平将門 評価の東西差と変遷

平将門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 14:53 UTC 版)

評価の東西差と変遷

将門塚
将門塚

歴史学者の川尻秋生は中世の貴族の日記に将門の名が現れるピークが大きく二つあり、一つは12世紀後半の源平争乱期、もう一つが14世紀前半の南北朝の動乱期だとしている。いずれも大きな戦乱が起きた際にその先例として将門の名が挙げられており、中央の貴族にはいわばトラウマの様な形で将門の乱が伝承されていたとしている[7]。またこれとは別に中世以降、将門を祖先とした千葉氏を中心とした武士団により平親王日本将軍として受け入れられ、逆臣的要素が払拭され、将門伝説が伝承されていった[8]。将門伝説は千葉一族の分布する場所に多く見られる[9]。また当時の史料から東国の民衆は疲弊していたことが窺えるが、その原因について環境史研究の成果から、異常気象などの天災ではなく欲にかられた為政者が起こした人災であったと考えられている。ただし延喜15年(915年)に有史上日本最大の噴火とされる十和田湖の噴火が起こっており、東北一帯を火山灰が覆い京都でもまた扶桑略記に「昼間なのに太陽が月のようであり皆不思議がった」と記されており、降灰の影響で東国でも大規模な不作が発生した可能性も存在する[10]。そうした背景から反権力闘争を起こした将門は東国の民衆から支持を得ていたという説がある[11]。これらから必然的に将門の評価は東西で相反するものになる。

近世になると東国政権という意味から、初めて坂東を横領した将門に関心が寄せられた。神田明神が江戸総鎮守となり、将門は歌舞伎や浮世絵の題材として取り上げられた。将門伝説は文芸化と共に民衆の支持を受けたといえる。その多くが将門を誇張し怨霊として描いており、滝夜叉姫の伝説などが生まれた[12]。将門を日本三大怨霊の一つとするのもこの頃からと考えられる。

明治期には将門は天皇に逆らった賊とされ、政府の命により神田明神などの神社の祭神から外されたり史蹟が破壊されたりした。その結果多くの史料が失われたが、一方で民衆の信仰は厚く、排斥を徹底させることはできなかった[13]。また、これらの排斥運動から将門塚を保護するため、将門の怨霊譚が喧伝されたとされる[14]

戦後、天皇制に関する研究が解禁され国家の発展段階が理論的に議論されると、将門の乱を中世封建社会への前段階とみなす説が現れるが、のちにこの説は勢いを失う[15]。一方で社会には大河ドラマ(風と雲と虹と(1976年))で取り上げられた事で好意をもって広く受け入れられ、『帝都物語(1987年)』により将門=怨霊・祟り神のイメージが定着した。従前の将門研究は文献史料を中心とし歴史学と日本文学史が大きな潮流であったが、史料の少なさからこれらには限界が見られ、今後は考古学や在地社会研究との協業作業が期待される[16]


注釈

  1. ^ 笏を逆さに持たすなど作法に反し意図的である。没後しばらくして将門の娘が建立したとされる茨城県坂東市の国王神社の木造平将門像(茨城県指定有形文化財、国王神社神体)とは、肩や筋骨質の体つき、目の大きさ、顎の形等、印象が違う。
  2. ^ a b 桔梗と呼ばれる女性の伝承とその終焉の地(桔梗塚)も各地にあり彼女の、出自、将門ならび藤原秀郷との関係、将門をどのように裏切ったか、裏切りをしていないか、などが異なっていて定説は無い。
  3. ^ 一部の書籍(特に児童・生徒向けに書かれた物では疑問符付き)で903年とするが、これは将門が火雷天神(菅原道真)の生まれ変わりとするとの伝承からきていると考える者もいる。梶原正昭は、将門が反乱を起こした際に藤原忠平に宛てた書状の中に「(私こと将門は)少年時代にあなた様の家臣となって以来数十年云々」という意味の記述があることから、数十年を40年と仮定すると将門が忠平の家臣となったのは899年頃、その頃の将門の年齢は15 - 6歳であろうか、との可能性を示唆している[2]
  4. ^ 『尊卑分脈脱漏』『坂東諸流綱要』等によると、「犬養春枝女」または「県犬養春枝女」となっている。
  5. ^ 『歴代皇紀』の「将門合戦状伝」には、始め伯父の平良兼との間で争い、次に平真樹なる者に誘われて平国香や源護らと事をかまえるに至ったとしている。
  6. ^ 『将門記』では「介経基ハ未ダ兵ノ道ニ練レズ。驚キ愕イデ分散ス」と述べられている。
  7. ^ 『摂政忠平宛将門書状』には、「維幾の子為憲が公の威光を傘に猛威をふるったため、玄明の愁訴によってそれを正そうとして常陸に赴いたところ、為憲と貞盛が示し合わせて戦いを仕掛けてきた。」とある。
  8. ^ ただし『将門記』では興世王の献策に対して「將門ガ念フ所モ、啻斯レ而巳。(中略)苟モ將門、刹帝ノ苗裔、三世ノ末葉也。同ジクハ八國ヨリ始メテ、兼ネテ王城ヲ虜領セムト欲フ。」と答えたとしているが、この答えは後に出てくる『摂政忠平宛将門書状』の内容とは矛盾する。
  9. ^ 海音寺潮五郎は『悪人列伝 古代篇』にて、これを将門の無知の証拠として指摘している[6]
  10. ^ 扶桑略記』では、将門の戦死を貞盛の放った矢により負傷落馬し、そこに秀郷が馳せつけ首を取ったとされ、『和漢合図抜萃』では、秀郷の子の千常が将門を射落とし首級をあげたとされている。
  11. ^ こめかみの「こめ(米)と俵藤太の「俵」を掛け合わせたもの。

