布袋寅泰 音楽性

布袋寅泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/20 21:27 UTC 版)

音楽性

BOØWY時代やCOMPLEX時代は8ビートニューウェイヴを基調としたポップな楽曲(いわゆるビート・ロックパワー・ポップ)をメインに制作していたが、ソロアーティストとなって以降はデジタルロックファンクグラムロックポップ・ロックプログレッシブテクノクラウト・ロックブラス・ロックハウスレゲエパンクポストロックエレクトロニカドラムンベースアンビエントロカビリージャズなど様々な要素を取り入れたサウンドを展開しており、アルバム毎に音楽コンセプトを一変させ、世界観の異なる作品をリリースしている。このような姿勢について布袋は「日々変化してこそロックン・ロール」と語っている[13]

自身が最も影響を受けたミュージシャンにデヴィッド・ボウイT・レックスロキシー・ミュージック[注釈 3]、また自身をギタリストにした人物としてマーク・ボランミック・ロンソンクリス・スペディングを挙げている[14]。特にデヴィッド・ボウイへの敬愛は強く、インタビューなどで頻繁に名前が登場している。また自身の音楽コンセプトを毎回変えるというスタイルもボウイから受けた影響の一つである。他にも10ccエルヴィス・コステロXTCスパークスクラフトワークデフ・スクール英語版スティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベルディーヴォトーキング・ヘッズDAFウルトラヴォックスジグ・ジグ・スパトニックジーザス・ジョーンズギャング・オブ・フォーテレヴィジョンデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズブームタウン・ラッツセックス・ピストルズリー・リトナーアル・ディ・メオラブリジット・フォンテーヌなどをはじめ多岐に及ぶ。現在でも非常に多くのミュージシャンを愛聴しており、自他共に認めるレコードマニアである。

音楽面やバンドスタイルではブリティッシュムーブメント(特にグラムロック、パンク、ニューウェイヴ)からの影響が非常に強いが、一方ギタープレイではレイ・パーカーJr.ワウ・ワウ・ワトソン英語版ジョニー・"ギター"・ワトソンアル・マッケイなど、ブラックミュージック系のギタリストを好んでコピーしていたことから、ファンクへの拘りも非常に強い。

ライブ活動には非常に精力的であり、現在でもアリーナホールライブハウスなど様々な規模のステージを踏んでいる。「ライブアーティストでありたい」「あくまでライブをやりたいから楽曲を作る」などステージを意識した発言は数多い。ステージセットや演出への拘りも強く、代名詞ともいえるアグレッシブで独特のステージアクションを評価しているミュージシャンも多く存在する。サポートメンバーはツアー毎に入れ替わることが多く、ライブコンセプトやサポートメンバーのスタイルなどによって過去の楽曲にもさらなるアレンジを施し、時にオリジナルテイクと大きく姿を変える。基本的にほぼ毎回のライブおよびツアーの度に、新たにアレンジされた過去の楽曲が披露されている。

楽曲のみに留まらず、ファッションやビジュアル、アートワークも活動コンセプトの一端として重視している。作品の世界観に合わせてスーツや革ジャン、近未来風ファッションやゴシック調の衣装にも袖を通し、メイク・スタイリングも変える。このような姿勢はアマチュア時代から持ち合わせており、Charのファッションにも強く影響を受け「群馬のChar」と呼ばれていたとも語っている[15][16]。BOØWY結成後も当初からヘアメイクや衣装、ライブコンセプトのアイデアを度々メンバーに提案していた。『INSTANT LOVE』の時期に、青山キラー通りにあったブティック「T-KIDS」に飛び込みで衣装提供を申し込み、実現させたというエピソードもある[17]。また高校時代にレタリング通信教育を受けていたことから[18]、BOØWY時代初期はライブの宣伝チラシのデザインも担当していた。

