京福電気鉄道越前本線列車衝突事故
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2001年の事故以降の経緯
京福福井鉄道部の営業継続断念
半年間に2回もの正面衝突事故を引き起こした事態を重く見た国土交通省中部運輸局は、京福電気鉄道福井鉄道部に対して2回目の事故発生当日に全線の運行停止とバス代行を命じ[9]、同年7月19日には鉄道事業法第23条に基づく「安全確保に関する事業改善命令」を発出した[10]。なお、全線運行停止命令の上、事業改善命令が鉄道会社に出された事例は、2024年現在でも本件が唯一である。
しかし同社はこの事故の5年以上前から、福井鉄道部単独では事業改善を行う原資も確保できない状態に陥っており、沿線住民に全線廃止を含む提案を繰り返し行っていた。事故理由の根幹には、この財政状態で積極的な車両更新や信号系統改良などに対する投資自体に関し、同社の鉄道事業全体の収支を考えても、基幹株主などの支持が得られない状態という現実があった。
同社福井鉄道部では、以前から合理化のため支線の廃止およびバス転換を行っていたが、1992年(平成4年)に越前本線の東古市 - 勝山間と永平寺線の廃止・バス転換を表明したのが最初である[11]。これに関しては地元紙に全面広告を打ち出したこともあった。一方、豪雪地帯であり積雪時のバス代行輸送に困難な事情がある当地ではその提案が受け入れられず、むしろ高額な運賃が乗客減少の要因であるとする収入減少に対してトレードオフの関係を指摘する意見も強かった。そのため、従来から同社と沿線自治体との間には軋轢が生じていた。
このような中で事業改善命令が発せられても、大阪証券取引所(大証)2部上場会社である同社には、親会社である京阪電気鉄道による資金援助は期待できず、また鉄道営業を維持する改善費用の捻出や、改善姿勢や原資の維持自体にすでに無理があった。そのため事業改善命令の負担に耐えられないとして、同社は営業継続を断念。2001年10月19日に福井鉄道部全線の廃止届を提出した[12] 。
代行バスでの輸送困難
京福バス(当時)がバス代行を担当することになったが、鉄道輸送のない状態では鉄道利用客の約4割が自家用車利用へ転換したため、幹線道路の混雑と渋滞に拍車がかかった。他社・他系列の中古車を投入して増車するなどの対策をとったものの、バスは大幅に遅延してダイヤ通りの運行ができない状態に陥り、バスはおろか自家用車での通勤・通学すら困難になることが明らかになった[13]。
このことは「負の社会実験」などと呼ばれ、地域社会も巻き込んだ積雪地における鉄道の効用が、運行休止後の降雪・積雪時の代行バスをも巻き込んだ道路交通の麻痺という形で現れたことで、経営上の黒字や赤字だけでは計り知れない鉄道存続の必要性を社会に示す結果となった。
第三セクターへの移管
このような状況を受けて、鉄道路線存続のために福井県と沿線市町村が出資する第三セクター「えちぜん鉄道」が設立され、京福福井鉄道部の路線を継承することになった[12]。
設備維持作業を行っていた京福越前本線の有形資産を中心として継承させ、従業員の引き継ぎはなく、一旦全線廃止という形式的処理を行った上で、えちぜん鉄道勝山永平寺線として2003年(平成15年)7月20日に部分開業、同年10月19日に全線開業した[12]。
なお、利用者が少なかった永平寺線は、それ以前にも一部の鉄道便をバス代行としていたことと、並行道路が整備されていた実績があることから、再開されることなく2002年(平成14年)10月21日に廃線となった。代替の旅客輸送は京福バスにより維持されている。
注釈
- ^ ロッド等の先端に加工したU字またはY字形をした、両先端にピンを通す穴の開いた部材のこと。ピン(クレビスピン)を差し込んで連結する。
- ^ 現在は、各台車各軸に独立したブレーキシリンダー(またはブレーキキャリパー)が取り付けられるものが一般的である。ただしこれは、元来は安全性向上のための多重化ではなく、ブレーキの応答性を高めて高減速性能を確保するため、日本国有鉄道(国鉄)および大手私鉄の新性能電車によって確立された技術であった。
- ^ 例として東京都交通局(都電)の「一球さん」や、東海旅客鉄道(JR東海)でイベント用に改造したクモハ12041などが挙げられる。
- ^ 本件事故以前は大手私鉄においても、このような古典台車を履いた機器流用車は珍しくなく、特に東武鉄道では原型が明治期に遡るゲルリッツ台車を履いた3000系列が1996年まで運用されていた。その他、枕バネを空気バネ化した例や、ブレーキシリンダーを台車側に移設した例も散見される。
- ^ 参考・鉄道友の会福井支部報『わだち』など。
出典
- ^ 「志比堺-東古市間で列車衝突事故」『交通新聞』交通新聞社、2000年12月19日、3面。
- ^ 『福井新聞』2000年(平成13年)12月28日付
- ^ 「福井で電車正面衝突」『北日本新聞(朝刊)』、2000年12月18日、1面。
- ^ 「老朽化した市民の足」『北日本新聞(朝刊)』、2000年12月18日、24面。
- ^ a b c d “社会貢献者表彰 平成13年度 第一部門(緊急時の功績・日本財団賞)”. 社会貢献支援財団. 2012年10月8日閲覧。
- ^ a b c d “社会貢献者の記録 平成13年度”. 日本財団 図書館. 2020年7月4日閲覧。
- ^ 「京福電車また正面衝突」『福井新聞』福井新聞社、福井県、2011年6月24日。2020年1月9日閲覧。オリジナルの2016年6月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ 『福井新聞』2001年(平成13年)11月21日付
- ^ 「京福電鉄また正面衝突」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2001年6月25日、朝刊、39面。
- ^ 「中部運輸局 京福電鉄に改善命令 全国初 2カ月内報告求める」『中日新聞』中日新聞社、2001年7月20日、朝刊、1面。
- ^ 「京福電鉄 越前本線を一部廃線 鉄道離れ経営悪化 東古市-勝山間と永平寺線全線 バスに切り替え 4年度中に」『中日新聞』中日新聞社、1992年2月21日、福井版、朝刊、18面。
- ^ a b c 福井県未来創造部 新幹線・交通まちづくり局地域鉄道課 (2010年6月16日). “京福越前線存続の経緯”. 福井県ホームページ. 2023年9月5日閲覧。
- ^ “えちぜん鉄道の経験” (PDF). 国土交通省. 2022年5月2日閲覧。
- ^ 蔡和穎「台湾鉄道、一斉警笛で2年前殉職の運転士を追悼」『フォーカス台湾 日本語版』中央通訊社、2014年1月17日。2016年9月25日閲覧。オリジナルの2016年10月21日時点におけるアーカイブ。
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