もんじゃ焼き 概要

もんじゃ焼き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 01:40 UTC 版)

概要

いわゆる「粉もの」料理の一つで、小麦粉を水に溶き、鉄板の上に流して焼く料理である。

お好み焼きに似た食べ物であるが、生地の粉液比が非常に低いうえに、ソースなどの調味料を一緒に混ぜ込んでしまうため、加熱後の鉄板上においても糊状で固形化しないのが特徴である。鉄板へらで押さえつけて焼きながら食べるので、鉄板に接する面は黒く焦げるが、内部は柔らかく粘ったままである。

東京都下町埼玉県南部・東部、群馬県東部と栃木県南部に提供する店が多い。

独特の見た目や食べづらさ、腹持ちの悪さなどから賛否の分かれる料理である[1]

歴史

現在に繋がるもんじゃ焼きのスタイルは戦後昭和20年代に誕生し、浅草近辺が発祥とされる事が多いようである。この地を基点とする東武鉄道京成電鉄、旧奥州街道である国道4号、当時まだ盛んであった隅田川の物流などを通して、北関東千葉方面に伝播したと考えられている(異説もあり。群馬のもんじゃ焼き参照。)[2]

文字焼き

江戸時代明治時代の江戸・東京に「文字(もんじ)焼き」と称する駄菓子が存在したことが記録に残っている。現在のもんじゃ焼きとは異なる甘い焼き菓子であるが、これが「もんじゃ」の語源となっていることは想像に難くない。敗戦後に小麦粉が配給となった際に、これが糖蜜抜きで復活したという推測は成立する。

清水晴風の「街の姿[3]」には「文字焼はうどんの粉に蜜を入れて、溶解せしを子供に与え、小なる匙にて文字を書くが如く、自由に銅板の上に垂らせば、直ぐに焼けるを以て文字焼と言う。」と書かれている。また、森銑三の「明治東京逸聞史2[4]」にも「饂飩粉に蜜を加えたものを、銅の板の上で、手ン手に焼いて食べる」とあり、当時の文字焼きは甘味のある煎餅パンケーキのような食べ物であったことがわかる。

駄菓子屋ともんじゃ焼き

東京下町の駄菓子屋には、昭和40年代(1965年 - 1974年)頃までは大抵もんじゃ焼きの鉄板があった。駄菓子屋は子供たちの社交場として機能しており、もんじゃを焼く鉄板上での陣取りはゲーム的要素のある遊びとして親しまれていたという[5]

昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、ソースや醤油で味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代になるとキャベツなどの具材が加わるようになり、いわゆる「土手」を作ってから液汁を流し込むという調理手順が誕生した[6]。しかしこの独特の作法が伝搬しなかった地域も少なくなく、近年では「土手を作らない」ことで料理としての独自性を主張する向きもみられる。

駄菓子屋のもんじゃは下町の子供たちに広く親しまれたが、食文化や嗜好の変化に加え、店主の高齢化に伴う廃業によって平成以降急速に姿を消していった。一方で、もんじゃ焼きは東京の伝統的な食べ物として全国的に認知されるようになり、観光客や昔を懐かしむ世代を対象とする業態に移行したことで単価の上昇を招き、子供たちの小遣いで手の届く価格帯ではなくなってしまった。それでも一部にはまだ昔ながらの安価で提供する駄菓子屋もわずかながら残存している。

どんどん焼き・お好み焼きとの関係

大正時代に文字焼きから派生したどんどん焼きが生まれ、そしてどんどん焼きは関西に一銭洋食との名で広まり、それがお好み焼きたこ焼きに発展していった[2][7][8][9]とする説が従来語られてきたが、それらを再検証した新しい研究成果も発表されている[10]

呼称

東京の年配者の間では「もんじゃ焼き」ではなくもっぱら「もんじゃ」と呼ばれることが多い。仮にこれを「もんじやき」の訛りや省略形と解釈するならば、現在一般的となっている「もんじゃ焼き」という表現は重言となる。

「もんじゃ」以外の呼び方、同種の料理を指す言葉としては、以下のようなものがある[11][12]


  1. ^ ガッカリした“ご当地グルメ”ランキング gooランキング 2017年06月05日 00:00 (2024年4月1日閲覧)
  2. ^ a b 種の起源
  3. ^ 『街の姿<江戸編> 晴風翁物売り物貰い図譜』太平書屋、1983年。ASIN B000J7CYDU 
  4. ^ 森銑三『明治東京逸聞史2』平凡社、1969年。ISBN 4582801420 
  5. ^ 『もんじゃの社会史』青弓社、2009年。ISBN 4787232940 
  6. ^ もんじゃの「土手」実は作る意味ない? 月島の職人も「味変わらない」と断言、ただし...
  7. ^ 2013年8月16日 JB PRESS「関西風」のルーツは東京だった!花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期 (3/5)
  8. ^ 2013年8月16日 JB PRESS「関西風」のルーツは東京だった!花柳界と切り離せないお好み焼きの黎明期(4/5)
  9. ^ 2015年10月08日 WEB歴史街道(PHP) 広島vs.大阪!? お好み焼きのルーツ【後】
  10. ^ 近代食文化研究会『お好み焼きの物語 執念の調査が解き明かす新戦前史』新紀元社、2019年。ISBN 4775316672 
  11. ^ 岡田哲『たべもの起源事典』東京堂出版、2003年、453頁。ISBN 4490106165 
  12. ^ 埼玉県川口市草加市と、ごく一部足立区では「ぼった」「ぼってら」千葉県浦安市近辺の一部地域では昔から「おいの」と呼ぶ。浦安の「ぼったら」は、もんじゃ焼きとはやや異なり、固めでもちもちしている。
  13. ^ 2020年1月16日放送和風総本家より
  14. ^ 第51回 群馬ご当地グルメ(その1) 伊勢崎もんじゃは、こんな「もんじゃき」
  15. ^ 今週コレ知っとこ! 日本全国 ご当地まかないグルメ」(MBS制作・TBS系列『知っとこ!』2009年1月10日放送)





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