藤山一郎
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ラジオ番組
コマーシャル
- めいらくグループのコーヒー・紅茶のホワイトナー「スジャータ」(藤山は曲を合作し、歌を歌った[119])
- パルナス製菓 - 「お誕生日の歌」 - コロムビアの女性コーラスグループであったルナ・アルモニコとのデュエット
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 放送日 | 会場 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備号 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1951年(昭和26年)/第1回 | 1月3日 | NHK東京放送会館第一スタジオ | 初 | 長崎の鐘 | 7/7 | 渡辺はま子 | 大トリ |
1952年(昭和27年)/第2回 | 2 | オリンピックの歌 | 12/12 | 渡辺はま子(2) | トリ(2)[注釈 19] | ||
1953年(昭和28年)/第3回 | 1月2日 | 3 | 東京ラプソディ | 11/12?[注釈 20] | 月丘夢路 | トリ前 | |
1953年(昭和28年)/第4回 | 12月31日 | 日本劇場 | 4 | 丘は花ざかり | 17/17 | 淡谷のり子? | トリ(3) |
1954年(昭和29年)/第5回 | 日比谷公会堂 | 5 | ケンタッキーの我が家 | 05/15 | 松田トシ | ||
1955年(昭和30年)/第6回 | 産経ホール | 6 | ニコライの鐘 | 16/16 | 二葉あき子 | トリ(4) | |
1956年(昭和31年)/第7回 | 東京宝塚劇場 | 7 | あゝ牧場は緑 | 10/25 | 二葉あき子(2) | ||
1957年(昭和32年)/第8回 | 8 | ブンガワン・ソロ | 18/25 | 渡辺はま子(3) | |||
1964年(昭和39年)/第15回 | 9 | 長崎の鐘(2回目) | 04/25 | 渡辺はま子(4) | 7年ぶりの出場 | ||
1973年(昭和48年)/第24回 | NHKホール | ー | 長崎の鐘(3回目) | ー | (渡辺はま子) | 9年ぶりの出場・特別出演 | |
1979年(昭和54年)/第30回 | ー | 藤山一郎メモリアルメドレー[注釈 21] | ー | (美空ひばり) | 6年ぶりの出場・特別出演 | ||
1989年(平成元年)/第40回 | 10[注釈 22] | 青い山脈(2回目) | 7/7(第1部) | (都はるみ) | 歌手としての出場は生涯最後となるが、 蛍の光の指揮者として出演している[注釈 23] |
- 藤山は紅白史上最後の明治生まれの出場歌手である。
演じた人物
注釈
- ^ 藤山は、はじめは近所の東華幼稚園に入園したが、腕白な振る舞いが原因で間もなく大塚の東京女子師範学校付属幼稚園に転入させられた。
- ^ この時期に藤山が師事した音楽家にはこの他、梁田貞(声楽)・大塚淳(ヴァイオリン)がいる。また作曲家、本居長世の自宅に出入りし、後に本居が設立した如月社にも参加、同社にて本居の作品を独唱した。
- ^ 慶應とつながりがあった弘田との縁がきっかけとなって、後に東京音楽大学在学中の1930年、『慶應幼稚舎の歌』『普通部の歌』の吹き込みを行っている。
- ^ 最下位は岡本太郎で、のちに岡本は藤山に対し、「増永はよく学校に出ていたくせにビリから二番、オレは殆ど出ないでビリ、実際はお前がビリだ」と言い放ったといわれている。
- ^ 作曲家、山田耕筰の自宅に出入りし、山田の自筆譜の清書もしている。
- ^ かつて佐藤千夜子が学則58条違反により退学処分を受けたことがあった。
- ^ 藤山一郎以外にも、花房俊夫・井上静雄・南一郎・藤村二郎・田垣宣文・藤井龍男などの変名を用いた。
- ^ 日光の華厳滝に身を投じた一高生にちなんで藤村操という名前も考えたが、文学青年の名前は似合わないと却下された。
- ^ 少年役は本来はボーイソプラノによって歌われる。もう一つの主役である教師役は伊藤武雄が演じた[35]。
- ^ 藤山はビクターへ復帰することも画策したが、結実しなかった。
- ^ 1940年4月14日付『読売新聞』には、グルリットのピアノで独唱者・木下保・増永丈夫・関種子・竹本光江らが歌っている写真が掲載されている。
- ^ 民謡『ブンガワンソロ』は帰国後藤山のレパートリーに加えられ、日本で流行歌となった。
- ^ 滞在中、藤山の待遇は中佐待遇に格上げされた。
- ^ 番組用に藤山は、NHKのラジオ局のスタジオで持ち歌と自らが作曲した『ラジオ体操の歌』の計24曲を録音した。
- ^ 他に非スポーツ選手が存命中に受賞した例としては女優の森光子、将棋棋士の羽生善治、囲碁棋士の井山裕太が挙げられる。
