大阪近鉄バファローズ その他のチーム記録

大阪近鉄バファローズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 00:13 UTC 版)

その他のチーム記録

1950年から2004年までの順位のグラフ
  • 初試合 1950年3月12日・藤井寺球場(対毎日、2-6)
  • 初勝利 1950年3月13日・藤井寺球場(対南海、4-3)
  • リーグ優勝 4回
    • (1979年 - 1980年、1989年、2001年)
  • 日本一 0回
  • 前期優勝 1回
    • (1979年)
  • 後期優勝 1回
    • (1975年、1980年)
  • Aクラス 22回
    • (1954年、1969年 - 1972年、1975年、1978年 - 1980年、1982年、1985年 - 1986年、1988年 - 1992年、1994年、1997年、2001年 - 2003年)
  • Bクラス 33回
    • (1950年 - 1953年、1955年 - 1968年、1973年 - 1974年、1976年 - 1977年、1981年、1983年 - 1984年、1987年、1993年、1995年 - 1996年、1998年 - 2000年、2004年)
  • 最下位 19回
    • (1950年 - 1953年、1958年 - 1962年、1964年 - 1967年、1973年、1981年、1987年、1995年、1999年 - 2000年)
  • 連続Aクラス入り最長記録 5年(1988年 - 1992年)
  • 連続Bクラス最長記録 14年(1955年 - 1968年)
  • シーズン最多勝利 78(2001年)
  • シーズン最少敗戦 45(1979年)
  • シーズン最高勝率 .622(1979年)
  • シーズン最少勝利 29(1958年)
  • シーズン最多敗戦 103(1961年)※プロ野球記録、2023年シーズン終了時点で唯一シーズン100敗を記録
  • シーズン最低勝率 .238(1958年、当時は引き分けを0.5勝0.5敗で計算していたため、現在の勝率に換算すると.230)
  • シーズン最高打率 .290(1980年)
  • シーズン最多得点 791(1980年)
  • シーズン最多安打 1332(2001年)
  • シーズン最多二塁打 249(2002年)
  • シーズン最多三塁打 40(1953年、1954年)
  • シーズン最多本塁打 239(1980年)※当時日本新記録。現在はパ・リーグ記録
  • シーズン最多四球 581(2001年)※日本記録)
  • シーズン最多四死球 644(2001年)※日本記録
  • シーズン最多盗塁 223(1954年)
  • シーズン最多犠飛 52(1978年)※日本記録
  • シーズン最高防御率 2.66(1954年)
  • シーズン最低防御率 5.10(1985年)
  • シーズン本塁打数200本以上3回(1980年、1985年、2001年)※日本記録
  • 最大連勝 13(1994年7月26日・対ロッテ - 8月10日・対ロッテ)
  • 最大連敗 13(1952年5月25日・対毎日第1試合 - 6月15日・対西鉄第1試合)
  • 1試合最多得点 21(1980年6月30日・対ロッテ第1試合、2000年9月5日・対オリックス)
  • 1試合最多失点 25(1985年9月18日・対南海)
  • 1試合最多安打 26(2003年8月18日・対日本ハム)
  • 1試合最多二塁打 8(1963年6月19日・対東映、1963年10月3日・対阪急)
  • 1試合最多三塁打 3(1984年5月24日・対南海 他4度)
  • 1試合最多本塁打 8(2003年7月12日・対日本ハム)
  • 1試合最多犠打 7(1987年・対南海)※日本記録
  • 1試合最多盗塁 9(1954年7月27日・対毎日)

