トールボーイの戦歴
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ソミュール鉄道トンネル ロワールへの唯一の南北戦略輸送ルート。第617爆撃機中隊のランカスターが19発のトールボーイを搭載し、1944年6月8~9日の夜間に攻撃を行った。これは、トールボーイを最初に使用した作戦である。この作戦では一発のトールボーイは地表から18mほど貫通した後に爆発し、トンネルを崩落させて完璧に破壊した。この作戦中、喪失機はなかった。 ルアーブルのUボート基地 1943年5月から始まった大規模な昼間攻撃作戦の一つとして、1944年6月14日、第617爆撃機中隊のランカスター22機が、コンクリート・ブンカー内のUボートを通常爆撃の第一波攻撃の直前に爆撃し、複数のUボートを破壊した。一発の爆弾はコンクリート・ブンカーの屋根を貫通している。 1944年8月5日には、同中隊のランカスター15機が再度攻撃を行い、コンクリートの屋根を貫通して爆発したトールボーイにより6隻を破壊している。1機のランカスターが対空砲により撃ち落とされている。この爆撃により、ドイツ軍はさらに厚いコンクリートで屋根を強化することを強いられ、他所の防備に費やす資源を減少させられた。 Eperlecques 要塞、ワッテンの森の中、サントメール付近 1944年6月19日に第617爆撃機中隊が攻撃した。トールボーイの着弾で一番近いものは、目標から46mの地点だった。 7月27日に再度攻撃が行われ、一発が命中したが、爆発はしなかった。 ラ・クーポールの V2ロケット地下発射基地、Wisernes 1944年6月24日に第617爆撃機中隊が爆撃。 Siracourt 航空爆弾庫 1944年6月25日に第617爆撃機中隊がコンクリート製の爆弾庫をトールボーイ3発で破壊、喪失機なし。 航空用爆弾庫として使われていたRilly La Montage 鉄道トンネル - 1944年7月24日に第617爆撃機中隊によって爆撃され、トールボーイによってトンネルの両端が崩壊。 V3砲が設置中だったミモイェック 1944年7月6日に第617爆撃機中隊が爆撃、破壊した。V-3はドイツの超長距離砲(多薬室砲)であり、ロンドンへの直接砲撃を行う可能性があったが、運用開始直前にこれを阻止した。 ブレストのUボート基地 1944年8月5日に同中隊により、6隻撃破。 ドルトムント・エムス運河、Ladbergen の近く、ムンスターの北 1944年9月23~24日の夜間、第617爆撃機中隊がトールボーイ6発で攻撃。 Kembs ダム、バーゼルの北 このダムはアメリカ軍が進軍するエリアを氾濫させることができるかもしれない水位まで貯水されていた。1944年10月7日に第617爆撃機中隊はトールボーイを使ってこのダムの水門を破壊し、貯水されていた水の大部分を放水させた。 Sorpe 弾薬貯蔵所 第617爆撃機中隊の最初の攻撃で生き残り、1944年10月15日に再度攻撃が行われた。トールボーイは直撃したように見えたものの、爆発しなかった。 ドイツの戦艦ティルピッツ イギリスからソ連への海上物資輸送を脅かしていたティルピッツは、ノルウェー北部を母港としていた。ここはイギリスの基地からの爆撃作戦行動範囲外であった。第617爆撃機中隊と第9爆撃機中隊がトールボーイを搭載し、1944年9月15日、ソ連のアルハンゲリスク近くのヤゴドニスクから出撃した(パラヴェーン作戦)。広範囲な対空砲火と煙幕によって、撃沈することはできなかったが、損害を与えることはできた。ティルピッツはこの攻撃による損傷の修理のため、南方のトロムセ・フィヨルドに移動を余儀なくされたが、このフィヨルドはイギリス本土からの爆撃作戦行動範囲内だった。 10月に、Lossiemouth 基地から同二個爆撃機中隊が出撃したが、攻撃は成功しなかった(オブヴィエイト作戦)。 