- ^ 1966年のヒット曲『星影のワルツ』(作詞:白鳥園枝、作曲:遠藤実、歌:千昌夫)とは別の曲。
- ^ 『ブンガワン・ソロ』は戦地(現地)で歌われていた民謡に自ら訳詞をつけたもので帰国後には藤山のレパートリーに加わっていた。
- ^ NHK『みんなのうた』で1968年12月から1969年1月にかけて放送された『おかあさんの顔』(作詞:やなせたかし、作曲:藤家虹二、歌:ボニージャックス)とは別の曲。
- ^ 第5回までは、紅白両軍どちらが大トリを取ったかは記録に残っていない。
- ^ この回は灰田勝彦がトリだったとする説と、藤山がトリだったとする説がある。
- ^ 丘を越えて・長崎の鐘(4回目)・青い山脈のメドレー。
- ^ 満78歳での歌手としての出場は、紅白史上最高齢記録だった。その後、2014年・第65回で美輪明宏がこの記録を更新。
- ^ 1990年・第41回-1992年・43回(それ以前も一部回を除き、蛍の光の指揮を担当した)。
出典
- ^ a b 菊池清麿. “演歌、歌謡曲と西洋音楽”. ゑれきてる「音楽の時代」特集2.日本の大衆音楽. 東芝. 2011年8月16日閲覧。
- ^ 斎藤1996、11頁。
- ^ 池井1997、12-14頁。
- ^ 私の履歴書、174頁。
- ^ 池井1997、13・15頁。
- ^ 池井1997、14-15頁。
- ^ 私の履歴書、176-177頁。
- ^ 藤山1986、24-26頁。
- ^ 池井1997、15頁。
- ^ 藤山1986、22頁。
- ^ a b “慶應義塾機関紙『三田評論「立ち読み 慶應義塾史跡めぐり 第57回』”. 慶應義塾大学出版会. 2021年8月7日閲覧。
- ^ 池井1997、22-24頁。
- ^ 藤山1986、30-32・38-39頁。
- ^ 私の履歴書、177-178・181頁。
- ^ 池井1997、28頁。
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- ^ 藤山1986、39-42頁。
- ^ 菊池1996、43-46頁。
- ^ 池井1997、36頁。
- ^ 池井1997、39-41頁。
- ^ 池井1997、44-45頁。
- ^ 『東京藝術大学百演奏会編』、115頁。
- ^ 私の履歴書、186頁。
- ^ 池井1997、49-51頁。
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- ^ 塩沢1991、36頁。
- ^ 菊池1996、79頁-82頁。
- ^ 菊池2008、33-36頁。
- ^ 「SPレコード歌謡産業発達史」『メディア史研究14』、メディア史研究会編、2003年、91-93頁。
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- ^ 藤山1985、82頁。
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- ^ 藤山1986、57-62頁。
- ^ 乘杉嘉壽校長時代の東京音楽学校昭和3年~20年 - 東京藝術大学音楽学部紀要第34集抜刷平成21年3月、11頁。
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- ^ 『週刊音楽新聞』1933年3月26日付。
- ^ a b 池井1997、73-74頁。
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- ^ 私の履歴書、194-196頁。
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- ^ ラジオについては同年8月22日(日曜日)にFMで12:15から14:00まで放送された。
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- ^ 東京西ロータリークラブのホームページ
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- ^ a b 金田一1994、124頁
- ^ 蛍の光 藤山一郎 他 - YouTube
- ^ 金田一1994、125頁。
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- ^ 私の履歴書、169-171頁。
- ^ 私の履歴書、238頁。
- ^ NHK. “矢野顕子さんの世界が詰まった『若い広場』! NHK番組発掘プロジェクト通信”. 2021年11月9日閲覧。
- ^ 愉快な仲間 NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ^ 池井1997、194-200頁。
- ^ 池井1997、210-211頁・35-36頁。
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