音楽以外に絵画や詩、映画、文学なども好み、曲作りに影響を受けたエピソードも著書やインタビューなどで語られている。アンディ・ウォーホル[注釈 4]ジャン・コクトーアルチュール・ランボーサルバドール・ダリアントニ・ガウディフィンセント・ファン・ゴッホケネス・アンガースタンリー・キューブリックウィリアム・バロウズ小池真理子[注釈 5]などを趣味として挙げている。旅に出ることも多く、様々な土地でのエピソードが度々楽曲に反映されている。特にロンドンへの愛着は一際強く、2012年に同地へ移住する以前から別宅としてアビーロードノッティング・ヒルフラットを所有しており、レコーディングやプライベートでたびたび訪れていた。

ギタースタイル

前述のような音楽趣向からビートへの拘りは非常に強く、様々な場面で口にしている。また自身のことを「僕はビート・ギタリスト」だと語っている。布袋のギタースタイルの象徴の一つとして『BAD FEELING』のリフに代表される独特のカッティングが挙げられるが、これもビートへの拘りとファンクからの影響を強く受けていることが背景にある。

ピックはオニギリ型のハードタイプを愛用[19]ピックと爪を同時に弦に当てながら弾く(ピッキング・ハーモニクス)ため、独特のサウンドを奏でる[19][20]。一度のライブで爪がかなり消耗することから、ツアー中はコーティングを欠かさず行っている[21]。また「ギターは左手以上に右手が大事」としており、「同じフレーズでもピッキング・ハーモニクスを利かせるなど、右手の使い方次第でサウンドに個性を出すことが出来る」と語っている[22][23]

左手に関しては、パンクやニューウェイヴからの影響でアマチュア時代からストラップを長くして腰の位置で弾くなど、テクニックよりもオリジナリティーを重視してきた結果、未だに小指はうまく使えないという[13][15][24]。一方で5弦6弦を親指で押さえるといったスタイルを多用している[23]

布袋の手は長身ながら小さく柔らかいため[24][25][20]、この点と前述のピッキング・ハーモニクスや5弦6弦を親指で押さえるというスタイルが『BAD FEELING』や『2人のAnother Twilight』など独特のカッティングを駆使したいわゆる「手癖フレーズ」を生み出すのに功を奏したと評している[23]マーティ・フリードマンは自身の著書にて、ギターの音を聞いただけで誰が弾いているか分かる日本の個性派ギタリストとしてChar松本孝弘と共に布袋の名を挙げている[26]

バッキングの際はブリッジミュートを駆使してリズムを際立たせるプレイをすることが多く、ハードロックなどの歪み系のサウンドは出すことは少ない。「こう見えて几帳面な性格なので、ギターもリズムをきっちり刻むスタイルの方がしっくり来た」とたびたび発言しており、「のっぺりと歪んだギターは好みじゃなく、そういった音楽はあまり聴いてこなかった」とも述べている[27]。前述のようにギターを弾く際のピッキングのアタック感やリズム感を意識している発言も多く、様々なミュージシャンから「布袋のギターはコンピューターのような正確さだ」と評されており、スティーヴ エトウは「迷った時には彼のギターを聴けば確実」と評している[28]

このようにリズムへの拘りは強いが、歌メロディーに踏襲したリードギターも大きな特徴である。ロック・ミュージックのギターソロやフレーズにおいて使用頻度が高いペンタトニック・スケールが布袋のギターソロ等ではほとんど使用されておらず、いわゆるドレミと同じ西洋七音階にて構成されている[29]。特にBOØWY時代は「音階は音が離れていないほうが耳馴染みがいい」、「ギターソロは驚かせるものではなく、聴き手をほっとさせたい」、「アドリブっぽくならないように」と、本人曰く“簡単だけど耳に残るフレーズ”を徹底的に追求した。同時にギターソロに関してはテクニックよりも感情移入主義であるとしており、「(自分は)作曲者としてはBOØWYの『MARIONETTE』やCOMPLEXの『BE MY BABY』など、基本的にメロディが湧いてくるタイプ。ギター弾きっていうのは無限のメロディを持っていなかったら成り立たないし、優れたアドリブを弾けるには優れたメロディーメイカーじゃないと不可能。最終的には解釈もコード進行も関係ないし、全部気持ちの豊かさから来るもの」と述べている[30]

