夏子の冒険 夏子の冒険の概要

夏子の冒険

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 06:46 UTC 版)

夏子の冒険
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説冒険小説
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出週刊朝日1951年8月5日号-11月25日号
挿絵 猪熊弦一郎
刊本情報
出版元 朝日新聞社
出版年月日 1951年12月5日
装幀 猪熊弦一郎
総ページ数 291
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1951年(昭和26年)、週刊誌『週刊朝日』8月5日号から11月25日号に連載された(挿絵:猪熊弦一郎[2][3]。単行本は同年12月5日に朝日新聞社より刊行された[4][1]。翌々年の1953年(昭和28年)1月14日には、角梨枝子主演で映画も封切られた[5]。文庫版は1960年(昭和35年)4月10日に角川文庫より刊行された[4]。翻訳版は、中国(中題:夏子的冒険)で行われている[6]

村上春樹の『羊をめぐる冒険』は、『夏子の冒険』のパロディあるいは、書き換えであるという仮説がよくいわれている[7][8][9][10]

時代背景・主題

『夏子の冒険』は、「お嬢さま」を主人公とした三島の作品群の中でも、特にヒロインが大活躍し、女子の魅力があふれているものの一つであるが[10]、この作品の執筆当時は、まだ日本が敗戦後数年しか経っておらず、連合国の占領下の時代で、女子の4年制大学進学率も低く、良家のお嬢さんは高校や短大などを出ると「良縁」を待つことが一般的で、主人公・夏子もそうした良家の子女の設定となっている[10]。また、夏子が惹かれる青年は、恋人を熊に殺され仇討ちに行く若者の設定となっている[10]

三島は『夏子の冒険』の主人公たちについて次のように述べている[11]

舞台は北海道だが、主人公の若い男女は都会人である。しかし都会の中には若い彼らがあふれるエネルギーをぶつけるに足る対象がみつからない。彼らは別々の夢をもつて東京を出てくる。この若々しい青春のはけ口を託するに足る夢を、今の時代が与へてくれないことが不満なのである。私は現在の日本に多少とも外地にちかい雰囲気を漂はせてゐる北海道の湖や森のなかに、彼らの夢を追つてゆかうと思ふ。彼らのロマンチシズムにかぶれた脱線旅行を、苦笑したり皮肉つたりしないで追つてゆかうと思ふ。野宿の恋人同士が夜半目をさまして仰ぐ星は、どの星座の星がよからうか? 大熊座の星がいいだらうか? かれらの情熱はの形をしてゐるからである。 — 三島由紀夫「作者の言葉」[11]

上述のように、北海道は当時まだ〈外地〉に近い雰囲気を漂わせていた時代であり、歴史的に見て、「近代国家」と「北海道」の関係を反映していた作品という面もある[10]。なお、そういった点の見られる同系列の小説は他に、有島武郎カインの末裔』、吉屋信子『海の極みまで』、武田泰淳森と湖のまつり』、安部公房榎本武揚』、池澤夏樹『静かな大地』などがある[10]

あらすじ

20歳の松浦夏子は、ある朝、突然朝食の食卓で、「あたくし修道院へ入る」と家族に宣言した。美しい夏子には降るように男たちから申し込みがある。しかし、大学法学部の助手も、社長の御曹司も、建築家志望や芸術家志望の青年も誰一人、死の危険を冒したり、愛のために命を賭けたりするような情熱も持っていない、ありきたりな出世を望む退屈な青年ばかりだった。処女の夏子は、いくら探しても望む男がいない以上、神に仕えて浮世と絶縁して、憧れていた北海道函館市にあるトラピスト修道院で暮そうという結論に達したのだった。家族はもちろん猛反対だったが、自殺未遂までやらかす頑固な夏子に押され、入会後半年間の志願期はいつでも脱退できることを知った父はやむなく承諾した。

