インド征服戦争 (1796年-1805年)
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「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「インド征服戦争 (1796年-1805年)」の解説
1796年5月に大佐(英語版)に昇進したアーサーは、6月に第33歩兵連隊とともにイギリス東インド会社が統治するインドに派遣された。彼のインドに対する印象は悪く、兄に宛てた手紙の中で「現地人はヒンズー教徒であれ、イスラム教徒であれ、品性の欠片もなく、温かみに欠け、容赦なき残虐行為を平気で行う。その膨大な人数に物を言わせてヨーロッパ人を襲撃しては殺害する」と書いている。 1798年5月からは兄モーニントン伯爵(彼は1799年にウェルズリー侯爵に叙される)がインド総督に任じられてインドに赴任してきた。弟ヘンリーも兄の秘書として同行しており、ウェルズリー家兄弟3人でインドの指導的地位に付いた形となる。3人は緊密に協力しあってインド統治にあたった。 この頃イギリス東インド会社領インドは、フランスと同盟するインド南部マイソール王国の君主ティプー・スルターンから圧迫を受けていた。兄モーニントン伯爵はこれに対抗すべく、征服戦争を開始する腹積もりだった。 アーサー自身はいたずらに領土拡大を行うことには消極的だったが、兄の決定には従順に従い、兄の下で軍人として存分に腕を振るうことになる。
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