禅林寺 (京都市)
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本尊・みかえり阿弥陀
重要文化財。禅林寺本尊の阿弥陀如来立像は「みかえり阿弥陀」の通称で知られる、頭部を左(向かって右)に向けた特異な姿の像である。像高77.6センチと、三尺像形式の中では小さい方である。かつては鎌倉時代の作とされたこともあったが、作風、構造等の特色から、平安時代末期、12世紀後半の作と見るのが妥当である。左方を向くという特殊な姿勢によって、像体の正面から見るとほとんど真横を向いてしまうため、頭部右側をやや大きく、左側を小さくする事で頭部の印象が損なわれないよう工夫を払っている。この種の「みかえり阿弥陀」の作例は、日本では本像が最も古いが、中国には北宋時代に遡る例があり(四川省安岳円覚洞16号窟)、鎌倉時代以降には山形県堂森善光寺像など若干の作例が知られている。また本像は予め知らないと気づかないほど僅かだが、左足膝を軽く曲げ足先も少し前へ踏み出した歩行の所作をしており、初期の阿弥陀行像としても重要である。これらの「見返り」と「歩行」の動作は、来迎時に浄土へ戻る際、往生者を見守るために振り返るのだと考えられる[10]。1999年、重要文化財に指定。
境内
境内には地形の高低差を生かして多くの建物が建ち、それらの間は渡り廊下でつながれている。
- 阿弥陀堂(本堂、京都府指定有形文化財) - 慶長2年(1597年)に大坂の四天王寺に建立された曼荼羅堂を豊臣秀頼が慶長12年(1607年)に現在地に移築。本尊の「みかえり阿弥陀」像(重要文化財)を安置する[11][12]。入母屋造、本瓦葺き。
- 位牌堂
- 御影堂(大殿) - 1912年(大正元年)に完成した総ケヤキ造の仏堂。宗祖法然を祀る堂で、寺内最大の建物[13]。
- 三鈷の松
- 臥龍廊 - 寺伝では永正年間(1504年 - 1521年)の建立とされるが、現在の建物の部材は昭和時代のもの[14]。御影堂と開山堂とを繋いでいる。
- 開山堂
- 千佛洞 - 宝物館。
- 釈迦堂(方丈、京都府指定有形文化財) - 寺伝では永正年間(1504年 - 1521年)に後柏原天皇によって建てられたというが、実際の建築は寛永4年(1627年)[15]である。入母屋造、桟瓦葺き。平面は禅宗寺院の方丈と同形式の六間取りとなっている。
- 方丈南庭
- 勅使門(京都府指定有形文化財) - 文政13年(1830年)再建[16]。
- 方丈北庭 - 池がある。
- 瑞紫殿 - 応仁の乱の際に奇跡的に焼け残った「火除けの阿弥陀」が祀られている。
- 悲田梅 - かつての悲田院(薬王寺)で植えられていた梅の名残だという。
- 古方丈
- 茶室「顧庵」
- 鶴寿台(庫裏)
- 大玄関
- 寺務所
- 宗務所
- 浴室 - 蒸し風呂形式の浴室。
- 聖峯閣
- 鎮守社
- 多宝塔 - 1928年(昭和3年)に実業家の六鹿清治によって寄進された[17]。釈迦堂裏手の位置に建つ。
- 鐘楼(京都府指定有形文化財) - 宝永4年(1707年)再建[18]。梵鐘は寛保3年(1743年)の造。
- 響涼庵
- 御廟(納骨堂、京都府指定有形文化財) - 明和3年(1766年)再建。
- 柏木如亭の墓 - 江戸時代の漢詩人。
- 永観堂幼稚園
- 夢庵 - 休憩所。
- 永観堂会館
- 観学門 - かつての観学院の表門。
- 中門(京都府指定有形文化財) - 正徳3年(1713年)再建。薬医門と呼ばれる形式である[16]。
- 弁天社 - 慶応2年(1866年)に大田垣蓮月により建立。
- 放生池 - 弁天池とも呼ばれる。
- 画仙堂 - 上村松園の師・鈴木松年が1914年(大正3年)に建立。
- 禅林図書館
- 南門(遊心門) - 天保11年(1840年)再建。高麗門と呼ばれる形式である[16]。
- 智福院 - 塔頭。
- 松岳院 - 塔頭。
- 北門
- 総門 - 天保11年(1840年)再建。
文化財
国宝
重要文化財
- 絵画
- 絹本著色釈迦如来像・十大弟子像 3幅[19]
- 絹本著色薬師如来像
- 絹本著色来迎阿弥陀如来像
- 絹本金彩阿弥陀二十五菩薩来迎図 - 伝恵心僧都筆。
- 絹本著色釈迦十六善神像
- 絹本著色十界図 2幅
- 絹本著色十六羅漢像 16幅
- 絹本著色当麻曼荼羅図(附:旧軸木 正安四年五月図絵の銘あり)
- 紙本著色仏涅槃図
- 紙本淡彩釈迦三尊像 - 狩野元信筆。
- 紙本著色融通念仏縁起 2巻 - 伝土佐光信筆。
- 紙本墨画波濤図 12幅 - 長谷川等伯筆。
- 板着色二十五菩薩来迎図絵扉(善導大師厨子扉) 12枚。
- 紙本墨書当麻曼荼羅縁起
- 彫刻
- 木造阿弥陀如来立像(みかえり阿弥陀) - 解説は記述。
- 書跡典籍
- 當麻曼荼羅縁起 弘長二年証恵書写縁起
- 融通念仏勧進帳 文安四年三月日(金銀泥下絵料紙)[20]
典拠:2000年(平成12年)までに指定の国宝・重要文化財については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
京都府指定有形文化財
- 阿弥陀堂[21]
- 方丈
- 勅使門
- 鐘楼
- 御廟
- 中門
- ^ (高野、2007)pp.92 - 94
- ^ (高野、2007)pp.97 - 98
- ^ (安部、2007)pp.7, 8, 13
- ^ 禅林寺公式サイトの英文ページにEikando、Yokanとある。
- ^ (高野、2007)p.101
- ^ 全日本仏教会の禅林寺のページ(2017年4月1日閲覧)
- ^ (高野、2007)p.102
- ^ (高野、2007)p.103
- ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.138
- ^ 伊東史朗 「禅林寺阿弥陀如来立像(見返り阿弥陀)考─続・三尺阿弥陀像への視点─」『仏教芸術』244号、毎日新聞社、1999年。同 『平安時代彫刻史の研究』 名古屋大学出版会、2000年4月pp.241-251。
- ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.
- ^ 2004年京都府文化財指定、大坂四天王寺建立の建物を移築
- ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.24
- ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.26
- ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、pp.19, 20
- ^ a b c (石川、2007)p.130
- ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.17
- ^ 『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.27
- ^ 「釈迦如来像」として、十大弟子像2幅とともに伝えられたものだが、図像的特色から本来は阿弥陀如来像であるとみられる(『古寺巡礼 京都 7 禅林寺』、p.55)。
- ^ 平成13年6月22日文部科学省告示第108号
- ^ 京都府指定・登録等文化財(2017年4月1日閲覧)、以下の5棟についても同じ。
- ^ 『京都観光文化検定試験』京都商工会議所編 淡交社発行 2005年
- 1 禅林寺 (京都市)とは
- 2 禅林寺 (京都市)の概要
- 3 歴史
- 4 本尊・みかえり阿弥陀
- 5 永観堂の七不思議
- 6 参考文献
- 禅林寺 (京都市)のページへのリンク