京福電気鉄道越前本線列車衝突事故 2000年12月17日の事故

京福電気鉄道越前本線列車衝突事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 17:17 UTC 版)

2000年12月17日の事故

京福電気鉄道越前本線
列車衝突事故(2000年)
右:被災車となったモハ251
左:被災車となったモハ1101の同形車・モハ1102
(1990年3月 福井駅にて)
発生日 2000年(平成12年)12月17日
発生時刻 13時30分頃 (JST)
日本
場所 福井県吉田郡永平寺町東古市
東古市駅構内
路線 永平寺線越前本線
(当該列車は永平寺線内の運行)
運行者 京福電気鉄道
事故種類 正面衝突事故
原因 ブレーキロッドの破断・故障
統計
死者 1人(運転士)
負傷者 24人
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2000年(平成12年)12月17日13時30分頃、京福電気鉄道永平寺線永平寺発東古市(現・永平寺口駅)行き上り列車(モハ251形251・1両編成)がブレーキロッド破断により分岐駅である終点の東古市駅に停車できず冒進し、越前本線の福井方面に分岐器を割り込んで進入、対向してきた越前本線の福井勝山行き下り列車(モハ1101形1101・1両編成)と正面衝突した。この事故で上り列車の運転士(当時57歳)が死亡し、両列車の乗客ら24名が重軽傷を負った[1]

原因

事故原因は、車体中央部床下に設けたブレーキシリンダーの動作を前後の各台車へ伝達するブレーキロッド(鉄製引棒)が繰り返し行われてきた溶接によるクレビス英語版[注 1]交換修繕接続部分から破断したためであり、京福電気鉄道および検査業務を請け負ったJR西日本テクノス金沢支社(石川県松任市、現・白山市)の施工検査体制が問われた。

ブレーキロッドの修繕、交換と定期検査は、1997年(平成9年)10月にJR西日本テクノス金沢支社が担当した。JR西日本テクノスは西日本旅客鉄道(JR西日本)の連結子会社で、他社私鉄を含む鉄道車両の整備を請け負う企業である。

ブレーキロッド修繕に用いたロッドやクレビスは京福電鉄が用意したもので、同支社は鉄道営業法に基づく1997年の検査の際、破断した主ロッドの端にある損耗したクレビスを損耗の少ない他のクレビスに交換したが、交換したクレビスの溶接部に破断個所が含まれていた。同支社は交換部品にも問題があることを想定していなかったとして、探傷検査などを行っていなかったことを認めた。2000年(平成12年)12月27日、同支社は部品に問題がないか検査していなかったとして、業務上過失致死傷容疑で福井県警察捜査本部と所轄の松岡警察署(現在は福井警察署永平寺分庁舎)家宅捜索を受けた[2]

当該事故車両であるモハ251の車体は1958年製であったが、下回りの台車は当時の京福が所有していた台車で最も古い1928年製のものが流用されていた[3]。同車両のブレーキは車体床下に設けられた1個のブレーキシリンダーから、ロッドによって前後の各台車にブレーキ力を伝達し、各車輪の制輪子車輪に押し付ける方式で、戦前設計の電車や客貨車に多く見られるものである[注 2]。当該車両の方式では、ブレーキロッドが破断折損すると手ブレーキを含むすべての車輪のブレーキが効かなくなるため、国土交通省はブレーキ系統の多重化等の対策を全国の鉄道事業者に指示した。これに伴い、それまで各社で動態保存されてきた同じ構造を持つ車両の運行が取りやめられた[注 3]。ただしこれは基本的に単行(1両)での運転における指示で、2両編成以上の場合は1両のみの破損でのフェイルセーフが確保されるため、その後も使われている事例はある。京福電鉄は事故以降、永平寺線で2両編成での運行を再開した。

この事故の直接的原因ではないが、事故当時の東古市駅に自動列車停止装置 (ATS) や安全側線が設置されていなかったことを指摘する論調が見られた。また、当時の京福が保有する台車が最新のものでも1962年製と、老朽化が著しいことも指摘された[4][注 4]

