インド憲法の制定とアーンベードカルについて
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「不可触民」の記事における「インド憲法の制定とアーンベードカルについて」の解説
1947年、アーンベードカルは初代インド首相ネルーに請われて初代法務大臣に就任し、憲法制定会議委員長を兼任した。憲法案起草の中心人物となったアーンベードカルは、憲法案に不可触民制廃止を盛り込むことに成功した。同年4月29日、インド制憲議会は、「いかなる形における不可触民制も廃止し、不可触民への差別は罪とみなす」と宣言した。また、従来の不可触民を「指定カースト民」(Scheduled Castes)と呼称し、指定部族(Scheduled Tribes)に指定された先住民族ともに、教育、公的雇用、議会議席数の三分野において一定の優先枠を与えることとした。これを、留保制度(Reservation system)という。 こうして1950年に制定されたインド憲法では、法的に、カースト差別は憲法上禁止された。インド憲法17条では、以下のように「不可触民制の廃止」を規定している。 17条「不可触民制の廃止」 不可触民制は廃止され、いかなる形式におけるその慣行も禁止される。不可触民制より生ずる無資格を強制する事は、法律により処罰される犯罪である。 なお、アーンベードカルは、身分差別の因習を打破するため、死の2か月前の1956年10月、かれの属したマハールの人びと約50万人とともに仏教に改宗した(仏教復興運動)。
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