夏子の母、伯母、祖母が付き添って北海道の函館へと旅立った。ふと夏子は上野駅で、猟銃を背負い、目の輝きが他の人と違う青年を見かけた。彼は夏子と同じ青森から出帆した青函連絡船にも乗っていた。2人は甲板で言葉を交わし、次の日、函館で会う流れになった。彼・井田毅は一昨年、千歳に近いアイヌ部落・蘭越コタンで知り合った16歳の和人の少女・秋子と結婚を誓い帰京したが、その直後、秋子は無残にも熊に手足をバラバラにされ殺されてしまったのだった。毅はその4本指の人喰い熊を仇討ちするために、休暇をとって再び北海道に来たのだった。夏子は毅の話を聞いて、自分も熊退治について行くと言い出した。最初は何とか夏子をまこうとした毅だったが、決心のゆらがない夏子に根負けし、お供させることとなった。

一方、函館の宿に残された母、伯母、祖母は夏子の失踪に慌てふためき、彼女が定期的に宿に打つ電報をたよりに夏子捜索の珍道中の旅に出ることとなった。夏子は途中、白老のY牧場の厩舎番牧夫の娘・16歳の不二子に嫉妬しながらも、毅と恋仲になっていき、熊を仕留めたら結婚することを約束した。やがて2人を追って、猟友会の札幌支部長・黒川や夏子の母たち、札幌タイムス社の野口も蘭越近くの村のコタナイへやって来た。一行は村長別宅に集まり、熊が出そうなコースの確認や計画を練った。夏子も村田銃を持ち、毅と一緒に家の裏手の緬羊小屋を見張った。母、伯母、祖母らが村長別宅に残り、茶菓子などを食べている時、熊が家の中に入って来た。彼女らは失神してしまったが、熊はそのまま家を出て緬羊小屋に来た。そして毅が見事、四本指の大熊を仕留めた。

一件落着し、母たちも毅と夏子の結婚に大賛成し、2人は幸せだった。しかし、帰りの船の甲板で毅が話すことは、重役になったらアメリカに行こう、自動車を買おうなどという凡庸な所帯じみた将来の結婚生活の夢であった。夏子はロビーに行き荷物から時間表を取り出し、函館行きの船の時間を調べ始めた。そして、いぶかる母たち3人に向かって、「夏子、やっぱり修道院へ入る」と言った。


  1. ^ a b c 木村康男「夏子の冒険」(旧事典 1976, p. 290)
  2. ^ 井上隆史「作品目録――昭和26年」(42巻 2005, pp. 395–397)
  3. ^ 千葉俊二「夏子の冒険」(事典 2000, pp. 265–266)
  4. ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  5. ^ 山中剛史「映画化作品目録」(42巻 2005, pp. 875–888)
  6. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
  7. ^ a b 「第I部 闘いと迷宮と――新しい〈村上春樹〉の発見 〈第二の文章〉太宰と三島という「二」の問題――『羊をめぐる冒険』と『夏子の冒険』」(佐藤幹 2006, pp. 80–84)
  8. ^ a b 高澤 2006高澤秀次吉本隆明 1945-2007』(インスクリプト、2007年9月)p.264。大澤 2008, p. 76
  9. ^ a b c d e f g 「II 虚構の時代――3理想から虚構へ、そしてさらに……」(大澤 2008, pp. 74–84)
  10. ^ a b c d e f g h i 千野帽子「熊をめぐる冒険――1951年の文藝ガーリッシュ」(夏子・文庫 2009, pp. 269–277)
  11. ^ a b 「作者の言葉(「夏子の冒険」)」(週刊朝日 1951年7月29日号)。27巻 2003, p. 445に所収
  12. ^ 松本鶴雄「三島由紀夫全作品解題」(『三島由紀夫必携』学燈社、1983年5月)。事典 2000, p. 266
  13. ^ a b 十返肇「青春の生き方」(『夏子の冒険』河出新書、1955年2月)。42巻 2005, p. 573
  14. ^ a b 「昭和27年――興行ベストテン〈日本映画〉」(80回史 2007, p. 62)
  15. ^ a b 「昭和27年――興行ベストテン〈日本映画〉」(85回史 2012, p. 96)
  16. ^ a b c 山中剛史「三島映画略説――雑誌、新聞記事から」(研究2 2006, pp. 39–43)
  17. ^ 登川直樹「色彩映画の実現『夏子の冒険』を中村登監督に訊く」(キネマ旬報 1952年9月上旬号)。研究2 2006, p. 39
  18. ^ 「天然色映画漸く本格化――進歩したフジコニカカラー」(東京新聞 1952年7月30日号)。研究2 2006, p. 39






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