アマチュア時代は毎日クラフトワークを聴きながら楽曲のループに合わせてギターフレーズを考えていたという時期も存在し[31][18]、理想のギタリスト像について「マーク・ボランのようなグラムな衣装で、黒人のようなファンキーなカッティングを、クラフトワークのビートをバックに踊りながら弾くギタリストという何とも奇妙なものだった[32]」と語っている。

BOØWY時代はコーラスアナログ・ディレイハーモナイザーをはじめ自らを「エフェクターの鬼」と称するほど多種多様のエフェクターを用いていたが、「(BOØWY時代は)4人バンドでコード楽器は俺しかいなかったから、広げたり飛ばしたりをやらないとすごくモノクロなロックンロールになってしまうのも手伝って、結構使ってた。BOØWYをやめた時にもうエフェクターを使う必然性はないなって[30]」という言葉が示す通り、ソロ以降その数は減少している。しかしソロ・キャリアでもデジタル要素の強い作品をリリースするなど使用率は決して低くはなく、特にディレイは現在までマストアイテムとして定着している。

TAKUYASUGIZOなど布袋からの影響を公言しているプロのギタリストも数多い。 今井寿は「影響を受けた唯一のギタリスト」として布袋を挙げており[33]、「ギターサウンドだけど、エレクトロ感、テクノ感がある」「ソロを弾かなくても格好いいギタープレイ」「乱暴な言い方で言えば、自分でコードを作っちゃう感じのパンクな姿勢」と述べ、総じて「洗練されたB級感」と評している[34]。 幾度も共演歴のあるブライアン・セッツァーは、「彼は古いサウンドをモダンにしてしまう才能がある」と評している[35]

プレイのみに留まらず、独特のステージアクションも布袋の象徴として挙げられることは多い。ギターを始めた当初からステージで演奏することを考慮し、自宅でも立って弾いていたという。BOØWYがブレイクする以前は新宿のツバキハウスや六本木のクライマックスなどのディスコへも盛んに足を運んでおり、「ギターをかき鳴らすアクションでジャンプしながら踊っていた。間違いなく自分のステージアクションの原型は、ツバキハウスとクライマックスのダンスフロアで出来上がったと断言できる」とのことである[18]

作曲

楽曲制作に関しては、作曲を優先(曲先)にする。ギターリフから作ったもの、ベースリフから作ったもの、メロディから作ったもの、リズムパターンから作ったものと、バラエティに富んでいる。前述の通りライブへの拘りが非常に強いため、作曲の時点ではあまり意識しないが、編曲はライブを意識して行っており、基本的に「ライブで再現出来ないことはCDでも演(や)らない」というスタンスである。ステージでのパートはギターとボーカルのみだが[注釈 6]、レコーディングの際はベースキーボードなども自らが演奏する。またデモテープ制作時はプログラミングも行う。

外出先などでフレーズが思い浮かんでも録音したり譜面に書き残すといったことは基本的にしない。本人によると「忘れてしまうようなフレーズは、所詮その程度のものだということ[14]」であり、『GUITARHYTHM IV』のようにデモテープを一切制作していないというアルバムも存在する。そもそもギターの譜面に関しては読むことができず、自分が作った楽曲を譜面に起こすこともできない。コードも基本的なもの以外はよく知らないという。そのため、BOØWY時代初期にスタジオミュージシャンの仕事が入った時は、小さいサイズのコードブックを隠し持ってスタジオ入りしていた。[36]

THANK YOU & GOOD BYE』など一部を除き、現在までほぼ全ての作品でセルフ・プロデュースを執っているが、これについては「僕のプロデューサーって立場はあくまでもギタリストの延長線。いいミュージシャン、いいギタリストでいる為には、ドラムもベースも歌も知らなきゃいけないっていう。初めて作った『MORAL』がまったく満足いかない仕上がりになってしまったことが、一番きっかけとして大きかった。これはスタジオの作業をもっと知らなきゃいけない、ただ演奏しただけでは結果的に作品としてのあるレベルには至らないと痛感した。それからミュージシャンとしての自分自身を大切に、色んなことをクリアしてプロデューサーと呼ばれるようになった」としている。

