代表的な唄者とは? わかりやすく解説

代表的な唄者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:13 UTC 版)

島唄」の記事における「代表的な唄者」の解説

福島幸義大島郡鎮西村(現・瀬戸内町)鹿児島県諸数出身武下和平のおじに当たる。ヒギャ節の名手であり、詩吟名手であった池野無風大島郡笠利村(現・奄美市)出身奄美島唄詩吟謡曲日本民謡などをこよなく愛した奄美大島北部カサン唄の名人であった奄美三線の他尺八三味線なども嗜んでおり、高い声出していく鍛錬をする際などは伴奏に使う尺八をより高いキーのものに変えながら教授していた事でも有名である。 南政五郎大島郡笠利村(現・奄美市)佐仁出身1889年1985年カサン唄の代表的唄者として知られる地元唄者として知られた母のもとで育ち、唄遊び(歌掛け)の場で自然に島唄覚えて育つ。25歳の時、名瀬八千代館という劇場デビューした戦後になり、アメリカ統治下娯楽乏しかった時代奄美諸島各地回り、その名を全島広めた1961年昭和36年)、文部省主催全国民芸能大会参加1975年昭和50年)、郷土民族部門南海文化賞受賞吉永武英大島郡宇検村屋鈍出身同村湯湾出身の故石原豊亮氏や芦検出身の故中山音女氏や故田原ツユ氏や奄美大島在住時代朝崎郁恵氏などヒギャ節の歌い手戦後共演し活躍していた代表的な人物一人である。 山田武丸大島郡龍郷村(現・龍郷町)秋名出身奄美大島北部龍郷町秋名出身唄者。「家の中座敷」に座って唄う、「座唄(ゆりうた)」や、仕事唄である「イェト」などの古風な島唄を得意とした「唄者」であり、独特な絞り出されたような声も特徴的であった武下和平兵庫県在住奄美群島加計呂麻島瀬戸内町諸数出身戦後島唄先駆者昭和30年代から活躍島唄レコード普及し、武下の流暢な三味線音色と、独特の裏声にて唄われるヒギャ節に魅了され地元では勿論、本土でも島唄がより広く知られることとなった関東関西地元島唄普及尽くしている。なお、複数発表会などでも披露されているように詩吟名手でもある。 太原俊成大島郡東方村(現瀬戸内町)嘉鉄出身。 「ニューグランド」レーベル多数音源残している「ヒギャ節」の中でも珍しい奄美大島東海岸地域出身唄者東京国立劇場にて、日本初奄美島唄公演行った勝島徳郎大島郡西方村(現瀬戸内町)久志出身近隣宇検村唄者から習い取った民謡八月踊り唄などを含む多数希少な島唄を得意とした奄美大島西海岸出身のヒギャ節の名手一人である。晩年兵庫県にてすごしていた。 石原豊亮大島郡宇検村湯湾出身。 ヒギャ節のカテゴリー良く入れられる焼内村域である現在の宇検村の「エイチ(焼内)唄」の唄者中でも特に独特な島唄濃厚に残る地域湯湾出身でもあり、同村生勝出身坪山豊とはかなり歌風がことなる島唄を唄っていた。 坪山豊奄美大島大島郡宇検村生勝出身2020年没。 島唄界の第一人者国内もとより海外までも招待受けて活躍した名人船大工という職業持ちながら、奄美大島の生活の風、香りを受けながら島唄普及尽力している。人柄良さから多く門下生育て、その門下生全国民大会で優勝大きなライブなど活躍したNHKなど、テレビ出演多数自身作ったワイド節」「あやはぶら」など、島唄ポピュラーにした功績大きいものであった沖縄県内の民謡レーベルゴモンレコードからカセットテープ時代アルバムリリースするなど、沖縄県内での奄美群島対す理解深めた功績高く評価される築地俊造大島郡奄美市笠利町川上出身30代のころ福島幸義に師事その後坪山豊交流し島唄磨きをかけた。国内国外招待多数高音質唱法特徴があり、洋楽にも通じるものがあるといわれていた。島唄即興が得意。日本民謡大賞優勝総理大臣杯受賞2017年死去濱川奄美大島[大島郡(鹿児島県)|大島郡]大和村大金久出身生前奄美大島旧名瀬市の市街地にて三線店を経営していた。