大阪天満宮 歴史

大阪天満宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 00:46 UTC 版)

歴史

白雉元年(650年)、孝徳天皇難波宮を造営した際、その西北に守護神として大将軍社を創建したのが当社のそもそもの始まりである。

延喜元年(901年)に菅原道真藤原時平によって九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、この地にあった大将軍社に参詣し、旅の安全を祈願している。

延喜3年(903年)に菅原道真が没した後に天神信仰が広まり始めるが、天暦3年(949年)に道真ゆかりの大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そして、それを聞いた村上天皇の勅命によってこの地に天満宮が建立されることとなった。以後、当社は大将軍社を摂社として新たに天満宮が中心の社となる。

当社は度々火災に見舞われている。なかでも享保9年(1724年)の享保の大火(妙知焼け)では全焼の憂き目にあっている。後に復興したものの、今度は天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱による大火でまたも全焼してしまった。しかし、天保14年(1843年)には現在の社殿が再建されて復興を果たしている。

明治時代になると府社に列せられている。

1945年昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲の際には幸運にも被害を免れている。戦後に神社本庁別表神社に加列されている。

祭神

境内

文化財

国登録有形文化財

参集殿
  • 神楽殿
  • 参集殿
  • 梅花殿

大阪府指定有形文化財

  • 春秋遊牛図屏風

大阪府指定有形民俗文化財

  • 天神祭御迎船人形 14躯 附:天満宮御神事御迎船人形図会 1冊、御迎人形図木版刷 1枚

大阪府指定無形民俗文化財

  • 天神祭の催太鼓(大阪天満宮催太鼓太鼓中)

大阪市指定有形文化財

  • 天神祭礼船渡御図屏風 伝長谷川光信筆 6曲1隻

大阪市指定有形民俗文化財

  • 船形山車「天神丸」

その他


  1. ^ <連載>吉本百年物語 ほんとうのエピソード(1)吉本発祥のナゾ ORICON NEWS 2012年8月23日、2019年11月3日閲覧
  2. ^ 湯川敏男「大阪七墓「昔と今」巡り」 大阪商工会議所、2020年7月9日閲覧。


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