高橋まことは布袋の音楽スタイル、プロデュース・ワークについて「シンプルで、インパクトがあって、しかも恰好いい。そんなリフを作らせると布袋は本当に天才的だった」「一見するとルーツが見えづらいが、敢えて言うなら「ひとりミクスチャー」。あらゆるジャンルの音楽を貪欲なまでに呑み込んで、すべて自分の中で消化して布袋色に染め上げてしまう。自らのルーツ・ミュージックに立ち返ることを布袋は決してしなかった。なぜなら彼にとってのルーツ・ミュージックとは「布袋寅泰」そのものだからだ。自分自身をルーツにしようとしていたのは間違いないだろう」、「ルーツが見えづらい上にツールも多く、ギター以外の楽器も一通り何でもこなせる。レコーディング時にはかなり具体的なフレーズを要求してくることが多かった。本人がドラムも叩けるからこそであり、意思の疎通も非常にスムーズだった」と著書に記している[37]


注釈

  1. ^ BOØWYメンバーとマネージャーの土屋浩の5人で立ち上げた個人事務所。
  2. ^ IRc2 CORPORATION、DADA MUSIC共に自身設立の個人事務所。日本国内での活動はIRc2 CORPORATIONが引き続きマネージメントしている。CEOも務めている。
  3. ^ デヴィッド・ボウイとは1996年6月5日の『OUTSIDE TOUR日本武道館公演にて、ロキシー・ミュージックとは2010年7月31日の『FUJI ROCK FESTIVAL 2010』にて共演を果たしている。
  4. ^ GUITARHYTHM III』にて『さよならアンディー・ウォーホル』という楽曲を発表しているほどである。
  5. ^ 小池とは『HOTEI ROCK THE FUTURE 2000-2001 "fetish"』のツアーパンフレットに掲載された短編小説「闇のオンディーヌ」や、『DOBERMAN』収録の「EVIL DANCE」の作詞など、コラボレーションも果たしている。
  6. ^ 一部ピアノを演奏したツアーも存在する
  7. ^ このポスターのカメラマンである鋤田正義は、布袋の『SCORPIO RISING』『Still Dreamin'』のアートワークも手掛けている。
  8. ^ 現在はクラブDJとして活動している。
  9. ^ 後にBOØWYのメンバーとなる諸星アツシも在籍していた。
  10. ^ COMPLEXの『BE MY BABY』のPVで布袋がTE-HTを弾いていないのは、この盗難事件のため。なおこの時、前述の松井のペイント・ベースも盗難に遭っている。
  11. ^ 後にBOØWYのマネージャーとなり、「紺待人」のペンネームで書籍「大きなビートの木の下で(1986年 ソニー出版)」などバンド関連の書籍等も手掛けた。
  12. ^ 2011年の過密スケジュールにより年一回開催の公約を果たせなかったお詫びとしてファンクラブの会員のみに無料送付された。規格品番の数字が公演日を表している。
  13. ^ 村上"ポンタ"秀一佐山雅弘村田陽一のユニット。
  14. ^ BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY」「さらば青春の光」を順に披露。

