TM-3-12 305mm列車砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/24 09:34 UTC 版)
| TM-3-12 305mm列車砲 | |
|---|---|
|  | |
| 種類 | 列車砲 | 
| 原開発国 |  ソビエト連邦 | 
| 運用史 | |
| 配備期間 | 1936年~? | 
| 配備先 |  ソビエト連邦 | 
| 関連戦争・紛争 | 第二次世界大戦 | 
| 諸元 | |
| 重量 | 340t | 
| 銃身長 | 15.850m 口径 L/52 | 
|  | |
| 砲弾 | 470kg | 
| 口径 | 304.8mm | 
| 仰角 | 0°~50° | 
| 旋回角 | 0 | 
| 発射速度 | 1.8発/1分 | 
| 初速 | 760m/s | 
| 有効射程 | 29,000m | 
| 最大射程 | 50,000m | 
TM-3-12 305mm列車砲(ロシア語:305-мм железнодорожная установка ТМ-3-12)は、ソビエト連邦の火砲である。
概要
TM-3-12の305mm砲は、ロシア帝国時代のインペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦(w:en:Russian battleship Imperatritsa Mariya:マリア皇后)の主砲身を流用した物である。
インペラトリッツァ・マリーヤは、第一次世界大戦中の1916年に爆発事故で損傷し、その後本国まで曳航されたものの、ロシア革命の中で放置され、1925年、正式に除籍となり、翌年スクラップとなったが、305mm主砲4門は回収された。これが本砲の元となった。
1936年にTM-3-12として完成し、第二次世界大戦に参加した。3両が製作され、ハンコ半島の海軍基地に沿岸砲として配備されていたが、継続戦争でソ連軍が撤収する際に破壊された[1]。
フィンランド軍は1942~43年にかけて本砲を修理し、「305/52 ORaut」の名称を付与したが、実戦運用されないままソ連軍が取り戻した[1]。
1991年までは運用可能状態にあり、1999年に退役した[1]。
現在もモスクワの中央博物館、旧フィンランド領・カレリア地方クラースナヤのゴールカ砦、そしてサンクトペテルブルクに1門ずつと、3門が残っている。
脚注
参考
|  | 
       出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
       | 
 
- TM-3-12 305mm列車砲のページへのリンク

 
                             
                    




