インド担当省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 09:56 UTC 版)
「クレメンツ・マーカム」の記事における「インド担当省」の解説
1853年に父が死んだ後のマーカムは自分で給与を稼ぐ必要があり、同年12月には内国歳入庁遺産相続税局で事務員補の職を年給90ポンド(2008年換算で約6,000ポンド)で確保した。その仕事は退屈だと思ったが、6か月後には、1857年にインド担当省となるものの前身部署に転籍となった。ここでの仕事は面白くやりがいがあった。あちこちを旅行して地理的な興味を満たすだけの時間ができた。 1857年4月、マーカムはミナ・チチェスターと結婚した。ミナはキナノキの任務でペルーまで一緒に行った間柄だった。1859年に一人娘のメアリー・ルイーズ(メイと呼ばれた)が生まれた。マーカムはインド担当省の任務の一部として、ペルーの綿花をマドラスに導入することについて、ブラジルでトコン(吐根)を栽培することについて、インドでこの薬用植物を栽培する可能性について、さらに南インドのティルネルヴェーリにおける真珠産業の将来について、インド政府のために調査し、報告した。ブラジルのゴムの木を移植する壮大な計画にも関わり、「既にキナノキで挙げた成果をインドのゴムあるいは生ゴムの木で生み出す」と主張した。しかし、この計画は成功しなかった。
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