インド憲法の父
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 07:37 UTC 版)
「ビームラーオ・アンベードカル」の記事における「インド憲法の父」の解説
1947年8月15日にインドが独立を果たすと法相になると共に、憲法起草委員の一人としてインド憲法の制定に関わる。彼の草案には信教の自由や封建遺制の禁止などが明記されると共に、被差別カーストに対するアファーマティブアクションも規定されていた。しかしジャム・カシミール州への特別な地位を与える条項に対しては反対を表明し、結局彼の草案の多くを採用することによって1949年11月26日に憲法は採択された。また経済政策においては農業面での投資を重視し、被差別カーストにまで負担することになる所得税中心ではなく固定資産税と物品税中心の税制にすべきと主張。インド・ルピーの貨幣制度整備のみならず労使関係の近代化、更には避妊や家族計画など女性の地位向上にも努めた。 しかし政治的には振るわず1952年に国政の議席を失うと、大統領任命の終身上院議員として政治に関わることになった。
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