インド政府による併合とニザーム藩王国の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:18 UTC 版)
「ウスマーン・アリー・ハーン」の記事における「インド政府による併合とニザーム藩王国の滅亡」の解説
インド政府はパキスタンとのカシュミール地方における戦闘がひとまず一段落したところで、ハイダラーバード藩王国の処分を決定し、同年9月12日にインド政府はイスラーム義勇兵(ラザーカール)の解散と、首都と川を挟んだ対岸のシカンダラーバードにインド軍を進駐させることを要求した。 ハイダラーバードはこの要求を拒否する一方で、国連安保理へ「インド政府から侵入意図を公式に通告された」と電報を打ち、安保理の議題にできるだけ早く取り上げてもらうことを求めた。だが、インドは翌13日にハイダラーバード領に軍事侵攻を開始した。 9月16日に安保理がハイダラーバード問題を議題として取り上げることを決めたものの、インド軍の侵攻に間に合わず、翌17日には藩王ウスマーン・アリー・ハーンと軍隊が降伏した。 ここに、1724年に始祖アーサフ・ジャー1世が創始して以来、224年続いたアーサフ・ジャーヒー朝は滅亡した。
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