出典

  1. ^ 赤城宗徳 1970, p. 196
  2. ^ 梶原正昭 1976, pp. &#91, 要ページ番号&#93,
  3. ^ 中川克一『山陽外史』至誠堂、1911年、[要ページ番号]頁。 
  4. ^ 稲毛の歴史”. 千葉市. 2013年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月12日閲覧。
  5. ^ a b 木村茂光『平将門の乱を読み解く』吉川弘文館 2019年
  6. ^ 海音寺潮五郎『悪人列伝』 古代篇、文藝春秋文春文庫〉、2006年、[要ページ番号]頁。ISBN 4167135485 
  7. ^ 川尻秋生 2009a, p. 13.
  8. ^ 関幸彦『武士の原像 都大路の暗殺者たち』(吉川弘文館、2020年)
  9. ^ 川尻秋生 2009a, p. 22-23.
  10. ^ 早川由紀夫、小山真人:日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日 : 十和田湖と白頭山 Bulletin of the Volcanological Society of Japan 43(5) pp.403-407 1998-10-30, ISSN 0453-4360
  11. ^ 宮瀧交二 2009, p. 126-133.
  12. ^ 村上春樹 2009, p. 209.
  13. ^ 村上春樹 2009, p. 209-210.
  14. ^ 乃至政彦 2019, p. 21-27.
  15. ^ 川尻秋生 2009a, p. 20.
  16. ^ 川尻秋生 2009b, p. 237.
  17. ^ 村上春樹『平将門伝説』汲古書院、2001年。ISBN 4762941611 
  18. ^ a b c 福田豊彦『平将門の乱』(岩波書店、1981年)211頁
  19. ^ 国書刊行会編 1925, p. 3.
  20. ^ 石下町史編さん委員会 1988, p. 130-134.
  21. ^ a b 国書刊行会編 1925, p. 21.
  22. ^ a b 村上春樹 2009, p. 213.
  23. ^ 織田完之 1905, p. 34.
  24. ^ 織田完之 1907, p. 36-37.
  25. ^ 幸田露伴 1925, p. 177.
  26. ^ 大森金五郎 1923, p. 13.
  27. ^ 石下町史編さん委員会 1988, p. 144-150.
  28. ^ 大森金五郎 1923, p. 13-14.
  29. ^ 乃至政彦 2019, p. 75.
  30. ^ 大森金五郎 1923, p. 61-62.
  31. ^ 桜川市教育委員会 1989.
  32. ^ 石下町史編さん委員会 1988, p. 134-135.
  33. ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 126-127.
  34. ^ 村上春樹 2009, p. 203-205.
  35. ^ a b 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 135.
  36. ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 137-138.
  37. ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 138-139.
  38. ^ 美浦村史編さん委員会 1995, p. 73.
  39. ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 87-88.
  40. ^ 樋口州男 2015, p. 67-70.
  41. ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 94-96.
  42. ^ 柏市教育委員会 2007.
  43. ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 140.
  44. ^ 梶原正昭・矢代和夫 1975, p. 104-106.
  45. ^ 村上春樹 2008, p. 46.
  46. ^ 神田明神とは”. www.kandamyoujin.or.jp. 2020年11月25日閲覧。
  47. ^ 年中行事”. www.kandamyoujin.or.jp. 2020年11月25日閲覧。
  48. ^ 香取神社|江東区”. www.city.koto.lg.jp. 2020年11月26日閲覧。
  49. ^ kokuoushrine. “由緒・歴史/國王神社とは | 國王神社 - 平将門公 終焉の地”. 国王神社/平将門公 終焉の地に佇む 坂東市・國王神社. 2020年11月26日閲覧。
  50. ^ 坂東市サイト/観光・歴史/延命院と胴塚(2021 年 2 月 26 日閲覧)
  51. ^ 流山市立博物館友の会 編「楽しい東葛寺社事典」『東葛流山研究』第34号、2016年、97p
  52. ^ 国王社本殿|相馬市公式ホームページ”. www.city.soma.fukushima.jp. 2020年11月26日閲覧。
  53. ^ 取手市. “長禅寺”. 取手市. 2020年11月26日閲覧。
  54. ^ 平将門(必勝祈願/勝運向上)”. www.tsukudo.jp. 2020年11月26日閲覧。
  55. ^ 天津彦火邇々杵尊(建築工事安全)”. www.tsukudo.jp. 2020年11月26日閲覧。
  56. ^ 生きるか死ぬかの瀬戸際…平将門が迷走した悲話が残る東京都の最高峰「雲取山」とは?”. ライブドアニュース. 2020年11月26日閲覧。
  57. ^ 首から上の大神様|御首神社 : 神社紹介/御祭神・由緒・ご利益”. www.mikubi.or.jp. 2020年11月26日閲覧。
  58. ^ 市川市|葛飾八幡宮と文化財”. www.city.ichikawa.lg.jp. 2020年11月26日閲覧。
  59. ^ 「奈良の大仏」修復へ 震災で損壊した市原市指定文化財”. www.chibanippo.co.jp. 2020年11月26日閲覧。
  60. ^ 鎧神社 - 東京都神社庁”. www.tokyo-jinjacho.or.jp. 2020年11月26日閲覧。
  61. ^ 兜町の史跡日本取引所グループ
  62. ^ a b 乃至政彦 2019, p. 44.
  63. ^ 大河ドラマ「風と雲と虹と」”. NHK. 2021年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月21日閲覧。






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