不可触民 概要

不可触民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 04:25 UTC 版)

概要

呼称

不可触民の少女(アーンドラ・プラデーシュ州

ダリット(दलित)は、「困窮した者」「押しつぶされた者」「抑圧されている者」の意であり、アウト・カースト、もしくはアチュートと呼ばれ、サンスクリット語ではアスプリシュヤ(aspṛśya)という。これは可触民を意味するスプリシュヤ(spṛśya)の対義語である[6]。伝統的なインド社会においては最底辺のカーストというより、正確にはヴァルナの枠組み(ヴァルナ・ヴィャワスター[7])の外にあるため、アウト・カーストもしくはアヴァルナavarṇa)の呼称がある。また、「第5のヴァルナに属する者」の意でパンチャマPañcama)の呼称がある。『ヴェーダ』には、「パンジャマー」や「サンダラン」「アヴァルナ」の名で現れている。 俗称として、彼らの代表的なジャーティであるマハール(屠畜業者)やパーリヤ(太鼓たたき)、バンギー(人糞処理の清掃人)などと呼ばれることもある[2]

不可触民のなかには、ハリジャン(神の子、हरिजन)という呼称は、マハトマ・ガンディーがヒンドゥー教の輪廻転生の教義に従い、現世で苦しんでいる彼らは来世で必ず良い生まれ変わりを迎えるだろうとしている。しかし、これを恩恵的、偽善的に呼んだに過ぎず[2]、この呼称によってむしろ、カースト・ヒンドゥー(不可触民以外の一般のヒンドゥー教徒)社会全体が良心に目覚めたかのような印象を外界にあたえることは耐えられないと感じている者も少なくない[3]

遺伝学的な見地からみたダリット

ダリット(ジャイプールにて)

ダリットの人口には、インド全国の膨大なカーストグループが混合している。インドは、遺伝的には世界で最も多様な国家であるにもかかわらず、不可触民については遺伝学的な根拠が全くないのであり[8][9]、この差別が社会的につくられてきたことは明らかである。遺伝的調査はさらに、全体として、インドの遺伝的グループはいかなる非・南アジアのグループとも大きな類似性を示していないことを示しており[10]、不可触民をふくむ全インド人は、紛れもなく、また、等しく南アジアの人々である。

不可触民の職業

不可触民の母娘(ケーララ州

ダリットには、皮革労働者(チャマール)、屠畜業者(マハール)、貧農、土地を持たない労働者、街路清掃人(バンギー、またはチュラ)、街の手工業者、バーリヤなどの民俗芸能者、洗濯人(ドービー)などのジャーティが含まれる。ジャーティがインドの社会秩序においてどのような地位を占めるかの基準は、人格や専門性などではなく、その職業を行うに当たって接触する物体の浄・不浄の度合いによって決められているとされている。穢れは、「」「産」「」「体からの分泌物」より生じると考えられ、次々に伝染するとされてきた[2]。上記の職業は、不浄なものに触れやすいとして、伝統的に、特に低い地位に置かれてきたのである[11]

不可触民のなかにも序列がある。占い師医師を兼ねるバッルバンというジャーティは、不可触民のなかで最高位を占め、「賤民中のバラモン」と自称することさえある[11]。反対に、清掃、糞尿汚物処理専門の人々は不可触民のなかでも最も地位が低く、卑しめられている。これらの職業は基本的に世襲であることから、不可触民の中には、人間以下の境遇から抜け出るため、これらの仕事を放棄することが増えてきている[12]

ムサハール(Musahar)はインドで最も疎外された社会集団の一つで、約250万人いるとされる。政府に記載されていない人々を考慮すると・800万人はいるとも予想される。別名「ネズミを食べる人」と呼ばれ、ダリットからも蔑まれている。ムサハールの人々はどこへ行っても差別や孤立、極貧状態に直面する。大半は今でも農業労働者としてしか働けず、不作の時には野原でネズミやカタツムリを獲ったり、穀物をあさったりするしかない。[13]

不可触民の歴史

社会階層概念としての不可触民は、紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられる『マヌ法典』にはまだ見られず[6]、歴史的には、西暦100年頃から300年頃にかけて成立したとされる『ヴィシュヌ法典』に初めて現れる。5世紀から6世紀にかけて成立したといわれる『カーティヤーヤナ法典』では、不可触民の規定がさらに明瞭なものになったところから、この頃、差別される諸集団を一括して不可触民とする考え方が定着していったものと考えられる[2][6]

