代表的な唄者
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福島幸義大島郡鎮西村(現・瀬戸内町)鹿児島県諸数出身。 武下和平のおじに当たる。ヒギャ節の名手であり、詩吟も名手であった。 池野無風大島郡笠利村(現・奄美市)出身。 奄美の島唄と詩吟や謡曲や日本民謡などをこよなく愛した奄美大島北部のカサン唄の名人であった。奄美の三線の他尺八や三味線なども嗜んでおり、高い声を出していく鍛錬をする際などは伴奏に使う尺八をより高いキーのものに変えながら教授していた事でも有名である。 南政五郎大島郡笠利村(現・奄美市)佐仁出身。1889年-1985年。カサン唄の代表的唄者として知られる。地元で唄者として知られた母のもとで育ち、唄遊び(歌掛け)の場で自然に島唄を覚えて育つ。25歳の時、名瀬の八千代館という劇場でデビューした。戦後になり、アメリカ統治下で娯楽の乏しかった時代に奄美諸島各地を回り、その名を全島に広めた。1961年(昭和36年)、文部省主催・全国民俗芸能大会に参加。1975年(昭和50年)、郷土民族部門・南海文化賞受賞。 吉永武英大島郡宇検村屋鈍出身。 同村湯湾出身の故石原豊亮氏や芦検出身の故中山音女氏や故田原ツユ氏や奄美大島在住時代の朝崎郁恵氏などヒギャ節の歌い手と戦後共演し、活躍していた代表的な人物の一人である。 山田武丸大島郡龍郷村(現・龍郷町)秋名出身。 奄美大島北部の龍郷町秋名出身の唄者。「家の中の座敷」に座って唄う、「座唄(ゆりうた)」や、仕事唄である「イェト」などの古風な島唄を得意とした「唄者」であり、独特な絞り出されたような声も特徴的であった。 武下和平兵庫県在住。奄美群島の加計呂麻島瀬戸内町諸数出身。戦後の島唄の先駆者。昭和30年代から活躍。島唄のレコードが普及し、武下の流暢な三味線の音色と、独特の裏声にて唄われるヒギャ節に魅了されて地元では勿論、本土でも島唄がより広く知られることとなった。関東、関西、地元と島唄普及に尽くしている。なお、複数の発表会などでも披露されているように詩吟の名手でもある。 太原俊成大島郡東方村(現瀬戸内町)嘉鉄出身。 「ニューグランド」レーベルに多数の音源を残している「ヒギャ節」の中でも珍しい奄美大島東海岸地域出身の唄者。東京の国立劇場にて、日本初の奄美島唄の公演を行った。 勝島徳郎大島郡西方村(現瀬戸内町)久志出身。 近隣の宇検村の唄者から習い取った民謡や八月踊り唄などを含む多数の希少な島唄を得意とした奄美大島西海岸出身のヒギャ節の名手の一人である。晩年は兵庫県にてすごしていた。 石原豊亮大島郡宇検村湯湾出身。 ヒギャ節のカテゴリーに良く入れられる旧焼内村域である現在の宇検村の「エイチ(焼内)唄」の唄者。中でも特に独特な島唄が濃厚に残る地域の湯湾の出身でもあり、同村生勝出身の坪山豊とはかなり歌風がことなる島唄を唄っていた。 坪山豊奄美大島大島郡宇検村生勝出身。2020年没。 島唄界の第一人者。国内はもとより、海外までも招待を受けて活躍した名人。船大工という職業を持ちながら、奄美大島の生活の風、香りを受けながら島唄の普及に尽力している。人柄の良さから多くの門下生を育て、その門下生も全国民謡大会での優勝や大きなライブなどで活躍した。NHKなど、テレビ出演多数。自身の作った「ワイド節」「あやはぶら」など、島唄をポピュラーにした功績も大きいものであった。沖縄県内の民謡レーベルゴモンレコードからカセットテープ時代にアルバムをリリースするなど、沖縄県内での奄美群島に対する理解を深めた功績も高く評価される。 築地俊造大島郡奄美市笠利町川上出身。 30代のころ福島幸義に師事。その後坪山豊と交流し、島唄の磨きをかけた。国内、国外招待多数。高音質の唱法に特徴があり、洋楽にも通じるものがあるといわれていた。島唄の即興が得意。日本民謡大賞優勝、総理大臣杯受賞。2017年死去。 濱川昇奄美大島[大島郡(鹿児島県)|大島郡]大和村大金久出身。 生前、奄美大島の旧名瀬市の市街地にて三線店を経営していた。故築地俊造氏が近接した建物に若い時分に住んでおり、濱川昇氏が製作し、組み上げたばかりの三線を弾きながら歌三線を研鑽した話は有名である。