がいこう‐しせつ〔グワイカウ‐〕【外交使節】
使節
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/07 03:47 UTC 版)
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関連項目
外交使節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/19 05:09 UTC 版)
「クィントゥス・オグルニウス・ガッルス」の記事における「外交使節」の解説
紀元前292年、ローマでは疫病が蔓延していた。ガッルスは元老院議員10人から構成される使節団を率い、ペロポネソス半島のエピダウロスにある医療神アスクレーピオスの聖域(アスクレペイオン)に神託を得に向かった。ローマの歴史家達は、神の顔から滑り降りた蛇(クスシヘビ)が、使節団の船のガッルスの部屋に入り込み、使節団がローマに戻るとティベリーナ島に泳いでいったため、そこにアスクレペイオンが建てられた。 紀元前273年、ガッルスは再び外交使節に選ばれた。ファビウス氏族の二人、紀元前292年の執政官クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲスとヌメリウス・ファビウス・ピクトル(紀元前266年の執政官)と共に、プトレマイオス朝エジプトに派遣されたが、これはローマとエジプトの外交関係の始まりであった。プトレマイオス2世は使節に莫大な贈り物を与え、ローマに帰還した使節はこれを国庫に収めた。しか元老院は民会の同意を得た上で、これを使節個人に褒賞として与えた。
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「外交使節」の例文・使い方・用例・文例
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