未成線
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未成線(みせいせん)とは、本来の意味においては鉄道路線において未だ完成していない路線のことを指す[1]。ただし、鉄道愛好家などの間では、完成を目指して建設工事が行われていたものの途中で工事が打ち切られた路線を指して用いられることもある[1]。廃線跡めぐりに類するものに未成線めぐりがある[1]。
- ^ a b c 梅原淳『PHPビジュアル実用BOOKS いまこそ楽しみたい新幹線の旅 夢の超特急誕生から50年』PHP研究所、2014年、106頁。
- ^ 整備新幹線や中央新幹線等のように、長年の空白を経て整備計画決定や事業化に至る事例もある。
- ^ “広域交通ネットワーク計画について≪交通政策審議会答申に向けた検討のまとめ≫”. 東京都都市整備局都市基盤部交通企画課. 2024年2月3日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1990年9月17日朝刊岐阜版「【岐阜県】トレンド90ぎふ/ 関心高まる“中濃新線” 活性化への起爆剤に 観光地化めざす “奥美濃”も歓迎」(中日新聞社 前田智之)
- ^ 『なにわ筋線「北梅田~JR難波・南海新今宮」の鉄道事業許可』(プレスリリース)国土交通省、2019年7月9日 。2019年7月9日閲覧。
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1911年12月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1914年7月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年1月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道免許失効」『官報』1915年3月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道要覧』p.400
- ^ 現:西武園
- ^ 現:西所沢
- ^ “小田急多摩線延伸に関する関係者会議報告書 II.小田急多摩線延伸の取組の歩み”. 町田市 (2019年3月). 2022年1月24日閲覧。
- ^ “相武電鉄の歴史”. 相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館 (2019年3月). 2022年1月24日閲覧。
- ^ 南武線の矢向とは別の場所
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(昭和58年(1983年)3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)436頁。
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(昭和58年(1983年)3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)438頁。
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(昭和58年(1983年)3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)332頁。
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(1983年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)231頁。
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(1983年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)365頁。
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(1983年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)365 - 366頁。
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(1983年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)367頁。
- ^ 『富山地方鉄道五十年史』(1983年3月28日、富山地方鉄道株式会社発行)217頁。
- ^ a b 『富山廃線紀行』(2008年7月16日、草卓人著、桂書房発行)117頁。
- ^ a b 『氷見市史 通史編二 近・現代』(2006年3月31日、氷見市発行)411 - 412ページ。
- ^ 『氷見市史 通史編二 近・現代』(2006年3月31日、氷見市発行)414ページ。
- ^ 『朝日新聞』1997年4月18日名古屋朝刊第三社会面29頁「乙川駅から西へ 新空港鉄道で半田市が周辺整備計画【名古屋】」(朝日新聞名古屋本社)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1927年9月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』1930年12月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 幻の茂浦鉄道青森県水産総合研究センター 増養殖研究所だより, 第112号
- ^ 茂浦鉄道 【導入編】日刊ウェブマガジン「まいにち・みちこ」2019.11.25
- ^ 茂浦鉄道 【机上調査編 第15回】日刊ウェブマガジン「まいにち・みちこ」2020.7.27
- ^ 『氷見市史 通史編二 近・現代』(2006年3月31日、氷見市発行)412 - 414ページ。
- ^ 『帝国鉄道年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許取消」『官報』1930年12月20日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1922年10月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許取消並失効」『官報』1938年6月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 田尻弘行『宮崎交通鉄道部』ネコパブリッシング、2005年、15-16頁
未成線(黒松内 - 岩内)
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「岩内線」の記事における「未成線(黒松内 - 岩内)」の解説
もともとこの路線は瀬棚 - 寿都 - 岩内 - 然別間の鉄道敷設運動の結果、一部区間が承認されて建設された路線である。また、太平洋戦争後、函館本線の急勾配を緩和するバイパスルートとして、「後志國黒松内ヨリ岩内附近ニ至ル鐵道」(改正鉄道敷設法別表第130号ノ2。1953年(昭和28年)8月1日に公布・施行された「鉄道敷設法等の一部を改正する法律」(昭和28年法律第147号)によって追記。43.9km)が計画された。 1957年(昭和32年)4月3日に調査線、1964年(昭和39年)6月25日に工事線となり、黒松内 - 湯別間では1968年(昭和43年)まで営業していた寿都鉄道の路盤跡を転用することも内定し、現地測量も進んでいた。1972年(昭和47年)12月24日に着工が認可されたが、岩内駅付近など一部の用地買収が行われたのみで、後に工事は中止された。 未成区間は雷電海岸を経由し、第3雷電トンネル (5232m)、第2雷電トンネル (580m)、刀掛トンネル (3160m)、尻別トンネル (605m) などの長大トンネルも計画されていた。 計画されていた駅 岩内駅 - 敷島内駅 - 雷電駅 - 港町駅 - 磯谷駅 - 美谷駅 - 歌棄駅 - 湯別駅 - 中の川駅 - 黒松内駅 岩内 - 湯別間は日本海沿いを通る計画で、磯谷駅、歌棄駅は内陸を通る函館本線の目名駅(旧・磯谷駅)、熱郛駅(旧・歌棄駅)とは別位置。
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