『マヌ法典』には「聖典ヴェーダを読む声にシュードラが不届きにも耳を傾けたなら、熱く解けたを耳に流し込んで罰すべし」と記されている。その後、一生族(エーカジャ)に属するシュードラに対する差別は穏やかなものになっていくが、不可触民への差別はむしろ強化されていったものと考えられる[2]

不可触民を含めた身分秩序が、このように、1,500年以上にわたって歴史的につくりだされてきたのである[14]歴史学的には、今日見られる社会階層としての不可触民の本格的な形成はインド中世社会の形成期以降であると考えられている。すなわち7世紀以降、インドでは、定着農耕社会のいっそう顕著な拡大がみられ、各地に自立的な村落共同体が形成されていったが、それに伴って山間地に居住していた諸部族が農村集落に吸収され、皮革細工や集落の清掃などに従事するようになった。そして、これと並行して形成されていくヴァルナ・ジャーティ制(カースト制)において、彼らの多くが不可触民として社会的に位置づけられるようになったと考えられる[6]

不可触民は、ヒンドゥー社会の中でも最下層階級であり、「触れると穢れる人間」として扱われてきた。不可触民は、触れてはいけないだけでなく、見ることも、近づくことも、その声を聞くことさえいけないとされた。また、他のヒンドゥー教徒と同じ神を信仰しているにもかかわらず、ヒンドゥー寺院への立ち入りが禁止され、ヴァルナに属する上位4身分のヒンドゥー教徒(カースト・ヒンドゥー)たちが使用する井戸貯水池の使用さえも禁止されていた[15]。このように、不可触民(ダリット)は、社会的に分離され、厳しい差別の被害をこうむってきた。


  1. ^ 「最下層カースト出身のコビンド氏、インドの新大統領に就任」フランス通信社(AFP)2017年7月26日配信、2019年2月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 「インドのプロフィール 第4回:カースト制と不可触民」松本勝久Archived 2016-12-23 at the Wayback Machine.
  3. ^ a b 山際 (1981) p.60
  4. ^ 【特派員発】成長の光 届かぬダリット/貧困「ネズミ食べるしかない」/教育・職業差別 標的の犯罪続発も『産経新聞』朝刊2019年2月8日(国際面)。
  5. ^ 【街角から】宗教超えるカースト制/ニューデリー支局・松井 聡毎日新聞』朝刊2019年5月15日(国際面)2019年5月15日閲覧。
  6. ^ a b c d 小谷(1994)
  7. ^ 「ヴィャワスター」とは「ゆるがせにできないもの、定められたもの」という意味である。藤井(2007)
  8. ^ "Country profiles-India" (PDF) -English
  9. ^ "Genetic landscape of the people of India:a canvas for disease gean exploration" (PDF) -Englsh
  10. ^ "A prehistry of Indian Y chromosomes:Evaluating demic diffusion scenarios" (PDF) -English
  11. ^ a b 『ミリオーネ全世界事典』(1980)
  12. ^ 山際(1981)p.75
  13. ^ 印カースト最下層にさげすまれる社会集団「ネズミを食べる人」”. AFP通信. 2020年9月29日閲覧。
  14. ^ "Untouchable"(ナショナル・ジオグラフィック)- English
  15. ^ 「アンベードカルの不可触民解放運動について」広瀬直孝
  16. ^ a b c 藤井(2007)
  17. ^ a b c d e f g サブハードラ・チャンナ「インドにおけるカースト・人種・植民地主義」『人種概念の普遍性を問う』人文書院,2005所収)
  18. ^ 印カースト最下層出身者ら、ヒンズー至上主義に抗議デモ”. AFP (2018年1月4日). 2018年4月20日閲覧。
  19. ^ 「カースト制」谷川昌幸
  20. ^ 山崎(1979)
  21. ^ アーンベードカル(1994)
  22. ^ 【ひと】インドで身分差別の実態を訴える月刊誌の編集長 アショク・ダスさん(46)朝日新聞』朝刊2019年6月29日(2面)2019年7月4日閲覧。
  23. ^ 竹中 2010, pp. 245–259.
  24. ^ “タタ・グループ、不可触民カースト出身者経営の会社に1000万ルピー投資”. Response. (2013年6月15日). https://response.jp/article/2013/06/15/200139.html 
  25. ^ “CII members to step up sourcing from Dalit-owned SMEs” (英語). Business Standard. (2013年1月21日). http://www.business-standard.com/article/sme/cii-members-to-step-up-sourcing-from-dalit-owned-smes-111071200101_1.html 





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