注釈

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 大阪ドーム』は現在も正式名称。現在呼称されている『京セラドーム大阪』は大阪近鉄バファローズが消滅した後の2006年から大阪ドームのネーミングライツ売却により使用されているもので、大阪近鉄バファローズとしては『京セラドーム大阪』は一度も使用していない。
  2. ^ 毎日オリオンズと合併して毎日大映(大毎)オリオンズとなり、球団組織・法人格と各種記録は毎日側の存続としたが、この合併は表面上は対等合併形式で、組織の実態は大映側が毎日側を吸収してが経営の主導権を握る実質的な逆さ合併だったため、名実ともに吸収合併形式で尚且つ経営権もオリックス側に完全譲渡された本球団の事例とは実態が全く異なっている。
  3. ^ 1938年、南海軍として設立。1947年5月に旧南海が近鉄から分離したことにより、球団の運営も南海となる。
  4. ^ 二軍でもウエスタン・リーグ1995年に1回だけ優勝するも、二軍の日本一は達成できなかった。なお、楽天が2013年に日本シリーズで優勝したため、同年の時点で現存する12球団全てが日本一を経験していることになる。このほか、日本シリーズに進出した経験がありながら日本一になれなった消滅球団としては1950年松竹ロビンス1953年大洋ホエールズと対等合併して「大洋松竹ロビンス」となるが、大洋が存続球団として扱われ、その翌年に松竹が球団経営から撤退したことに伴い、大洋漁業による単独経営に変更されたため、それ以降は消滅球団という扱いになってしまった)がある。
  5. ^ ただし阪神は合併後の2023年に合併球団であるオリックス・バファローズと日本シリーズで対戦している。一方で中日・横浜 (DeNA) は合併相手である阪急→オリックス(ブレーブス・ブルーウェーブ)や合併球団のオリックス・バファローズを含め、2023年までに日本シリーズで対戦したことは一度もない。
  6. ^ 最下位は大映で、この年のオフに毎日と合併している。
  7. ^ 監督就任と同時に登録名を「加藤久幸」に変更した。
  8. ^ 公募も行い、最も票の集まったのがバファローだったという情報もある[13]
  9. ^ チーム最多勝、26敗はリーグ最多敗戦。
  10. ^ いずれの年もリーグワースト。
  11. ^ 『プロ野球記録大鑑』のには1ゲーム差と書かれているが、実際は2ゲーム差である[17]
  12. ^ この時点での成績は、近鉄が72勝48敗6分(勝率.600)、阪急が73勝49敗4分(勝率.598)で、近鉄は2勝で優勝となるのに対し、阪急は2勝1分以上が条件だった(当時の新聞縮刷版による)。
  13. ^ 仰木就任以前の近鉄は西武に対しては西武創設初年度の1979年に勝ち越して以降、仰木就任初年度の1988年に勝ち越すまで1986年のタイを除いて、全て負け越すなど相性は良くなかった。
  14. ^ 被本塁打も251本で、こちらも日本プロ野球新記録。
  15. ^ 当時は試合時間が4時間を越えると新しいイニングに入らないというルールがあった。
  16. ^ この日は後に近鉄と球団合併することになるオリエント・リース(現:オリックス)が阪急を買収することを発表した日でもあった。
  17. ^ 日本ハムのリーグ優勝は1981年は当時の本拠地・後楽園球場プレーオフ優勝、1962年東京スタジアムで行われた大毎オリオンズとの試合中にダブルヘッダー1試合目だったマジック対象チームの南海ホークスが近鉄に敗れたことによるものである。大洋のその時点でのリーグ優勝は大洋ホエールズ時代の1960年阪神甲子園球場でのみ。
  18. ^ 第1試合全打点をたたき出す3打席連続本塁打と、第2試合敬遠四球を挟んでの4打数連続
  19. ^ 1980年プレーオフでの近鉄の主催試合はナイター設備が未整備により、藤井寺球場ではなく大阪球場で行われたため「'本拠地球場でのリーグ優勝」ではない。
  20. ^ 1979年、1980年はプレーオフと同様の理由により、大阪球場で開催している。
  21. ^ 加藤のこの発言に対し、巨人の選手が怒って奮起し4連勝した、とされるもの。詳細はこちらを参照
  22. ^ この時競合したのはダイエー、阪神、オリックス、大洋、ロッテ、日本ハム、ヤクルト
  23. ^ 詳しい経緯は「野茂英雄の近鉄退団」を参照。
  24. ^ 近鉄の管轄駅で大阪ドームに最も近いのは大阪難波駅(球団消滅時点の名称は「近鉄難波駅」)である。ただし、大阪ドームの最寄駅の一つには大阪市交通局大阪市営地下鉄、現在の大阪市高速電気軌道(Osaka Metro))中央線九条駅があり、近鉄球団消滅前から近鉄東大阪線(現在の近鉄けいはんな線)の列車が相互直通運転で乗り入れている。近鉄球団消滅後の2009年3月20日には阪神なんば線の延伸開業に伴いドーム前駅が新設され、近鉄難波線奈良線の列車も相互直通運転で同駅に乗り入れるようになった。
  25. ^ 2001年に前川勝彦が12勝するまで、近鉄は二桁勝利投手が出なかった。
  26. ^ ロッテが毎日オリオンズ時代に日本一になった1950年の日本シリーズフランチャイズ制導入前。
  27. ^ ロッテ相手には翌年から球団消滅を迎える2004年まで負け越した。
  28. ^ 球団運営は従来通り近鉄が担うものの、スポンサーを募り球団名を「●●(ネーミングライツ購入企業)バファローズ」とするもの。かつての太平洋クラブライオンズ ⇒ クラウンライターライオンズ(球団運営は福岡野球)もこれに該当した。
  29. ^ この中止の代替開催は行われなかった。
  30. ^ 2016年は不開催。
  31. ^ なお、同じく2013年に行われたパ・リーグ全体の「レジェンド・シリーズ」(8/30-9/5)でのオリックスはブルーウェーブの1991年~2000年シーズンの復刻ユニフォームを使用した。http://special.pacificleague.jp/legend2013/
  32. ^ 特殊ルールを除いた場合、千葉ロッテマリーンズのみ1950年の毎日オリオンズ時代にしか年間勝率1位によるリーグ優勝をした上で日本一になっていない。
  33. ^ 厳密に言えば、球団創設当時親会社の路線は宇治山田止まりで志摩方面まで延びておらず、同地域を走っていた私鉄線は鳥羽賢島を結ぶグループ企業の三重交通志摩線(現・近鉄志摩線)だけであった。命名の理由は将来の近鉄阪伊名伊特急の賢島への延伸計画を見越してのものとも捉えられるが、三重交通から鉄道部門を1964年に分社した三重電気鉄道が1965年に近鉄に合併されたことで志摩地区が名実ともに近鉄沿線となり、鳥羽線の全線開通で志摩地区が他の近鉄線と接続し、各特急の賢島直通が実現した1970年には球団愛称が既に「バファローズ」に変わっていた。
  34. ^ 近鉄特急でも1970年から1976年頃まで「阪伊甲特急」と「名伊甲特急」に「パールズ」の愛称名が付けられていた。
  35. ^ 開場から1975年までの名称は「中日スタヂアム」。
  36. ^ NPBの球団で本拠地が「市」ではなかったケースは、阪神タイガース(当時の名称は「大阪タイガース」)が1951年3月31日までは兵庫県武庫郡鳴尾村に本拠地を構えていたというケースがある。
  37. ^ 結局マニエルは、監督が放出を決めた広岡達朗から武上四郎に変わっていたこともあり、翌1981年にヤクルトに復帰したが、急速な衰えを見せたことから同年限りで現役を引退した。
  38. ^ 外国人選手の場合、基本的に代理人に交渉を一任する例が大半のため、法外な要求は代理人サイドによるものが多い。
  39. ^ 一方でビジター扱いで前述したように2004年には対日本ハム戦を開催した他、対ダイエーとの試合も開催された。また、東京ドーム開場を記念して1988年の開幕前に行われた「サッポロビール・プロ野球トーナメント大会」では、近鉄を含めた全球団がホーム用のユニフォームを着用していた他、オールスターゲームでパ・リーグ(東京ドームでは日本ハム)がホーム扱いで開催する試合や、日米野球(1990年代や2000年代などの日米野球の日本代表は現在の侍ジャパンのような国際化した試合ではなく、各球団のユニフォームを着るオールスターゲームのような試合)でホーム扱いの試合ではホーム用のユニフォームを着る姿が見られた。
  40. ^ これはデザインを担当したコシノが、事前にバファローズのイメージカラーを調査したところ、「赤」という意見が大半を占めたため[63]
  41. ^ コシノはデザインを手掛けるにあたり、照明等で色彩が大きく変わる為、赤のビジター用ユニフォームが苦労したとの事[64]
  42. ^ これと前後して『週刊ベースボール』誌がコシノにインタビューした際、コシノが「あたしが作ったユニフォームなんだから誰が着たって似合うに決まってるわよ」と放言した記事が載り、これが異論の火に油を注ぐ格好となった。
  43. ^ 1999年の最終戦で試合の終盤にトランペットを使用するなど、いくつかの例外もある。
  44. ^ 中村長芳オーナー率いる福岡野球が経営母体。
  45. ^ 企業としてのアコムは、対青少年も含めた社会福祉活動や、文化・芸術支援活動、大学での金銭教育などの金融啓発活動にも積極的に取り組んでいた。
  46. ^ 当時広島球団には、広島電鉄中国新聞社など県内の主要企業も出資していたが、これらが合併球団への出資も行う方向だったかは不明。

