片腕 (小説)
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作品背景
※川端康成の作品や随筆内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。
川端は常用していた睡眠薬の服用が高じ、それを一旦やめた1962年(昭和37年)2月には、禁断症状で入院していた[8]。こういった薬の影響により「前衛的ともみられる筆法」が導入され、『眠れる美女』(1961年)に引き続き、『片腕』にも魔界がより具現化していることが看取されている[9][10]。
『片腕』が発表されていた時期には、掌編小説の『不死』(1963年)、『地』(1963年)、『白馬』(1963年)、『雪』(1964年)など、やはり幻想的な作品が多い[10][11]。
この作品で描かれる片腕は〈右腕〉であるが、川端は持病として幼時の眼底結核により右目が悪く、右半身がしびれる不調をかかえていた[12][13][4]。そのこととの関連で、何故〈右腕〉だったのかが指摘されることもある[4]。
また、〈手〉は『合掌』(1926年)、『しぐれ』(1954年)にも表れ、それを川端が浄化・救済への祈りのイメージと見ていることが看取される[4]。『しぐれ』では、デューラーの『祈る手』だとされ、川端は執筆する机上に常にロダンの『女の手』の彫刻を置く習慣があったという[14][4]。
作品評価・研究
※川端康成の作品や随筆内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。
川端の名作として知られる『片腕』だが、発表された当初は珍奇な作品として文壇的にはあまり評価は高くなかった[5]。しかしその後、進藤純孝や三島由紀夫などが本格的な論を展開し始め[15][1]、評論が活発化するようになり、処女との性交描写のメタファー、聖書との関連など象徴解明以外にも、『眠れる美女』との比較の側面から、作家論の視野での論究もなされるようになった[5][4]。
武田勝彦は、中村光夫や三好行雄が『片腕』を「老人文学」としたことに対して[16]、異議を唱える形で初出の〈三十三歳の私〉という部分に触れつつ、聖書との関連で論じている[17]。森本穫はこれに対して、『片腕』と『眠れる美女』との関連性を重視しながら、同時期の掌の小説『不死』(1963年)にも見られる老人と若い娘の主題に触れている[18][11]。
三島由紀夫は、当初、連載第1回分で完結作品と勘違いし「珠玉の短編」だと感嘆したことに触れ、その1回分の「すばらしい終結部」では、「女の片腕を借りて帰るといふ寓意」が、寓意のみで終わる代りに「明確な感覚的リアリティー」があったが、『片腕』全編では、「その基本的アイディアの執拗な展開に、却つて悪夢にやうな感覚的粘着力」を感じ、「これが単なる美しい寓喩などではなく、作者の精神ののつぴきならない軌跡」で、ただの「アイディア」でなく、川端の「オブセッション」(妄念)だと判ったとしている[1]。そしてどんな場合でも「色情」が「部分」だけに関わり「全体を要求しない」本質を説明しながら、片腕という部分によって「色情自身の夢をいよいよ的確に描くこと」ができるとしている[1][注釈 1]。
また三島は、『片腕』で描かれる会話や交流は、「相手が片腕なればこそ」可能であり、そこに川端作品の「逆説的構造」があるとしている[1]。
一見超現実的な夢想は、実は官能的必然の産物である。それは「かくあれかし」といふ願望が、決して思想の形を借りないで肉体の形を借りるところに生れ、女の片腕は、女自体の望ましい象徴的具現なのであり、ひいては、氏の住む絶対的孤独の世界の望ましい形態なのだ。
「腕のつけ根にあつた、遮断と拒絶とはいつなくなつたのだらうか」
自分の右腕と娘の右腕をつけ代へて、それに血が通つてゐるのを感じるとき、「私」はそんな感想を洩らすが、「遮断と拒絶」とは、実は腕のつけかへなどといふ児戯を演じる前から、即ち「私」の腕が「私」についてゐた時からの常態であつた。さうでなければ、単なる人間的接触や性的接触によつて満足できる「私」であつたらう。「私」は腕のつけかへによつて、又、女の腕を借りて来ることによつて、はじめて会話と交流と、それのみか、「関係」を成就できるやうな人間なのである。「片腕」は、その美しい抒情的な細部の集積によつて語られた、このやうな〈関係〉への憧れの物語と考へてよい。 — 三島由紀夫「解説」[1]
筒井康隆は、「シュール・レアリズムを日本の感性で書いていること」に感心したとし[2]、特に驚いた箇所は、主人公が娘の腕を雨外套の懐に入れ、夜の靄の町を歩く中、近所の薬屋から聞こえてくるラジオに耳を傾ける描写だとしている[2]。
