寒咲ちりめんと尾張寒咲ちりめん等の5種類があり、遺伝子組み換えの無い種をまいているので食用にも適する。田原市内では約20ヘクタール、1,200万本の菜の花が咲き、渥美半島に一足早く春の訪れを告げる。 おたがまつり(3月の第2日曜日) 六連町の長仙寺で開催される。1834年(天保5年)に近江の多賀神社から、境内西の阿弥陀堂に分霊を迎えたことに始まる多賀壽命尊の祭礼である。漁師たちの奇祭として知られ、祭りの当日は朝から多くの参拝者でにぎわいを見せる。祭りの中心となるのは「玉取り」で、表浜の漁師たちが網子連となって、網の命運をかけて直径5センチメートルの糸毬を奪い合う。玉を取った網子連は、神仏の加護により海上安全と大漁の祈願を成就させてもらえるという。 御衣祭(おんぞまつり)(4月の第3日曜日) 伊良湖の伊良湖神社で開催される。神輿渡りの神事のほか、100を超える露店が参道に並び、漁夫歌人・糟谷磯丸の供養祭などもあわせて行われる。伊良湖神社はかつて、伊勢神宮に納められる生糸を一時仮納する場所であり、糸はその後「お糸船」で伊勢まで運ばれた。江戸時代の中頃、「お糸船」の港は吉田(現在の豊橋市)に移されたが、それ以降も伊良湖神社で祭事のみが行われている。祭りの当日には地元の人々が針やはさみを手にしない習わしがある。 田原凧祭り(5月の第4土・日曜日) 江戸時代から続く伝統の祭りで、1日目の「初凧」と2日目の「けんか凧合戦」からなる。初凧は、江戸時代初期、男の子が生まれた翌年の端午の節句に親戚などから贈られた祝い凧を揚げ、その子の健やかな成長と家紋繁栄を願ったのが始まりである。現在は田原凧祭りの初日に「初凧祈願祭」として開催され、武者絵・歌舞伎絵などが描かれた華やかな初凧が空を舞う。翌日行われる「けんか凧合戦」では、赤組・青組に分かれた約40のチームが独自の凧印を描いたけんか凧を空高く揚げ、互いの凧糸を切りあう。糸を絡ませあい、切りあうために凧糸にはナンキン(ガラスの粉末)を付けている。田原凧の特徴は、横長で、縦に2本、つり合いを調整するための糸目がつけられていることで、この一見不安定な構造が、田原凧の縦横無尽な動きを可能にしている。田原凧けんか凧合戦・初凧は、1993年(平成5年)9月22日に田原市の無形民俗文化財に指定された。 龍宮まつり(8月15日) 白谷海水浴場で行われる。海岸に高さ80センチメートルの砂の亀を作り、祭壇を整え、八大龍王神に海の安全と大漁を祈願する。砂浜での祈願の後は、浦島太郎に扮した小学生が張りぼての海亀に乗り、大漁旗を掲げた漁船に囲まれて沖に向かう。浦島太郎役の少年が湾内を三周して供物を海中にしずめ、神酒を供えて浜に帰ると、地元の子供たちによる浦島太郎の寸劇が披露される。龍宮まつりは、江戸末期に始まった竜神祭が起源とされ、1942年(昭和17年)に戦争で中断したものの、1969年(昭和44年)に復活して今日に至る。 田原祭り(9月中旬の土・日曜日) 江戸時代、熊野神社の祭礼として始まった祭りで、明治時代より現在の姿になった。昼はからくり山車やおはやし、町の神輿が田原の城下町を練り歩き、夜は子供が手おどりを舞う夜山車や打ち上げ・手筒・仕掛け花火あわせて約4,000発などが披露される。田原では昔から、神は天から降りてくるもの・遠い海の彼方から渡ってくるものと考えられていたため、高い樹木や海辺の岩などが神のやどる神聖な物/場所、依代(よりしろ)と呼ばれていた。そこから、笠をかぶりその上に鉾(ほこ)をつけた人工的な依代が祭りに使われたことが、田原祭りにおける山車の始まりとされる。山車とからくり人形は1988年(昭和63年)に田原市の有形民俗文化財に指定された。 かあか祭(10月中旬の土・日曜日) 小中山町の氏神である六所神社を中心に開催される。「かあか」とはこの祭りに参加する子供たちが唱える言葉からとった俗称で、正式には「御祭宵宮の通夜」という。6歳から15歳までの男の子が六所神社の参道の両側に並んで座り、「パイ」と呼ばれる木の棒で板の太鼓をたたきながら「オタヨーノ、タヨタヨ、氏神さんにもお白餅食いたい。カアー、カア。いくよなくなるよな、オタヨーノ、タヨタヨ」と繰り返す。参詣する人々は、米の粉を練り混ぜて作った白餅を子供たちに配り、五穀豊穣、家内安全を祈願する。かあか祭の起源や由来の詳細は不明であるが、かつてこの地を訪れた高貴な方が病に倒れ、それを知った村人が薬用にと白餅を献上したことに始まると言われている。 ごせんだら祭(大晦日の除夜〜元旦) 新しい年の豊漁と無病息災を願って、伊良湖神社で行われる火祭りである。カツオを乾かして俵に詰めたもの(肥料)が5千俵(多く)取れることを願いこの名がつけられた。はっぴ・はちまき姿の子供たちが「ヨーイヤッサ、ヤッサ、ヤッサ」と声をかけながら村中を回り、十字路にさしかかると綱を引き、大漁袋をころがすまねをしながら、伊良湖神社境内へ集合する。そして、若者たちによって火打石から火が起こされ、たいまつに火がつけられる。やがて、石段を上り、本殿の燈籠に御明かりが移されて神事が始まる。一方、拝殿前の広場に祠形に組まれた松の大割り木に火が移されると、参詣者たちが競って火の粉を浴び、1年の息災を神仏に祈る。
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