出典

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  21. ^ プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、産経新聞出版、P159、2015年
  22. ^ a b 近畿日本鉄道 2010, p. 319.
  23. ^ a b この年の記述の出典は、さらば 2004, p. 53。
  24. ^ 球団史 2012, p. 41.
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  27. ^ サヨナラ 2004, p. 94.
  28. ^ a b c 宇佐美徹也 1993, p. 83.
  29. ^ さらば 2004, p. 78.
  30. ^ この年のここまでの出典は大阪バファローズ研究会 編『近鉄バファローズの時代 「悲劇の球団」に捧げる惜別のノンフィクション!』イースト・プレス〈East Press Nonfiction〉、2004年、142頁。ISBN 4872575040 
  31. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 571.
  32. ^ Sports Graphic Number 編『熱闘!プロ野球三十番勝負』文藝春秋社文春文庫 ビジュアル版〉、1992年、146-152頁。ISBN 4168108139 
  33. ^ a b c 日本野球機構ほか 編『日本プロ野球記録大百科 2004』日本野球機構、2175頁。ISBN 4583038046 
  34. ^ a b サヨナラ 2004, p. 95.
  35. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 1078.
  36. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 111.
  37. ^ この節の出典は特記無い場合、『毎日新聞縮刷版 1988年11月』毎日新聞社、1988年、753頁。 
  38. ^ この年のここまでの出典は『週刊ベースボール』2013年10月7日号、ベースボール・マガジン社、2013年、24 - 25頁。 
  39. ^ a b さらば 2004, p. 94.
  40. ^ 「草魂」300勝投手の栄光が生んだ監督としての挫折…1995年1月「あれから」<33> 讀賣新聞、2023年3月13日
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