和邇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 06:08 UTC 版)
和邇(わに、鰐)は、記紀の日本神話や風土記等に登場する海の怪物。
注釈
- ^ つまり日本書紀では本文は「龍」と書き換えられているが、一書では『古事記』の記述と合致する。
- ^ 中国の影響がより明らかなのは記紀の「海神(わだつみ)」が「龍神」と目されるようになった中世(『太平記』の例)であると前置きして解説する。
- ^ ジャーナリストの釈瓢斎(永井栄蔵)も実話とする[14]
- ^ 「サメ」や「フカ」は外来語であると考えた。西村が、和邇の異名「サヒモチ」(「小刀持ち」の意)が「サメ」の意でならないとする点については[19]、サメ説の§言語論参照。
- ^ ちなみに、キツネがアザラシの群れの上を数えて渡り皮もはがれる民話がツングース系民族に伝わっており、「因幡の白兎と和邇」の説話と酷似するとしてきされる[21]。
- ^ 仏具の「鰐口(わにぐち)」は決して鮫の口を意味するのではなく、鰐の口を意味しているともしている[23]。鰐口の付喪神が『百鬼夜行絵巻』に描かれる点については§図像学を参照。
- ^ 外(ガイ→ワイ)、頑(ガン→ワン)、魏(ギ→ウェイ)、呉(ゴ→ウ)、我(ガ→ウォ)、疑(ギ→ニ)、逆(ギャク→ニ)
- ^ 「舟」説は松岡静雄が提唱した。ただし松岡自身は、『因幡の白兎』の和邇はサメだろうとしているが、ただし豊玉姫の話ではワニでなければならないとし、また、和邇に乗った話では「舟」としているので、いずれの解釈派に属すとも言い難い[30]。
- ^ ちなみに西岡秀雄はつごう6説:1)ワニザメ説、2)国内ワニ説、3)ウミヘビ説、4)舟説、5)南洋民俗説、6)国外ワニ説を挙げているが[31]、ウミヘビ説はもっぱら津田左右吉が唱えたにすぎず[32]、主要な説とはいいがたい。また南洋民俗説というのは鰐をトーテムとした部族を指すので[33]、ワニ説に付帯するものである。よって要綱としては、細かいところを省けば黒沢の3大別とそう大差はない。
- ^ 日本でまったく見ることが出来なかったわけではなく、主に南部の島々であるが、江戸時代に奄美大島に漂着した個体が図入りで紹介されており(『南島雑話』)、以降、西表島西表島など琉球諸島、八丈島などに漂着したと報告されている。ただ、1932年の例では北陸の富山湾で発見された[34]。
- ^ ただし泳ぐ鰐の背中に乗る設定となっており、鰐を横並びさせる古事記の筋書きとは異なる[41]。
- ^ 入鹿(イルカ)等
- ^ 上述、『出雲国風土記』仁多郡条[11]。
- ^ 他にも隠岐島の刺し身が「ワニ」と呼ばれることや[62]、『宇治拾遺物語』に日本よりさらに北方の新羅で虎が鰐を捕まえる話[66]があることから。
- ^ 明治36年(1903年)の教科書での表記。
- ^ サメ論者の釈瓢斎は、白石や宣長が、もし島根県のサメ料理を知っていれば、「頭痛をやまず」に済んだ[72](躊躇せずに、自分のようにすんなりサメ論を受け容れただろう)という修辞を述べている。
- ^ 昭和五十一年五月十日の夕方、静岡県小笠郡大須賀町山崎の下紙川の大型のサメがいたという報道。木曽川の中流にいるという地元の警告。
- ^ この話の舞台である古代の中海もサメが入り込みやすく[79]、かつては干潟も多くあった[80]。
- ^ 浅瀬を歩く人の足に、メジロザメ科のツマグロは噛み付いた例などがある[82]。またオーストラリアでは2020年に海辺を散歩していて海に滑落した遺体がサメに噛まれているのを発見される事故をスプートニク (通信社)が報じている[83]。
- ^ 八尋は「とても広くて大きい」の意。
- ^ 「事代主神 化爲八尋熊鰐 通三嶋溝樴姫 或云 玉櫛姫而生兒 姫蹈鞴五十鈴姫命 是爲神日本磐余彦火火出見天皇之后也」偽書とされてきた『先代旧事本紀』にも同様に、「都味歯八重事代主神 化爲八尋熊鰐通三嶋溝杭女活玉依姫 生一男一女(略)」とある
- ^ 南方熊楠の目には足が生えた和漢三才図会の鰐および大和本草の鰐フカが鮫に見えたようだ。四足のある魚の伝承は実在する[95]。
