一龍戦争 与野党党首として一龍対決の本格化

一龍戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 22:18 UTC 版)

与野党党首として一龍対決の本格化

1995年阪神・淡路大震災地下鉄サリン事件で対応にもたついた村山内閣の与党が統一地方選挙参議院選挙で敗北すると、9月の自民党総裁選で橋本通産大臣が新総裁に選出され、12月新進党党首選で小沢幹事長が新党首にそれぞれ選出された。

1996年1月村山首相が退陣すると、首班指名で橋本総裁(衆288、参158)が、小沢党首(衆168、参69)を押さえて首相に選出され、橋本内閣が発足。3月、与野党大激突となった住専処理法案を巡って新進党はピケ戦術を張るなど抵抗する。最終的に橋本-小沢両党首を中心とする「一龍会談」を行い事態打開を協議、翌4月住専法案が成立する。

また、小沢が金融特別委員会にて加藤紘一自民幹事長のヤミ献金問題による証人喚問を要求すると、与党は創価学会池田大作名誉会長の証人喚問を要求するなど半ば泥仕合の様相を見せ、結局加藤幹事長ならび創価学会秋谷栄之助会長(宗教法人特別委員会)の参考人招致で合意した。10月衆院選で新進党小沢党首は一気に政権奪取に動くが、自民党橋本総裁(首相)は、『新進党は、創価学会に支配されている』や『新進党=創価学会』など新進党や創価学会のネガティブ・キャンペーンをはり、結果は自民党は善戦し政権維持、新進党は現有議席割れの敗北であった。

一龍戦争の終焉

1997年3月橋本首相と小沢党首が2度目の「一龍会談」を行う。橋本首相・加藤幹事長は前年の衆院選以降新進党からの議員引き抜き工作を行い、9月に北村直人議員の復党で衆院過半数を回復。小沢党首は折からの離党者続出で解党危機を迎える中、都議選が行われ、新進党は惨敗し、友党関係にある公明から新進党合流を白紙撤回される。結局同年末に新進党は解党し、小沢は野党第1党党首の座から退く。

1998年1月、小沢は自由党を結成し党首に就任。一方の橋本首相は、例年の所信表明演説ではなく緊急の経済演説を行う。前年に銀行や企業の倒産が相次ぎ、バブル以来の未曾有の経済不況によるものである。

7月の参院選で経済運営の失策を問われて自民が惨敗し橋本首相が退陣すると、後継総裁に小渕外相が就任。一方の小沢が党首の自由党は、橋本政権の経済政策に批判を集中させて現有議席を維持した。8月の首班指名で自由党は、共産党と共に民主党菅直人代表を統一首班候補に推薦。参議院では決選投票にもつれ込んだ結果、社民党や公明などの協力もあって菅を指名したが、自民党が過半数を占めていた衆議院では小渕が指名された。両院協議会を経て小渕首相が誕生する(衆議院の優越)。

その後の一龍

1998年11月、小沢党首は古巣の自民党との政権協議に合意し、自自連立政権(翌年に自自公)が発足した。2000年4月、小渕首相が病気退陣し、首相が誕生。小沢は自自公連立政権から離脱する方針を示すも、離脱反対派は離党し保守党を結成、自由党は分裂。同年6月の衆院選は現有議席から微増の結果に終わる。

小渕亡き後、橋本元首相が小渕前首相の後継の派閥会長に就任した。2001年4月、橋本は復権を目指し(派内の人材難という面もあったが)、森首相の後継総裁選に出馬するも小泉純一郎に予想外の惜敗。2003年9月、自民党の総裁選で橋本派が分裂選挙に追い込まれ小泉再選を許す。

一方小沢は、2003年に自由党を民主党と合併させた。小沢は党代表代行に就任。翌2004年、小沢は、年金未納問題で辞任した菅直人民主党代表の後任と騒がれたが、小沢自身にも年金未納が発覚。責任を取るとして代表就任を辞退し、党の役職から去る。

同じ2004年、日歯連闇献金事件に絡み、橋本は派閥会長を辞任し派閥を退会する。翌2005年には、いわゆる郵政解散に伴い橋本が政界を引退する。

2006年4月、小沢が民主党代表選に出馬し菅直人を破って代表に就任。同年7月1日、橋本死去。

小沢は橋本の死後、民主党への政権交代を経て2012年に民主党を離党、国民の生活が第一生活の党の代表を歴任する。




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