平将門
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脚注
参考文献
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- 赤城宗徳『平将門』角川書店〈角川選書〉、1970年。ISBN 4-04-703032-5。
- 石下町史編さん委員会『石下町史』石下町、1988年。 常総市デジタルミュージアム
- NHK取材班 『その時歴史が動いた33』 KTC中央出版、2005年、 ISBN 4877583467
- 大森金五郎『武士時代之研究』 第一巻、冨山房、1923年。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 織田完之『国宝将門記伝』1905年。 東京国立博物館デジタルライブラリー
- 織田完之『平将門故蹟考』1907年。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 柏市教育委員会『歴史ガイドかしわ』柏市、2007年。
- 梶原正昭(訳注)『将門記』 1巻、平凡社〈東洋文庫〉、1975年。ISBN 458280280X。
- 梶原正昭(訳注)『将門記』 2巻、平凡社〈東洋文庫〉、1976年。ISBN 4582802915。
- 梶原正昭、矢代和夫『将門伝説-民衆の心に生きる英雄-』新読書社、1975年。
- 川尻秋生 『平将門の乱』 吉川弘文館、2007年、ISBN 4642063145
- 川尻秋生 著「将門記とその時代」、川尻秋生 編『将門記を読む』吉川弘文館、2009a。ISBN 978-4-642-07159-8。
- 川尻秋生 著「将門記を読む・あとがき」、川尻秋生 編『将門記を読む』吉川弘文館、2009b。ISBN 978-4-642-07159-8。
- 幸田露伴『蒲生氏郷,平将門』改造社、1925年。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 国書刊行会編『系図綜覧』 第二、国書刊行会、1925年。 国立国会図書館デジタルコレクション
- 桜川市教育委員会 (1989年). 后神社 (現地案内板). 茨城県桜川市大国玉 后神社境内. 2019年3月23日確認。
- 関幸彦 『蘇る中世の英雄たち』 中央公論社、1998年、ISBN 4121014448
- 谷本龍亮(平将門直系)『平将門は生きていた』 叢文社、1997年、ISBN 4794702485
- 乃至政彦『平将門と天慶の乱』講談社〈講談社現代新書〉、2019年。ISBN 978-4-06-515505-9。
- 樋口州男『将門伝説の歴史』吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉、2015年。ISBN 978-4-642-05807-0。
- 福田豊彦『平将門の乱』岩波書店、1981年
- 福田豊彦『中世成立期の軍制と内乱』 吉川弘文館、1995年、ISBN 4642027475
- 宮瀧交二 著「在地社会からみた将門の乱」、川尻秋生 編『将門記を読む』吉川弘文館、2009年。ISBN 978-4-642-07159-8。
- 美浦村史編さん委員会『美浦村誌』美浦村、1995年。
- 村上春樹『物語の舞台を歩く 将門記』山川出版社、2008年。ISBN 978-4-634-22410-0。
- 村上春樹 著「将門伝説を探る」、川尻秋生 編『将門記を読む』吉川弘文館、2009年。ISBN 978-4-642-07159-8。
- 森田悌 『日本古代の政治と宗教』 雄山閣出版、1997年、ISBN 4639014597
関連項目
- 承平天慶の乱 - 藤原純友/藤原秀郷
- 平将門の首塚/平将門の胴塚
- 日本三大怨霊
- 新皇
- 大野城 (下総国) - 伝承上、将門築城
- 桓武平氏 - 相馬氏
- 江藤新平 - 千葉氏の末裔を称する。正式な名のりは平胤雄。
- 関東大震災
- 早速整爾 - 関東大震災後にその不審死が将門による祟りと噂された(「将門塚」参照)
- 将門研究者 - 赤城宗徳/村上春樹
- 滝夜叉姫 - 三女如蔵尼をモデルとした伝説上の人物
- 僧妙達蘇生注記 - 将門死後を描いた冥界遍歴譚
- 将火怒 - ネーミングが将門由来のプロレスラー
注釈
- ^ 笏を逆さに持たすなど作法に反し意図的である。没後しばらくして将門の娘が建立したとされる茨城県坂東市の国王神社の木造平将門像(茨城県指定有形文化財、国王神社神体)とは、肩や筋骨質の体つき、目の大きさ、顎の形等、印象が違う。
- ^ a b 桔梗と呼ばれる女性の伝承とその終焉の地(桔梗塚)も各地にあり彼女の、出自、将門ならび藤原秀郷との関係、将門をどのように裏切ったか、裏切りをしていないか、などが異なっていて定説は無い。
- ^ 一部の書籍(特に児童・生徒向けに書かれた物では疑問符付き)で903年とするが、これは将門が火雷天神(菅原道真)の生まれ変わりとするとの伝承からきていると考える者もいる。梶原正昭は、将門が反乱を起こした際に藤原忠平に宛てた書状の中に「(私こと将門は)少年時代にあなた様の家臣となって以来数十年云々」という意味の記述があることから、数十年を40年と仮定すると将門が忠平の家臣となったのは899年頃、その頃の将門の年齢は15 - 6歳であろうか、との可能性を示唆している[2]。
- ^ 『尊卑分脈脱漏』『坂東諸流綱要』等によると、「犬養春枝女」または「県犬養春枝女」となっている。
- ^ 『歴代皇紀』の「将門合戦状伝」には、始め伯父の平良兼との間で争い、次に平真樹なる者に誘われて平国香や源護らと事をかまえるに至ったとしている。
- ^ 『将門記』では「介経基ハ未ダ兵ノ道ニ練レズ。驚キ愕イデ分散ス」と述べられている。