11月12日に再度出撃し、3発の直撃弾を与え、ティルピッツは転覆・沈没した(カテキズム作戦)。 Eボート魚雷艇隊基地、エイマンデン 1944年12月15日、第617爆撃機中隊はトールボーイで魚雷艇艦隊を攻撃したが、煙が観察されただけであった。 Uボートおよび水上艦隊基地、ベルゲン 1945年1月12日に第617爆撃機中隊および第9爆撃機中隊が攻撃を行った。3発が3.5mの壁を貫通してダメージを与えたが、ランカスター3機を喪失した。 Uボート基地、エイマンデン 1945年2月3日に、第9爆撃機中隊が攻撃を行い、戦果を主張し、喪失機もなかった。 Uボート基地、Poortershaven 1945年2月3日に第617爆撃機中隊が攻撃を行い、戦果を主張し、喪失機もなかった。 Uボート基地、エイマンデン 1945年2月8日に第617爆撃機中隊が攻撃を行った。喪失機なし。 アルテンベケン鉄道橋 1945年2月22日にアブロ ランカスター爆撃機により攻撃が行われた。1944年11月26日に合計118機のB-17およびB-24爆撃機隊で破壊されたあと再建されたばかりのアルテンベケン鉄道橋は、この攻撃により再び破壊された。 ビーレフェルトのシルデッシャー鉄道橋 第617爆撃機中隊と第9爆撃機中隊がトールボーイと最初のグランドスラム爆弾を用い1945年3月14日に爆撃した。シルデッシャー鉄道橋は直撃こそ免れたものの、グランドスラム爆弾が橋の南30メートルで爆発し、これにより18メートルの深さのクレーターが生じた。このときのグランドスラムの爆発による地震のような衝撃波で、シルデッシャー鉄道橋は長さ100メートルにわたって崩壊した。 アルンスベルク鉄道橋 1945年3月15日までの9日間で、グランドスラムと10発のトールボーイ爆弾で爆撃されたが持ちこたえた。 3月19日の爆撃では、第617爆撃機中隊の6発のグランドスラムと12発のトールボーイによって、アルンスベルク鉄道高架橋は12メートルにわたって破壊された。。 フロートー鉄道橋 1945年3月19日、フロートーにある鉄道高架橋を第9爆撃機中隊が15発のトールボーイで爆撃したが、1つの橋桁が橋脚から外れたのみだった。 ハンブルク、Uボートシェルター 第617爆撃機中隊が1945年4月9日にグランドスラムとトールボーイで攻撃を行った。何発かの爆弾が目標を破壊し、喪失機はなかった。 ポケット戦艦リュッツオウ 1945年4月16日に第617爆撃機中隊が攻撃を行った。極度の高射砲による対空砲火にもかかわらず、15機が目標に対してトールボーイと1,000ポンド爆弾で攻撃を行った。1発のトールボーイは至近弾だったが、艦底付近に大きな穴を空け、リュッツォウは大破着底した。1機のランカスターが撃墜されたが、これが爆撃機中隊にとっての第二次世界大戦における最後の損失となった。2020年10月、同攻撃に使用され、目標を外れた一発がポーランドのシフィノウィシチェにあるピアストフスキ運河(Kanał Piastowski)の底で発見され、水中での解体が試みられたが失敗。遠隔操作によって爆破処理された。爆破の様子はポーランド国防省のTwitterアカウントで公開されている。 沿岸砲陣地、ヘルゴランド島 1945年4月19日、第617爆撃機中隊と第9爆撃機中隊がトールボーイで攻撃を行った。全ての陣地を破壊し、喪失機はなかった。 ヒトラーの山荘 ベルクホーフ近くの施設を1945年4月25日に第617爆撃機中隊の6機を含めた混成部隊が、トールボーイの最後の爆撃を行った。爆撃は正確で効果があった。この近くの現在観光スポットになっている鷲の巣(英:Eagle's nest, 独:Hitlers Teehaus am Kehlsteinhaus)はヒトラーの山歩きの休憩所であった。
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