故築地俊造氏が近接した建物に若い時分住んでおり、濱川昇氏が製作し組み上げたばかり三線弾きながら歌三線研鑽した話は有名である。晩年鹿児島県指定伝統的工芸品奄美三線」の伝統工芸士指定され、後に店舗奄美大島奄美市名瀬石橋町から故郷ほど近い奄美大島大和村大和浜自宅ごと転居していた。生前実兄の信良氏と「濱川兄弟」として親しまれ奄美大島南部方面の「国直米姉」や「飯米取り節」などを兄弟での連弾交互に唄うスタイル人気博していた。 生元高奄美大島大島郡宇検村生勝出身。 故坪山豊氏と同じく奄美大島南部宇検村生勝出身であるが、坪山氏とは対照的に家族中が島唄好きでよく楽しみ、中学校終えてから本格的に島唄三線始め以来名瀬に居を構えていたが、折に触れて故郷宇検村生勝帰り故郷古老達から島唄学んできた謙虚な性格親しまれている。 当原ミツヨ奄美大島奄美市笠利町在住1987年昭和62年)、地元民謡大会が行われ、初め出場する地区大会勝ち進み初出場日本民謡大賞での日本一栄冠を手に。奄美群島初の女性民謡日本一となる。その時の「野茶坊節」は一躍全国知られるうになるその後同大会では、奄美大島瀬戸内町)のRIKKI優勝した大島紬を織るかたわら教室開講し後輩指導ライブなど活躍中。 石原久大島郡宇検村湯湾出身奄美大島中心名瀬公民館講座講師歴任するなど島唄対す貢献度は高い。「ニューグランド」や「キングレコード」や「JABARA」などからも島唄音源発売されている。 朝崎郁恵加計呂麻島大島郡鎮西村生まれ。現在、神奈川県在住島唄研究をしていた父の影響を受け、10代天才唄者として活躍していた。その後横浜在住し1984年から10年連続して国立劇場公演ニューヨークカーネギー・ホールロサンジェルスキューバなどでもコンサート開催最近はピアノとのコラボレーションによるミニアルバムCD「海美(あまみ)」を発表細野晴臣UAをはじめ多く信奉者集めた67歳メジャーデビューメディアからも大きな反響をよび、NHKの『新日本風土記』のテーマ曲「あはがり」も歌っている。毎年恒例の「渋谷おはら祭でも、常連活躍RIKKI奄美大島大島郡瀬戸内町出身佐賀県在住本名中野律紀なかの りつき)。高校生の時、初出場日本民謡大賞日本一に、曲目は「むちゃ加那」。その後上京して本格的な歌手デビュー目指しBMGビクターより本名中野律紀ポップス系のアルバム風の声』でデビュー海外での活動多く最近は奄美新し音楽スタイル目指している。NHKなどテレビ出演も多い。 元ちとせ奄美大島大島郡瀬戸内町出身島唄特徴的な歌唱法である裏声生かし全国感動与えた本格的な女性歌手1996年奄美民謡大賞新人賞1998年同大賞を受賞2002年メジャー・デビュー。『ワダツミの木』は、リリース後2ヶ月経てシングル・チャートで1位を記録ファースト・アルバムハイヌミカゼ』は2週連続1位。『千の夜と千の昼』、『いつか風になる日』と、シングルリリースしセカンドアルバムノマド・ソウル』を発表中孝介奄美大島出身島唄名人坪山豊師事シマ唄習い始める。第19回奄美民謡大賞初出場し、努力賞を受賞2000年には同大賞で新人賞日本民謡協会奄美連合大会で総合優勝琉球大学卒業後の2006年シングルそれぞれに』でメジャーデビューテレビCM等でも活躍中。 里アンナ大島郡奄美市笠利町出身2005年メジャー・デビュー主な出演2005年の『愛・地球博』のオープニング・イベントや、2010年の『上海万博』での海外公演がある。ミュージカルにも出演する傍ら三味線を弾き島唄のみのライブを行うこともしている。 牧岡奈美喜界島大島郡喜界町出身2001年奄美民謡大賞受賞。『うふくんでーた』(2001年)、『南柯 Nanka』(2005年)、『シツルシマ』(2007年)などのアルバム発表。現在は関東在住で、ライブ活動などを行っている。

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