晩年は鹿児島県指定伝統的工芸品「奄美の三線」の伝統工芸士に指定され、後に店舗を奄美大島奄美市名瀬石橋町から故郷にほど近い奄美大島大和村大和浜に自宅ごと転居していた。生前は実兄の信良氏と「濱川兄弟」として親しまれ、奄美大島南部方面の「国直米姉」や「飯米取り節」などを兄弟での連弾と交互に唄うスタイルで人気を博していた。 生元高男奄美大島大島郡宇検村生勝出身。 故坪山豊氏と同じく奄美大島南部の宇検村生勝出身であるが、坪山氏とは対照的に家族中が島唄好きでよく楽しみ、中学校を終えてから本格的に島唄三線を始め、以来名瀬に居を構えていたが、折に触れて故郷の宇検村生勝に帰り、故郷の古老達から島唄を学んできた謙虚な性格で親しまれている。 当原ミツヨ奄美大島奄美市笠利町在住。1987年(昭和62年)、地元で民謡大会が行われ、初めて出場する。地区大会を勝ち進み、初出場で日本民謡大賞での日本一の栄冠を手に。奄美群島初の女性民謡日本一となる。その時の「野茶坊節」は一躍全国に知られるようになる。その後同大会では、奄美大島(瀬戸内町)のRIKKIが優勝した。大島紬を織るかたわら、教室を開講し後輩の指導、ライブなどで活躍中。 石原久子大島郡宇検村湯湾出身。 奄美大島中心の名瀬の公民館講座の講師を歴任するなど島唄に対する貢献度は高い。「ニューグランド」や「キングレコード」や「JABARA」などからも島唄の音源が発売されている。 朝崎郁恵加計呂麻島大島郡鎮西村生まれ。現在、神奈川県在住。島唄の研究をしていた父の影響を受け、10代で天才唄者として活躍していた。その後、横浜に在住し、1984年から10年連続して国立劇場で公演。ニューヨークのカーネギー・ホールやロサンジェルス、キューバなどでもコンサートを開催。最近は、ピアノとのコラボレーションによるミニアルバムCD「海美(あまみ)」を発表。細野晴臣、UAをはじめ多くの信奉者を集めた。67歳でメジャーデビュー。メディアからも大きな反響をよび、NHKの『新日本風土記』のテーマ曲「あはがり」も歌っている。毎年恒例の「渋谷おはら祭」でも、常連で活躍。 RIKKI奄美大島大島郡瀬戸内町出身。佐賀県在住。 本名・中野律紀(なかの りつき)。高校生の時、初出場で日本民謡大賞で日本一に、曲目は「むちゃ加那」。その後上京して本格的な歌手デビューを目指し、BMGビクターより本名の中野律紀でポップス系のアルバム『風の声』でデビュー。 海外での活動も多く、最近は奄美の新しい音楽スタイルを目指している。NHKなどテレビ出演も多い。 元ちとせ奄美大島大島郡瀬戸内町出身。 島唄の特徴的な歌唱法である裏声を生かし、全国に感動を与えた本格的な女性歌手。1996年に奄美民謡大賞新人賞、1998年に同大賞を受賞。2002年メジャー・デビュー。『ワダツミの木』は、リリース後2ヶ月を経てシングル・チャートで1位を記録。ファースト・アルバム『ハイヌミカゼ』は2週連続1位。『千の夜と千の昼』、『いつか風になる日』と、シングルをリリースし、セカンドアルバム『ノマド・ソウル』を発表。 中孝介奄美大島出身。島唄の名人の坪山豊に師事、シマ唄を習い始める。第19回奄美民謡大賞に初出場し、努力賞を受賞。2000年には同大賞で新人賞、日本民謡協会奄美連合大会で総合優勝。琉球大学卒業後の2006年にシングル『それぞれに』でメジャーデビュー。テレビ、CM等でも活躍中。 里アンナ大島郡奄美市笠利町出身。 2005年にメジャー・デビュー。主な出演に2005年の『愛・地球博』のオープニング・イベントや、2010年の『上海万博』での海外公演がある。ミュージカルにも出演する傍ら、三味線を弾き、島唄のみのライブを行うこともしている。 牧岡奈美喜界島大島郡喜界町出身。 2001年に奄美民謡大賞を受賞。『うふくんでーた』(2001年)、『南柯 Nanka』(2005年)、『シツルシマ』(2007年)などのアルバムを発表。現在は関東在住で、ライブ活動などを行っている。
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