- ^ 属名 Toyotamaphimeia は神話で和邇に化身したトヨタマヒメにちなむ命名で、俗名や種名は発掘地の待兼山に拠る[105]。
- ^ また"面ノ長サ三尺 ロ広サ二尺二寸"島とある。すなわち顔の長さが3尺 (0.91 m)。
- ^ 奄美の内海で捕られたというワニは、『南島雑話』にも図解されているが、こちらの添え書きには「鰐」とはなく「蛇龍」(「ダリョウ」とも読めるか)と書かれている[34][111]。
- ^ 幕末から明治頃の時期に西表島の浦内川に漂着個体が複数生息していたのではないかという指摘もある。
- ^ 富山で1932年(昭和7年)11月、婦負郡四方町で漁船の曳網漁に体長60 cmの子ワニが混入したと報道された[116][34]。対馬海流の分流に乗ってウミガメなどの熱帯系動物が富山湾に紛れ込んでくることはしばしばあると解説される[116]。
- ^ ダにある2種類の異字のうち、魚偏でなく鼈に似た字(鼉)の方。ヨウスコウアリゲーターを示す漢字ダについては、ヨウスコウアリゲーター中国語版参照。
- ^ ただし§サメ説で述べた通り、狩谷棭斎自身は日本にワニがいないとしてサメ論者である。
- ^ 和漢三才図会の鰐の項では、和名抄には蜥蜴に似ると記されているとある。
- ^ 堀岡文吉の名しか挙げていないが、後述するように堀岡はワニ説だが、国内起源説でないので、国内ワニ説の支持者と言えない。
- ^ サメが上陸しようとすると次の 動画のようになる。このような状態で逍遙している娘を食い殺して海に戻るのは不可能と考えられる。
- ^ 丸山の見解や反論は随所で既に引いたが、残りの論旨は次のようなものである :西村は『因幡の白兎』の物語がインドネシアから伝播されたと信じているにもかかわらず、サメと考える。サメ説の根拠は、日本にワニがいないこと、日本周辺の外国語にワニに似た語がないこと、それにもまして出雲の方言でサメをワニと呼ぶ程度だろう。
- ワニと同義語のサヒモチの神も鰐を指したものであること言を俟たない。出雲地方の「ワニザメ」は「鰐のように強い鮫」の意味から来たもので、後に単にワニとも呼んでいる。したがって、本来の和邇の意味がわからなくなった、天武天皇の時代と、かなり後の話である『出雲風土記』の和邇はサメだろう。
- たとえ、日本の古代に全然爬虫類の鰐が棲息していなかったと仮定しても、日本固有語としてワニという語があり、鰐の概念があっても一向に差し支えない。過去にも現在にも日本に龍は棲息していないが、邦語としてタツの語がありタツの概念がある。
- 『因幡の白兎』は明らかに南方から伝播した説話が大国主命の話に入ったもので、インドネシアには鼠鹿と鰐の話があり『因幡の白兎』の伝説と全く同一である[137]。徳川義親は鮫説だが、『稲羽の素兎』で東インド諸島の和邇伝説を二三紹介し、古事記の出来た和銅5年以前に南洋と交通があり、東インド諸島の伝説が入っていると思われると述べ、その他の伝説を紹介しているが、物語も叙述も大体同じである。その中に鼠鹿が猿になっているものがあるが、騙した動物が何であっても、騙された動物が常に鰐である点に注意が必要である。
- 「沖の島」が固有名詞でないことはいうまでもない。
- (日本書紀では中国思想の影響で龍になっているが)龍はサメよりよほどワニに近い。
- トヨタマ姫のお産の和邇も、陸上で匍匐委蛇う(腹ばいで蛇のようにのたうつ)動物が鮫であるはずはない。鮫説の松岡静雄が匍匐委蛇う場合はワニだろうとするのは、サメ説の行き詰まりを示す。
- 和邇は南方のトーテムとしての鰐の反映で、姓の和邇の元であろう。ワニはワニであり、断じてサメやワニザメなどではない。
- ^ かな、漢字は現代式に改め、特に示してない限り各文は途中で切らずに文ごと抜粋して示す。文を略した所は(略)と記す。
- ^ ヒョウ
- ^ イリエワニは富山県沖でも発見されている[34]。富山県よりも太平洋側に近い毘売埼に漂着する可能性も考えられる。
出典
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