平将門と歌詰橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 21:59 UTC 版)
愛荘町石橋には6世紀頃に築造されたとみられる、周囲80 m、高さ4 mで頂上に小さな祠が祀られた大きな古墳がある。地元では将門塚と呼ばれ、昔は更に高大で周囲に幅2 mくらいの溝が掘られた周溝墓と伝えられる。この古墳の埋葬者は不明であるが、高貴な人物が埋葬されたと考えられる。 940年(天慶3年)に平将門は藤原秀郷らによって誅殺されたが、秀郷が戦勝の報告のために上洛しようとして中山道を通って宇曽川にたどり着いたときに将門の骸が追いかけてきたという伝承が残る。秀郷は歌でもって将門の罪をなじったところ、将門はその返歌に詰まって打ち倒れたとされる。これにちなんで宇曽川に架かる中山道の橋を「歌詰橋」と呼ぶようになった。そして、古墳は将門を埋葬したものと伝わる。
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