出典

  1. ^ 複数のバンドコンテストに出る為、"FLY AWAY"というバンド名も使用していた[40]
  2. ^ 当時所持していたのは白いボディに黒ラインの物。なおこの時、松井はペンキを撒き散らしたフェンダー・プレシジョン・スペシャルを作成しており、こちらもBOØWY時代に松井のメインモデルとして使用された。[18]
  1. ^ True, Chris. Tomoyasu Hotei | Biography & History - オールミュージック. 2020年6月20日閲覧。
  2. ^ 布袋寅泰 / GUITARHYTHM 5”. CDJournal. 株式会社シーディージャーナル. 2021年7月4日閲覧。
  3. ^ 布袋寅泰 / SUPERSONIC GENERATION”. CDJournal. 株式会社シーディージャーナル. 2021年7月4日閲覧。
  4. ^ TOMOYASU HOTEI / GUITARHYTHM BOX [紙ジャケット仕様] [6CD+DVD] [SHM-CD] [限定]”. CDJournal. 株式会社シーディージャーナル. 2021年7月4日閲覧。
  5. ^ 布袋寅泰BOφWY回帰 35周年記念アルバム発売 - 音楽 : 日刊スポーツ
  6. ^ a b 布袋寅泰イギリスで成功するまで帰らない”. 日刊スポーツ (2013年2月1日). 2013年2月11日閲覧。
  7. ^ 『夢と共に、50歳。』 BEAT主義日記 (2012年2月3日)
  8. ^ 映画『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』テーマを布袋寅泰がプレイ”. BARKS (2011年11月29日). 2011年11月30日閲覧。
  9. ^ 布袋寅泰と『ミッション:インポッシブル』が日米最強チームを結成!”. ぴあ映画生活 (2011年10月18日). 2011年10月19日閲覧。
  10. ^ 布袋寅泰「また絶対ギターでセッションしようよ!」トム・クルーズとの共演振り返り再会願う”. 日刊スポーツ (2022年6月3日). 2022年6月3日閲覧。
  11. ^ a b 布袋寅泰&今井美樹、イギリス移住を決意「ロック発祥の地で腕試しを」”. MSN産経ニュース (2012年5月9日). 2023年2月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年2月11日閲覧。
  12. ^ a b 『THE ROLLING STONESからの招待状』 BEAT主義日記 (2011年5月9日)
  13. ^ a b SUPERSONIC GENERATION』CD-EXTRAの本人コメントより
  14. ^ a b c 布袋寅泰、ハービー山口、森永博志『よい夢を、おやすみ』八曜社、1993年。ISBN 4827001391
  15. ^ a b GIGS』1999年6月号 (シンコー・ミュージック)
  16. ^ 『ギター・マガジン』2007年3月号 21ページ(リットーミュージック)
  17. ^ 『スネア』211ページ 高橋まこと(2007年 マーブルトロン)
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『秘密』(2006年 幻冬舎ISBN 4344011082
  19. ^ a b 『BOØWY B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS』 33ページ (2004年 宝島社)
  20. ^ a b テレビ朝日関ジャム 完全燃SHOW』2016年9月4日放送分より[出典無効]
  21. ^ ”. BEAT主義日記 (2009年5月7日). 2009年5月8日閲覧。
  22. ^ GIGS』2001年2月号9ページ
  23. ^ a b c ALL TIME SUPER BEST』初回特典版付属の「BAD FEELING」ギター教則映像より
  24. ^ a b GIGS』2001年2月号10ページ
  25. ^ 別冊カドカワ 総力特集 布袋寅泰』118ページ 小渕健太郎のコメントより(2009年2月7日 発売)
  26. ^ 『サムライ音楽論』マーティ・フリードマン 日経BP社[要ページ番号]
  27. ^ フジテレビNEXTChar meets ???? 〜TALKING GUITARS〜 #01. Char meets 布袋寅泰』(2003年12月3日放送)にて[出典無効]
  28. ^ オフィシャルファンクラブ会報誌のインタビューより[信頼性要検証]
  29. ^ 布袋寅泰のギタープレイ徹底解剖 彼の奏でるフレーズはなぜ耳に残るのか? Real Sound (2014.12.24) のコラムより
  30. ^ a b 月刊カドカワ 1994年8月号
  31. ^ a b c d e f g h i j k HOTEI ROCK THE FUTURE 2003-2004 DOBERMAN TOUR』ツアーパンフレット「THE BIBLE 別有天地非世俗」より
  32. ^ セルフ・ライナーノーツ オール・アバウト 「COME RAIN COME SHINE」 - HOTEI.COM - 2013年1月30日閲覧