河村政敏は、佐々木基一が『片腕』をシャガールの絵に喩えたことや、『古都』(1962年)の中でクレー、マチス、シャガールの画集を見て帯の下絵を書く場面が挿入されていたことと、新感覚派の川端が『文藝時代』創刊の頃から前衛画家的な手法と馴染みがあったことなどを考慮しつつ[10]、特に幻想性の見られるラジオの描写について、「どうでもいいことをさも重大事のように告げるラジオの声は、現実的な価値観を忽ちに転倒し、社会的な風聞を裏にした皮肉な重層的イメージの連鎖によって、それ自体が意識下の感覚世界を形象している」とし、こういった前衛絵画的なモチーフにより、「情感が生理感のままに流れている」と評している[10]。
そして河村は、三島由紀夫が川端について、「氏のエロティシズムは、氏自身の官能の発露といふよりは、官能の本体つまり生命に対する、永遠に論理的帰結を辿らぬ、不断の接触、あるひは接触の試みと云つたはうが近い[19]」と論じて、川端の描く処女の永遠の不可触性を指摘したことに瞠目し、孤児の悲哀から培われてきた川端の純粋な美・官能への希求などに触れながら[10]、その「純粋感覚」の究極の形が、死と生の世界が一つになった『眠れる美女』の部屋のような「虚構の抽象世界」であり、『山の音』の慈童の能面のように、「命のない〈物〉であるからこそ、最も純粋な生の象徴となる」と考察し、『片腕』の娘の片腕は、「人間臭を払拭された童女の面にほかならない」として、最後の場面を以下のように解説している[10]。
それは純潔を愛玩する「私の孤独」が「娘の爪にしたたつて」生じた哀れな犠牲である。純潔に触れなければかいがない。しかし、触れられた瞬間に、それはもう純潔ではなくなる。その美は決して捉えることができないのである。獲得な喪失を意味するのだ。官能の追求はこうしてむなしさの確認になってしまう。とすると、人生に於けるただ一つの確かなものであった性こそが、虚無の極致であったということになりはしないだろうか。
エロチスムは、この意味において生命の象徴となる。であればこそその純潔は、むなしいと知りながら、永遠に追い続けられねばならないものである。このように「いつも夢みて、いかなる夢にも溺れられず、夢みながら覚めてゐる」(「文学的自叙伝」)[20]ところに川端特有の冷たく哀しい抒情があった。この「片腕」は、そうした川端文学の抒情を裏から支えている認識を、きわめて図式的に示したものといえるであろう。 — 河村政敏「『片腕』試論」[10]
原善は、谷崎潤一郎の足フェチのような特定部位への趣味的嗜好とは性質を異にする川端のフェティシズムにおける〈私〉の〈孤独〉の視点を捉え[4]、川端のフェティシズムの「幻視」の特質性が、〈私〉が「あたかも小窓から外を覗き見るように、〈片腕〉を変光器として彼自身の理想的な《女》の在りよう」を視て、その姿を「観念的に紡ぎだしている」とし、『片腕』は「フェティシズムそのものの持つ構造性を作品化」していると考察している[4]。
そして原は、〈私〉が自身を〈心のびつこ〉と「全体性の欠損した存在」として認識している点などに注目し、これが『禽獣』の主人公のような非情の眼(人間の女を人格・精神を排したところで見ようとする目)と通底する〈孤独〉な「一種のニヒリズム」「非情な人間認識」だとし[4]、そのような〈私〉が〈遠くの自分〉の声に従うかのように無意識に「全体志向」として行うのが「片腕交換」であり、娘の右腕が、〈私〉と結合した後〈あたし〉という一人称を使い「人格」を持つ場面には、「そもそも他者との一体化は不可能」だという認識が如実に語られていると考察している[4]。
大久保喬樹は、『片腕』を、根本的な小説位相において『眠れる美女』と「極めて相似的、血縁的関係」にあるに作品だとし[3]。『片腕』のメルヘンのような幻想的世界は非現実的な設定要素で構成されているが、その種の小説に従来見られた寓意性やパロディ、諷刺をまったく持たず(少なくとも決して表面化しておらず)[3]、「寓意的作品におけるような現実との喩的、関数的対応を離れた、現実から独立した、現実に還元しえないものとなる」として[3]、「『眠れる美女』にも共通する男性フェティシズム的性愛意識を扱って、それを、生きた片腕という異性の現実に具体化して展開することにより、実在の現実世界にはないフェティシズムの様態を示している」と考察している[3]。
また大久保は、『眠れる美女』と『片腕』の小説特質は、それぞれに「二十世紀西欧前衛文学における諸表現パターンに対応する普遍的側面をもつもの」とし[3]、川端の特殊な「現実意識」は、ジョイス、エリオット、カフカ等の「現実意識」とは本来的には起源を異にするものではあるが、「十九世紀的現実模写リアリズムとは別の位相に立つ現実表現――意識との関係を基軸とする現実表現において対応する」ものだと論考している[3]。
東雅夫は、羽鳥徹哉や中河与一が川端と心霊との深い関わりを指摘していることから[21][22]、カミーユ・フラマリオンの心霊学書を愛読していた川端が怪奇的なものへ興味を持ち、その怪談嗜好が晩年にいたるまで衰えていなかったことを挙げながら[23]、「そもそも、女の片腕を借りて持ち帰り愛撫するという『片腕』の幻想にしてからが、エクトプラズムの実体化(霊体の片腕を石膏取りしたと称する有名な写真がある)や、霊媒との遠隔交感といった降霊術に特有なモチーフの遥かな投影であるとも考えられる」と考察している[23]。
おもな収録刊行本
単行本
- 『片腕』(新潮社、1965年10月5日) NCID BN14285549
- 文庫版『眠れる美女』(新潮文庫、1967年11月25日。改版1991年8月30日)
- 『川端康成集 片腕〈文豪怪談傑作選〉』(ちくま文庫、2006年7月10日)
- 英文版『House of the Sleeping Beauties, and Other Stories』(訳:エドワード・サイデンステッカー)(Kodansha International Ltd.、1969年。改版1980年、新装版2004年)
- 前文解説(Introduction):三島由紀夫
- 収録作品:眠れる美女(House of the Sleeping Beauties)、片腕(One Arm)、禽獣(Of Birds and Beasts)
全集
- 『川端康成全集第12巻 古都・片腕・落花流水』(新潮社、1970年5月10日)
- 『川端康成全集第8巻 小説8』(新潮社、1981年3月20日)
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 「解説」(眠れる文庫 1991, pp. 213–219)。三島34巻 2003, pp. 601–606に所収
- ^ a b c d 筒井康隆「コラム――漂流 本から本へ」(朝日新聞 2010年03月14日号)。「第四章 作家になる――川端康成『片腕』」(筒井 2011, pp. 157–168)
- ^ a b c d e f g 大久保 1983
- ^ a b c d e f g h i j 原善「『片腕』論―そのフェティシズムの構造を中心に―」(川端文学研究会編『川端文学への視界』教育出版センター、1965年1月)。「『片腕』論」として原善 1987, pp. 112–141に所収
- ^ a b c d e 福田淳子「片腕」(事典 1998, pp. 102–104)
- ^ a b 「解題――片腕」(小説8 1981, pp. 607-)
- ^ 「翻訳書目録――片腕」(雑纂2 1983, pp. 653–654)
- ^ 川端康成「あとがき」(『古都』新潮社、1962年6月25日)。古都文庫 2010, pp. 267–270再録。評論5 1982, pp. 660–662に所収
- ^ 「『眠れる美女』の妖しさを求めて」(アルバム川端 1984, pp. 82–85)
- ^ a b c d e f g 河村政敏「『片腕』試論」(作品研究 1969, pp. 324–336)
- ^ a b 「第十章 荒涼たる世界へ――〈魔界〉の終焉 第二節 同時期掌編群十一編」(森本・下 2014, pp. 404–408)
- ^ 「故園」(文藝 1943年5月号-1945年1月号)。小説23 1981, pp. 473–544に所収。基底 1979、田中保隆「故園」(作品研究 1969, pp. 189–204)に抜粋掲載
- ^ 「少年」(人間 1948年5月号-1949年3月号)。小説10 1980, pp. 141–256に所収
- ^ 「美について」(婦人文庫 1950年12月号)。随筆2 1982, pp. 428–430に所収
- ^ 進藤純孝「母胎希求序説―川端康成(I)―」(文學界 1964年6月号)。事典 1998, p. 102に抜粋掲載
- ^ 中村光夫・三好行雄の対談「川端康成の人と文学」(国文学 1970年2月号)。事典 1998, p. 103に抜粋掲載
- ^ 武田勝彦「第13章」(『川端康成と聖書』教育出版センター、1971年7月)。森本・下 2014, pp. 380–381、事典 1998, p. 103に抜粋掲載
- ^ 「第十章 荒涼たる世界へ――〈魔界〉の終焉 第一節 閉ざされた空間『片腕』」(森本・下 2014, pp. 379–403)
- ^ 「永遠の旅人――川端康成氏の人と作品」(別冊文藝春秋 1956年4月・51号)。三島29巻 2003, pp. 204–217に所収
- ^ 「文学的自叙伝」(新潮 1934年5月号)。評論5 1982, pp. 84–99、一草一花 1991, pp. 246–264に所収
- ^ 「川端康成と心霊学」(国語と国文学 1970年5月号)。基底 1979, pp. 294–335に所収
- ^ 中河与一「川端に於ける神秘主義」(『川端康成全集第1巻 伊豆の踊子』月報 新潮社、1959年11月)。怪談傑作選 2006, pp. 372, 378–379
- ^ a b 東雅夫「心霊と性愛と」(怪談傑作選 2006, pp. 369–380)
- ^ 恒川茂樹「川端康成〈転生〉作品年表【引用・オマージュ篇】」(転生 2022, pp. 261–267)
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