運転士の尽力・殉職

ブレーキの故障後、当該列車の運転士(当時57歳)は鉄道無線でブレーキ故障に伴う停止不能を連絡しつつ、乗客に車両後方へ避難し、空気抵抗を増して減速させるためにできるだけ多くの窓を開けるように指示した[5][6]。乗客には1人の死者も出なかったが、運転士は退避可能であったにもかかわらず、衝突する最後の瞬間まで運転席に留まり殉職した[5][6]。この運転士の同僚は「衝突時にちょっと後ろに逃げれば助かったのに。責任感の強い男だったので、それはできなかったのだろう」「ああいう性格なので最後の最後まで頑張りすぎてしまった。残念でならない」と語った[5][6]。また、運輸省鉄道保安局車両課(当時)は「列車自体のブレーキが効かず衝突し、運転士が殉職した事故は極めてまれなケース」としている[5][6]


注釈

  1. ^ ロッド等の先端に加工したU字またはY字形をした、両先端にピンを通す穴の開いた部材のこと。ピン(クレビスピン)を差し込んで連結する。
  2. ^ 現在は、各台車各軸に独立したブレーキシリンダー(またはブレーキキャリパー)が取り付けられるものが一般的である。ただしこれは、元来は安全性向上のための多重化ではなく、ブレーキの応答性を高めて高減速性能を確保するため、日本国有鉄道(国鉄)および大手私鉄新性能電車によって確立された技術であった。
  3. ^ 例として東京都交通局都電)の「一球さん」や、東海旅客鉄道(JR東海)でイベント用に改造したクモハ12041などが挙げられる。
  4. ^ 本件事故以前は大手私鉄においても、このような古典台車を履いた機器流用車は珍しくなく、特に東武鉄道では原型が明治期に遡るゲルリッツ台車を履いた3000系列が1996年まで運用されていた。その他、枕バネを空気バネ化した例や、ブレーキシリンダーを台車側に移設した例も散見される。
  5. ^ 参考・鉄道友の会福井支部報『わだち』など。

出典

  1. ^ 「志比堺-東古市間で列車衝突事故」『交通新聞』交通新聞社、2000年12月19日、3面。
  2. ^ 福井新聞』2000年(平成13年)12月28日付
  3. ^ 「福井で電車正面衝突」『北日本新聞(朝刊)』、2000年12月18日、1面。
  4. ^ 「老朽化した市民の足」『北日本新聞(朝刊)』、2000年12月18日、24面。
  5. ^ a b c d 社会貢献者表彰 平成13年度 第一部門(緊急時の功績・日本財団賞)”. 社会貢献支援財団. 2012年10月8日閲覧。
  6. ^ a b c d 社会貢献者の記録 平成13年度”. 日本財団 図書館. 2020年7月4日閲覧。
  7. ^ 京福電車また正面衝突」『福井新聞』福井新聞社、福井県、2011年6月24日。2020年1月9日閲覧。オリジナルの2016年6月19日時点におけるアーカイブ。
  8. ^ 福井新聞』2001年(平成13年)11月21日付
  9. ^ 「京福電鉄また正面衝突」『日本経済新聞日本経済新聞社、2001年6月25日、朝刊、39面。
  10. ^ 「中部運輸局 京福電鉄に改善命令 全国初 2カ月内報告求める」『中日新聞中日新聞社、2001年7月20日、朝刊、1面。
  11. ^ 「京福電鉄 越前本線を一部廃線 鉄道離れ経営悪化 東古市-勝山間と永平寺線全線 バスに切り替え 4年度中に」『中日新聞』中日新聞社、1992年2月21日、福井版、朝刊、18面。
  12. ^ a b c 福井県未来創造部 新幹線・交通まちづくり局地域鉄道課 (2010年6月16日). “京福越前線存続の経緯”. 福井県ホームページ. 2023年9月5日閲覧。
  13. ^ えちぜん鉄道の経験” (PDF). 国土交通省. 2022年5月2日閲覧。
  14. ^ 蔡和穎「台湾鉄道、一斉警笛で2年前殉職の運転士を追悼」『フォーカス台湾 日本語版』中央通訊社、2014年1月17日。2016年9月25日閲覧。オリジナルの2016年10月21日時点におけるアーカイブ。






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