- ^ 『摂政忠平宛将門書状』には、「維幾の子為憲が公の威光を傘に猛威をふるったため、玄明の愁訴によってそれを正そうとして常陸に赴いたところ、為憲と貞盛が示し合わせて戦いを仕掛けてきた。」とある。
- ^ ただし『将門記』では興世王の献策に対して「將門ガ念フ所モ、啻斯レ而巳。(中略)苟モ將門、刹帝ノ苗裔、三世ノ末葉也。同ジクハ八國ヨリ始メテ、兼ネテ王城ヲ虜領セムト欲フ。」と答えたとしているが、この答えは後に出てくる『摂政忠平宛将門書状』の内容とは矛盾する。
- ^ 海音寺潮五郎は『悪人列伝 古代篇』にて、これを将門の無知の証拠として指摘している[6]。
- ^ 『扶桑略記』では、将門の戦死を貞盛の放った矢により負傷落馬し、そこに秀郷が馳せつけ首を取ったとされ、『和漢合図抜萃』では、秀郷の子の千常が将門を射落とし首級をあげたとされている。
- ^ こめかみの「こめ(米)と俵藤太の「俵」を掛け合わせたもの。
出典
- ^ 赤城宗徳 1970, p. 196
- ^ 梶原正昭 1976, pp. [, 要ページ番号],
- ^ 中川克一『山陽外史』至誠堂、1911年、[要ページ番号]頁。
- ^ “稲毛の歴史”. 千葉市. 2013年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月12日閲覧。
- ^ a b 木村茂光『平将門の乱を読み解く』吉川弘文館 2019年
- ^ 海音寺潮五郎『悪人列伝』 古代篇、文藝春秋〈文春文庫〉、2006年、[要ページ番号]頁。ISBN 4167135485。
- ^ 川尻秋生 2009a, p. 13.
- ^ 関幸彦『武士の原像 都大路の暗殺者たち』(吉川弘文館、2020年)
- ^ 川尻秋生 2009a, p. 22-23.
- ^ 早川由紀夫、小山真人:日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日 : 十和田湖と白頭山 Bulletin of the Volcanological Society of Japan 43(5) pp.403-407 1998-10-30, ISSN 0453-4360
- ^ 宮瀧交二 2009, p. 126-133.
- ^ 村上春樹 2009, p. 209.
- ^ 村上春樹 2009, p. 209-210.
- ^ 乃至政彦 2019, p. 21-27.
- ^ 川尻秋生 2009a, p. 20.
- ^ 川尻秋生 2009b, p. 237.
- ^ 村上春樹『平将門伝説』汲古書院、2001年。ISBN 4762941611。
- ^ a b c 福田豊彦『平将門の乱』(岩波書店、1981年)211頁
- ^ 国書刊行会編 1925, p. 3.
- ^ 石下町史編さん委員会 1988, p. 130-134.
- ^ a b 国書刊行会編 1925, p. 21.
- ^ a b 村上春樹 2009, p. 213.
- ^ 織田完之 1905, p. 34.
- ^ 織田完之 1907, p. 36-37.
- ^ 幸田露伴 1925, p. 177.
- ^ 大森金五郎 1923, p. 13.
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- ^ 桜川市教育委員会 1989.
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- ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 126-127.
- ^ 村上春樹 2009, p. 203-205.
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- ^ 柏市教育委員会 2007.
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- ^ 村上春樹 2008, p. 46.
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- ^ kokuoushrine. “由緒・歴史/國王神社とは | 國王神社 - 平将門公 終焉の地”. 国王神社/平将門公 終焉の地に佇む 坂東市・國王神社. 2020年11月26日閲覧。
- ^ 坂東市サイト/観光・歴史/延命院と胴塚(2021 年 2 月 26 日閲覧)
- ^ 流山市立博物館友の会 編「楽しい東葛寺社事典」『東葛流山研究』第34号、2016年、97p
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- ^ “天津彦火邇々杵尊(建築工事安全)”. www.tsukudo.jp. 2020年11月26日閲覧。
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- ^ “首から上の大神様|御首神社 : 神社紹介/御祭神・由緒・ご利益”. www.mikubi.or.jp. 2020年11月26日閲覧。
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- ^ “鎧神社 - 東京都神社庁”. www.tokyo-jinjacho.or.jp. 2020年11月26日閲覧。
- ^ 兜町の史跡日本取引所グループ
- ^ a b 乃至政彦 2019, p. 44.
- ^ “大河ドラマ「風と雲と虹と」”. NHK. 2021年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。
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