  33. ^ 『GUITAR HEROES』Vol.1 59ページ(1997年 ソニー・マガジンズ)
  34. ^ 別冊カドカワ 総力特集 布袋寅泰』88~89ページ(2009年2月7日 発売)
  35. ^ 『ギター・マガジン』2007年3月号 22ページ(リットーミュージック)
  36. ^ a b DVD『Top Runner 完全版』内でのコメントより
  37. ^ 『スネア』高橋まこと 212~213ページ(2007年 マーブルトロン)
  38. ^ HOTEI OFFICIAL BLOG 「母のゴール」
  39. ^ タグチハナ on Strikingly
  40. ^ a b c d e 『布袋寅泰 ビッグストーリー』J-ROCK研究会(1999年 飛天出版)ISBN 4894401584
  41. ^ a b 『BOØWY STORY 大きなビートの木の下で』紺待人(1986年 ソニー出版)ISBN 4789702669[要ページ番号]
  42. ^ HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』(2005年2月28日放送分、フジテレビ系列)[出典無効]
  43. ^ 大きなビートの木の下で(1986年、CBSソニー出版)ISBN 4-7897-0266-9
  44. ^ 『1977 ヤガミ・トール自伝』176~178ページ ヤガミトール(2018年 音楽と人
  45. ^ 布袋寅泰、自身の歩みは「ギターの幾何学模様のよう」 コロナ禍でストレートに思いを届ける”. ORICON NEWS. 株式会社oricon ME (2022年2月1日). 2022年2月2日閲覧。
  46. ^ 布袋寅泰、ハービー山口、森永博志『よい夢を、おやすみ』69ページ 八曜社、1993年。ISBN 4827001391
  47. ^ 布袋ギタリストに罰金30万 町田康さん暴行を「反省」”. 2014年10月23日閲覧。[リンク切れ]
  48. ^ 布袋寅泰ボランティア「次は歌で元気を」 - J-CASTテレビウォッチ(2011年4月14日) - 2011年4月23日閲覧
  49. ^ STYLE CAFE インタビュー Vol.150 中村達也 (前編)”. STYLE CAFE (2008年2月9日). 2008年2月16日閲覧。
  50. ^ 「PATi PATi」1991年11月号インタビューより[要ページ番号]
  51. ^ 週刊朝日『40歳問題』インタビューより[要ページ番号]
  52. ^ 「PATi PATi」1996年4月号インタビューより[要ページ番号]
  53. ^ 『風の谷のナウシカ』王蟲の声は布袋寅泰のギター!本人がツイッターで明かす! - シネマトゥデイ(2011年2月10日) - 2011年2月10日閲覧
  54. ^ 『風の谷のナウシカ』の王蟲の鳴き声は布袋寅泰さんのギターの音だった! - デジタルマガジン(2011年2月10日) - 2011年2月10日閲覧
  55. ^ 『糟谷岡崎堂』 2012年8月29日の記事より
  56. ^ Facebook 糟谷銑司本人の投稿より
  57. ^ 布袋の他に元BOØWYのベーシスト松井恒松や、当時の妻である山下久美子も所属していた。
  58. ^ 『夢 叶う』 BEAT主義日記 (2010年8月1日)
  59. ^ 『30年越しの夢 ROXY MUSIC 追記』 BEAT主義日記 (2010年8月1日)
  60. ^ 『東京JAZZ SESSION with Lee Ritenour & Mike Stern』 BEAT主義日記 (2011年9月6日)
  61. ^ GQ MEN OF THE YEAR 2014”. GQ JAPAN (2014年11月20日). 2014年11月21日閲覧。
  62. ^ 布袋寅泰、海外レーベル『Spinefarm Records』と契約”. ORICON (2015年4月16日). 2015年4月21日閲覧。
  63. ^ 布袋寅泰 「HOTEI」で欧州進出第1弾アルバム!”. スポニチ (2015年8月21日). 2015年8月21日閲覧。
  64. ^ 皆さんへのプレゼントです!”. BEAT主義日記 (2010年4月28日). 2016年8月5日閲覧。
  65. ^ ファーストサマーウイカがドラマ「私のエレガンス」主題歌担当、楽曲プロデュースは憧れの布袋寅泰 ナタリー
  66. ^ BONIN RECORDS
  67. ^ 布袋寅泰 × TAKEO KIKUCHI
  68. ^ 布袋寅泰35周年仕様のローソン、地元・高崎にオープン - ナタリー
  69. ^ The SCORPION SPIRIT






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「布袋寅泰」の関連用語

布袋寅泰のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



布袋寅泰のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの布袋寅泰 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS